第32話 鬼教師の授業




午後の授業は、英語からだった。

教壇に立つは、早姫姉。びしばしと、黒板が悲鳴をあげそうな勢い、指し棒で英文を示す。

クラスメイトは、みな刮目して授業を受けていた。ギラギラぎんぎんである。午後一、普通なら絶好のお昼寝タイムだ。社会の授業なら、半数は倒れている。

が、英語だけは話が違う。全員必死の形相、机から身を乗り出している。万が一まどろんでる奴がいようものなら、


「おい、話ちゃんと聞けよ」


近くの席のやつがそれとなく注意をし、自浄作用が働く。

組織の理想の形であった。

どうやらクラスメイトは、早姫姉、つまりは首領の復活に酔いしれているらしい。


「先生、最近は一段とキレ味鋭いんだからな」


たしかに校外学習の前と後では、一層と迫力が増した気がする。

カッとチョークが砕け散って、反射的に教壇を見る。

鬼教師と、目が合った。その眼光には鋭利なきらめきが宿されて、烈火の如く英単語を……って、あれ、目角が丸くなった。


「じゃあ、この問題。よ、よ、吉原くん、前へきなひゃい!」


なんか当てられてしまった。それに、どうも様子がおかしい。へなへなしているし、思いっきり噛んでる。

俺は言われた通り、教科書を握って黒板の前へ。

……で、なにするんだっけ?

チョークを握ったはいいが、なんの問題だかさっぱり分からない。クラスに不穏な空気が漂いだす。

禁忌を犯したものには裁きを、そんな圧さえ感じた。それを受けてか、鬼教師はつかつかと近寄ってくる。

折檻されるのかと思えば、


「こうくん、授業はちゃんと聞いてよ? 五十ページの三番だよ♡」


こっそり耳打ちしてくる。とても愛らしい、声だった。


「な、なっ」

「ごめんね、ちょっとお喋りしたくなって呼んじゃった」


おかしいな、授業中のはずなんだけど。しかも、教卓の前はいわばオンステージ。


「……危ないだろ、そういうの」


俺はなるたけ声を抑えて、伝える。


「だって見てたらちょっとでも話したくなっちゃって。ほら、答えはシュッドだよ」

「……答え教えてくれるんだな」


まぁまるで全く分からなかったので、助かるのだけれど。

教師としてはどうなんだろう。褒められたものじゃないとは思う。


俺は教えてもらった通り、英文の真ん中空いたスペースに書きつける。


しれっとした顔で後方の席へと戻るのだが、教室はざわざわしていた。


まさか、今のやりとりを聞かれた? いやいや、さすがにそれはないだろう。

かなり声は潜めたし、このクラスメイトたちは、いわば中川先生の信者なのだ。最底辺にいる俺と、どうこうあろうなんて気付くまい。

そうして席に戻ったところで、ざわめきのわけは知れた。


「せめて、英語で回答しなさい、吉原くん」


カタカナのまま書いてしまっていた。


……やべ。早姫姉に気を取られすぎた。


再度、教壇へと呼び寄せられる。

今度こそ怒られるかかもしれない。恐々としていたら、早姫姉は後ろから忍び寄ってくる。俺の開いていた教科書に、紙切れを一枚挟んだ。


『可愛い。そんなところも好きだよ!』


一瞬で教科書閉じたよね、もう。

学校で、告白まがいなことしていいのかよ! 先生の誇りはどうした。

これもアピールの一環……? なりふり構わなさすぎないか。

俺は早姫姉に視線で訴えるが、それはスルーされる。


「吉原くん、英語を書きなさい」


まさか、「この人、先生なのに授業中に愛を告げてきます!」とは告発できず、俺は仕方なく英語でシュッドを綴る。

今度こそ決まったはずが、帰りがけ、茜に鼻で笑われた。


「shouldも書けないようでは困りますよ」


大きく赤のチョークで、バツがつく。


「先生と一緒に留年しますか?」


早姫姉はにっこり笑いかけて言った。

天使としか言えない笑顔だった。事前情報なしに見たなら、誰もが数秒は心臓を止められただろう。



だが、生徒らには恐怖のイメージが植え付けられているので話が違う。


たぶん全ての言動が恐ろしいものに見えているのだろう。クラスメイトは、おしなべて目を伏せていた。

…………というかこの人、マジで言ってる可能性があるから怖いな?


一緒の時間を過ごしたい、なんてめちゃくちゃな理由で留年させられるんじゃね?


さぁっと血の気が引いてから、やっと思い至る。


うん、俺ならなにもしなくてもきっと、高校生活を五年は送れる。

まぁ早姫姉と一緒にいられるならそれもいいかなぁ、なんて少し思ってしまった。馬鹿万歳だ。


「ゴールデンウィークは勉強漬けにしよっか、幸太」

「……うるせーよ」


講義が再開した頃、俺はこっそりさっきもらった紙切れを広げる。


他意なく、もう一度読み直すだけのつもりだったが、文字が裏移りしていた。

ひっくり返すと、『お弁当の件について』。長文での謝罪だった。びっしり小さな文字が、弁当箱のスクランブルエッグよろしく詰まっている。


取り急ぎ、俺は授業後に集めることになっていた提出物に返事をしたためる。


『可愛いのはどっちだよ』


と。

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