サンダーボルト棘ネズミ 3
そんなこんなで始まったおっさんがいる日々。
おっさんは有能な家政婦のように家事をこなし、細やかな仕事ぶりと料理でいちいち
棘太も最初は疎ましく思っていたが、段々それが当たり前のようになっていき、気が付けば自分の生活に溶け込んでいるおっさんに何も思わなくなっていた。ちなみにおっさんの正体については依然わからず記憶が戻る気配も無かった。
そんなある日のこと、突然棘太の家に
玄関先でぎこちなく挨拶を交わす二人。
「棘太、久しぶり」
「あ、ひ、久しぶり。え? どうしたの?」
「ちょっとね、近くまで来たから。あと、これ、いつもの家の残りだけど」
針音は紙袋を見せた。中にはパンが入っている。針音の家はパン屋を営んでいて、以前から彼女はこうしてたまに差し入れと称して店のパンを持って来てくれていた。
「どうせちゃんとしたもの食べてないんじゃないかと思って」
「あ、ああ、そっか、ありがとう」
しかし最近棘太はなかなかちゃんとした食事を摂っている。
後ろめたさがあるのか棘太の笑顔がぎこちない。
そんな彼に針音が言い難そうに言う。
「それと、あのさ、こないだのことなんだけど、その、私も悪かったって言うか、あの、ちょっと言い過ぎたと言うか、変にムキになっちゃって、その、ごめん」
針音が俯き気味に照れを隠しながらも謝った時、ちょうど部屋の奥からエプロンハダカデバネズミのおっさんが顔を出した。エプロンにはハートマークがでかでかと描かれている。おっさんの趣味だ。
「おい、棘太今日の夕飯何食いたい? 和食か? 洋食か? それとも中華にするか?」
顔を上げた針音の動きが止まった。視線は一点を凝視していた。
「お、何だ? 浮気か? 俺と言う女房がありながら? なんてな、がはは! お前もやることやってんだなあ、邪魔なら出てくぜ、二時間でいいか?」
おっさんの声に棘太が煙たそうな顔を向けた時、針音の脳内ではすごいスピードで検索が始まっていた。針音と棘太は幼馴染のためお互いに両親含め親戚の顔も知っている。今針音が凝視している顔はそのどれにも当てはまらなかったからだ。
しばらくして固まっていた針音が検索結果を加味して今の状況に対して声を出した。
「あ、えと、ごめんなさい、えーと、私、お邪魔、でしたかな」
困惑で口調がおかしくなっていた。
「え?」
しかし針音以上に驚いたのは棘太だ。彼女の言葉もそうだが、そう言った針音が確かにおっさんをガン見していたからだった。
刺太の小さな部屋には奇妙な空気が流れていた。神妙な面持ちの刺太と針音、それと呆けたおっさんが車座になっていたからだ。
「つまり、えーと、ある日部屋に帰ってくると、この、お、おじさんがいて、それから二人の、生活が、始まったと。それと、このおじさんは、人間じゃなくて、妖怪だと、言うこと、ですか」
刺太は慎重に頷いた。何か誤解があってはいけないし、特に針音には正しく伝えておきたいと思っていた。
「そう、なるほど。わかった、うんわかったわ、それなら、そうね、まだ親戚だとでも言ってくれた方が良かったかな、うん。正直、刺太……
針音は完全に誤解していた。
「だー! 違う! しかも最悪の誤解してる! その、こいつ妖怪だから、急に家にいて、本当、本当なんだよ、他の人には見えないのにどういう訳か針音には見えるんだって!」
「ふふ、針山くん面白いですね」
針音が微笑む。見たことが無いような穏やかな表情だった。誤解が解けている様子はない。
「あー、どうしたら!? なあおっさん、おっさんも何か言ってくれよ!」
「んあ? ああ、つまりこの嬢ちゃんは俺とお前が恋の妖怪体操踊ってると」
針音がハッとした表情を浮かべる。
「恋……、やっぱり……」
「余計なことは言うな!」
「はいはい」
そう言うとおっさんは下を向いて毛を探し始めた。
同時に針音が立ち上がろうとする。
「じゃあ私そろそろ……」
「あ、待って、おいおっさん!」
するとおっさんが拾った毛を一本、二人の前に差し出した。
思わず二人その毛を凝視する。長く縮れた毛だった。
おっさんが姿勢を正し何やら気合を入れた。
「ぬうん!」
翳していた毛が二人の目の前でふわりと浮かんだ。そして毛はそのまま空中に止まったまま落ちてこない。
「え? 嘘、何これ、手品?」
素直に驚く針音。
「すげえ……のか?」
素直に驚けない棘太。
それぞれの反応を見ておっさんが声を出す。
「ほ」
その掛け声と共に浮かんだ毛が示した方向に動き出す。縦横無尽に、緩急も付けて。全てはおっさんの意のままに。それからしばらく毛は部屋中を飛び回った。
「おっさんこんなことできたのかよ……」
「一体どういうことなの……」
おっさんの能力に驚くも目を細める二人は同時に同じことを思っていた。
しかし見にくい。
それからもう一つ。
汚い。
さながら少し大きめの蚊を目で追っているようなそんな状況。
確かに不思議なのだがおっさんの凄さは二人にいまいち伝わっていなかった。
「じゃあ、あの妖怪のおじさんの記憶が戻るまで一緒に暮らすってこと?」
「ま、まあそう言うことになるかな。渋々だよ渋々」
何とか針音の誤解を解いた棘太はおっさんを部屋に置いて彼女を駅まで送っていた。線路脇の街路樹はすっかり色付いていて、街灯がその葉を照らす。
「はあ、なんか色々バカみたい」
溜息混じりのその言葉に棘太も笑うしかなかった。
少し二人黙って歩いたあと棘太が呟くように言った。
「あのさ針音」
「何?」
「俺、また漫画描いてるよ」
「……ふーん、そ」
あれから刺太はまた漫画を描き始めていた。
おっさんが居る日々。棘太にとっての一番の変化は気軽に漫画を見せられる相手が出来たことだった。おっさんは刺太の漫画を「つまんねえ」「くだらねえ」と言いながらもどれも真剣にそして読めることを嬉しそうに読んだ。小さくても確実にそれが棘太のモチベーションになっていたのだ。
棘太の言葉にそっけない返事をした針音だったが、しかし棘太からそらした顔は小さく微笑んでいた。今度はそんな針音が切り出す。
「私さ」
「ん?」
その時ちょうど脇の線路に電車が通る。
「覚えてるよ、約束」
「え、何?」
電車の音で針音の声は棘太には聞き取れなかった。
しかしそんな状況にも針音は楽しそうに少し前に駆けだす。そして振り返る。
「何でもないよ!」
針音は悪戯をした子供の様に笑った。
棘太もその笑顔には何にも言い返せなかった。何となくトゲトゲの毛がこしょばゆい。
棘太が針音に追い付きまた並んで歩き出した頃、針音が何気なく言う。
「あ、そう言えばあのおじさんさ、誰かに似てない?」
「似てる? 誰に?」
「うーん、思い出せないんだけどさ、どっかで見たことあるんだよねえ」
「芸能人とか?」
「うーん? 芸能人とかじゃなくて、もっとこう身近な感じで、うーん、思い出せないなあ」
そのあと、二人であれこれ考えている内に駅に着いてしまった。結局その疑問に答えは出なかった。
この日からおっさんを巡る関係に新たに針音が加わった。そしてこの日を境におっさんの作る食卓にパンのメニューも加わったのだった。
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