第33話 帰宅実況中継!
そうして早姫姉からの、過剰なアピールは続いて、いよいよゴールデンウィーク前最後の平日。
学校から帰って夕方、俺は翌日からの外泊に備えて、荷造りをしていた。
荷物を広げるには、二人いては手狭だ。早姫姉が帰ってこないうちに済ませようと考えたのだ。
一泊なら大した荷物もいらないが、二泊となれば結構にカバンは膨れる。
そもそもは一泊を考えていた。
だが、
「どーしても!」
と茜が縋るので、
「……どうしても?」
「ううん、どおおーーしても!」
伸ばし記号とともに、日数が少し伸びた。
シャツにパンツにと詰めていく。なんだか旅行に行く気分、というよりは巣立ちをする気分になっていた。
実家を離れる時にさえ感じなかった、一抹の寂しさがある。
あの時は、この部屋でゲームを堪能することしか考えていなかった。それが今や、たった数日離れることにさえ心が揺さぶられる。
もちろん今もゲームは大切だ。やるやらないはさておき、今回の連泊にも、とりあえず持参するレベルで好きだ。もはや酔い止めくらいには必須品である。
でも、オンリーワンではとうになくなっていた。
最初は追い出そうと思った。それがダメなら、婚活をさせようと思った。
でも早姫姉の気持ちを聞いて、俺の中からはもうその目標が消え失せてしまった。むしろ二人で暮らしたいとさえ思う。
けれど、彼女の思いに答えを出さないまま、ずるずる同棲をするのは違う。
だから、彼女のためにも、自分のためにも、確かめるのだ。俺の思いを。
カバンを閉める時、俺はそんな思いも一緒に入れ込む。
だが結局開けて、ゲームのソフトを厳選していたら
『明日、あたしの家の前に十二時ね!』
茜から、こうメッセージがくる。
了解、と返すと、スマホが二度りんりんと鳴った。
一つは、茜からの『もっと楽しそうな返事しろ〜』というもの。
そしてもう一つは、早姫姉からだった。
今夜は帰りが遅くなるのだろうか。何の気なしにそちらのトーク画面を先に開けると、大きなピースサインが液晶を支配する。
写真が送られてきていた。開いてみれば、早姫姉がカメラ目線でピースを決めている写真だった。
即保存ボタンを押す。処理中、スマホがしばし固まっている間に、
「いや、脈絡どこいった」
正常な思考ができた。たまにはラグもいい役目を果たしてくれる。
だが、やっとうまく働き出した脳細胞を嘲笑うように、写真は連投された。
えっ保存……! ではなくて、物申さなければなるまい。
『なに、どうしたの。自撮りにハマったの』
『今から帰るから送ったの! 今からお姉ちゃんの帰宅路実況するよ〜』
バカな、なにを言ってるんだ、この人。
『今どこなの』
『バスの中! 夜遅いから歩きは回避♪』
と、息をついたすぐあと、写真がまた数秒ごとに送られてくる。
角度がほんの五ミリずつしか違わない。アニメのコマ割りみたいな勢いだ。
スマホが壊れそうなほど通知音を連発するので、俺は通話ボタンを押す。
が、コール音が始まる前に切られる。
『今からバス乗ってるからだーめ! みんなの迷惑でしょ!』
『自撮りはいいのかよ』
『周りに気を配りながらやってるもん』
と、次に来た写真の構図は、なかなかに不健全なものだった。膝上に置いて撮ったらしい。ローアングルから、捲り上げるそのショットは、くびれも胸もどーんと強調している。
なにより、顔が絶妙にぼやけているのがダメだ。イケないサイトでよく見る、「サキ(26) テル待ち」的な、いかがわしい写真みたくなっている。今どこかでスマホを落としたら、俺がお縄になるまでありそう。
即刻やめさせなければ。
『どうしてこんなの送ってくるんだよ』
『だめ?』
『だめだ。誰かに見られてたら困るだろ』
こう送ると、しばらくメッセージは途絶えた。
安堵した、数秒後。
「別にいいじゃんかー! お姉ちゃんの勝手でしょ!」
今度は動画になった。
高い位置から、顔を中心に映っている。
背景は夜道だ。どうやらバスは降りたらしい。声のほかに、ざっざっと足音がする。
周りは誰もいなさそうだが、スマホを掲げながら歩くのは危険すぎやしないか。
そう思った矢先、通話が切れる。
一流のプラグ回収士だ、早姫姉は。こんなにもすぐになにか起きないぞ、普通。
俺は再び電話をかけるが、今度はコール音が鳴り続ける。
本当に、なにか事故でもあったのかもしれない。
悠長に待ってられず、家を飛び出す手前まで行った頃に、やっと通話が繋がった。
「頭打った。いたい」
「自業自得だ。……迎えに行こうか?」
「ううん、もうマンションの前だからいい。血も出てないし」
電話が切れる。
ポケットにしまったと同時、また携帯がうるさく俺を呼ぶ。
茜からの、いわゆるスタンプ爆撃だった。
クマのスタンプで、全て真顔。セリフは「……」が段々増えていくという、脅迫用に作られたとしか思えないスタンプだった。
『楽しくないだなんて思ってないっつの』
それに対処していたら、姉が帰ってくる。
頭を抑えながら、涙目を浮かべていた。ふらふら俺の方へ近づいてくると、方向をかえて、ベッドにばたり。
よほど痛むのかもしれない。
「大丈夫か? 病院いくか? そこまでじゃないなら包帯買ってくるけど」
「……そうじゃない」
「あー、ついでにプリンでも買ってくるよ」
「そうじゃないの! ……頭は、いうほど痛くない。変なことして勝手に自滅したのが馬鹿みたいでね。なんというか、自己嫌悪」
自撮り、帰宅実況のことだろうか。
「……ちなみに、なんであんなことしたの。実況なんて真似」
「……明日からさ、こうくんに会えないでしょ?」
二日間ではあるが。
まるで根性の別れをするかのような、調子で彼女は言う。
「こうくんに私を忘れられないようにしようと思ったんだ。写真があったら、ちょっとは覚えてくれるかなぁって」
「……そんな理由かよ。って、それなら、明日送るべきなんじゃ?」
「…………あ」
呟いたきり、彼女は恥ずかしさが極まったらしい。毛布の中へと逃げこむ。
早とちりすぎる。バカでもやらないようなポカだ。それだけではない。少しむかっともしていた。
「だいたい、二日で誰が忘れるんだよ。早姫姉は俺を忘れるのか?」
「そんなわけないよ。五年離れてても覚えてたよ」
「だろ。……それと同じだ。だいたい、撮るなら二人で撮った写真の方がーー」
俺は何を言ってるんだろう。
口に任せるまま、とんでもなくキザなことを放たなかったか。そのうえ、まるで二人の写真が欲しいと願っているみたいだ。
顔が急激に火照りだす。くそ、早姫姉が布団を被っていなければ俺が入れたのに! とにかく顔を逸らしていたら、
「ね、こうくん。こっち」
「……えっと?」
「こっちきて」
相変わらず布団を被ったまま、早姫姉は指先で小さく、おいでおいでと手招きする。
「写真とろっか、ここで。二人の写真」
「……なんで布団の中?」
「特別な人じゃないと同じ布団には入らないでしょ? だから、こっち。行かないなら、私から行くよ」
毛布の両端が不気味にはためく。
怪人 毛布ちゃんに襲われるよりは、自分から投降する方が賢明そうだ。
俺は、毛布をめくる。
「なんか、ベールみたいだね。新婚さんの」
戯言でも、性懲りなく、ドキッとしてしまう。それから、少し想像をした。早姫姉が新婦として、父親に連れられている姿だ。母や叔母など親戚も総出で、それを涙ながらに見ている。
俺は、俺はどこにいるのだろう。観覧席か、それともーー
はっと息を飲んだ。思い切って、毛布をくぐる。早姫姉はすでにカメラを構えていた。
「こ、こうかな」
「早姫姉、下手くそ。俺がやるよ、少しはできるんだ」
ぴちぴちの男子高校生だから。いや、茜に教育されているから。
スマホを借りて、片手を斜め上に伸ばす。インカメに写るは、仲良く毛布をかぶった男女だ。
なんだかおかしくて、少し笑う。早姫姉もくすっと、表情を崩した。
そこでシャッターを押す。
「……すごい! こうくん、天才!? はっ、実はJK!?」
「DKだ。……まぁ、これくらいはできるもんなんだ」
いくらなんでも、茜の名前を出さない。
「大事にするね、この写真!」
「……トップ画とかにはするなよ」
「うん。心得てるよ、その辺は。……ねぇ、こうくん。明日の準備はしたの?」
「うん。終わらせたよ」
「そっか、早いね。楽しみにしてるんだ?」
早姫姉はぷくりと頬を膨らませる。唐突に、腕を突き上げた。
「急になに!?」
布団から抜けた彼女は、答えず、俺の膨れた鞄に手をかける。チャックを開けて、ぽいっ、と内容物を投げた。俺のシャツがまず空を飛ぶ。見事なジャンプだった。
「ちょ、早姫姉!?」
「やっぱり行ったらだめ!!」
「この期になって言うのかよ、それ!」
「いつになっても言います!」
あぁ俺のTシャツが! よりすぐったズボンが! 旅行用の寝巻きが!
めちゃくちゃに散らされていった。俺は、ゴールキーパーよろしく右へ左へ翻弄される。
「それと、持っていくなら、もっとダサいやつにしなさいっ! そうだ、お姉ちゃんの前の私服貸してあげるよっ」
「誰が着るかよ、あんなの!」
「ひどい。あんなのって言った! 私、大学にきていってたんだよ」
「あれを!? ……そりゃ友達できねぇわ、って待って、やめろ、俺のパンツをどうする気だ!」
早姫姉は、まじまじと舐めるように見る。
「それは絶対に持って行かなきゃいけないんだ。だから大人しく返して、って、ポケットにしまうな!! 匂いを嗅ぐな!!」
さすがにゲームだけは床にそっと置いてくれたが、後のものはどんどん玉入れ感覚で投げられる。パンツは両ポケットにしまわれる。
散々やられて、バッグはすっからかんになった。……Oh,my god.
結局、三十分かけて、こしらえ直した。
早姫姉は、まだふんとむくれていた。教師とは到底思えなかった。
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