第31話 「あなたが好き!」と君が言ったから、今日はたまご記念日。



翌日も、早姫姉のアピールは止まることがなかった。

朝、俺の寝ぼけ眼を一気に冷めさせたのは、ローテーブルに燦然と並んだ食事だった。

といって、英国王室御用達レベルとかいうわけじゃない。

なんと驚くべきか、ごくごくシンプルな焼き鮭定食が並んでいたのだ。早姫姉の十八番、やけ酒、ではない。ちゃんと焼き鮭だ。

それも妙な味付けもなされていないようだった。シンプルに、鮮やかな深いオレンジ色を指定。


「……レトルト? 缶詰?」

「こうくんってば失礼しちゃう。お姉ちゃんが焼いたの! ほんとだよ」

「ほんとに? こんな綺麗に?」

「ふふーん」


早姫姉は誇らしそうだ。オレンジのエプロン布が、大きな胸で目一杯押し上げられている。

だがすぐに、


「まぁ焦げは削いだけどね、一回砂糖掛けて水洗いしたけど、うん。きっとセーフだよね……」


ごにょごにょ口を窄めていた。

過程を聞くと今まで通りだが、ひとまず結果だけを見れば大進歩に見える。

さらに驚いたのは、別皿に鎮座した玉子焼きである。ややぼろっと茶色っぽく、苦戦のあとは見えるものの、しっかりと直方体の形をなしていたのだ。

感涙ものである。

俺は布団から跳ね起きて、とっとと支度を済ませる。さらに泣かせることに、その間に味噌汁まで注いでくれた。

皿は一つずつ、俺の分だけだ。


「あれ、早姫姉は食べないの?」

「うん。作りながらちょっと食べちゃったからさ。それより、ほーら! 食べてよ」


ん、と箸も据えてくれる。


「た、た、食べさせてあげよっか!」

「……いいよ、赤ちゃんじゃあるまいし」

「えっと、でも! 今ならお姉ちゃんのボイス付きだよ!? 目覚ましになるよ!」

「なにそのハッピーセット。いいってば」


魅力的ではあるが、姉の手が恥ずかしさのあまりだろうか震えていたので、断った。朝からちゃぶ台がひっくり返りそうだ。トラブルは水だけにとどめたい。

自分で箸を動かし、まず玉子焼きからいただく。


「……美味しい」


唸ってしまうほどだった。ちゃんと玉子焼きだ。和風出汁がよくきいているし、醤油もほどよい。やや固かったり、味が偏っていたりはあるが、そんなことを指摘するのは小姑だけで十分だ。

十二分によくできている。


「早姫姉、これどうやって?」

「ネットのレシピ。すごい忠実にやってみたんだ!」


簡単、簡単♪ 彼女は、高い鼻をつんと尖らせ鳴らす。

盲点だった。最初からレシピをこれでもかと見せておけばよかったのだ。

他の料理も普段の居酒屋風は何処へやら、全てきちんと朝ごはんの味がした。

俺はゆっくりと堪能する。早姫姉は、それだけの光景をずっとニコニコ見ていた。


「こうしてるだけでお腹いっぱいだよ、お姉ちゃんは」


こんな可愛いことを言って、俺が完食するのを見届ける。


「お弁当、置いてるからね!」


それから、駆け足気味に出て行った。

……これは、早姫姉評価シートの点数見直しも考えるべきかもしれない。四点はあげるべきではないか。


思いながら、俺は皿洗いをする。膨れ上がった三角コーナーを見て、はたと今日がゴミの日だと思い出した。

早姫姉はどうやら忘れていったらしい。たぶん、ご飯作りに一点集中していたのだろう。


「まぁこれくらい、いいけどね」


あれだけの朝ご飯を出しておいてもらって不平などない。

俺は、家中のゴミ袋をまとめる。キッチン横のポリ袋を取り替えていて、見つけた。

卵の殻が、大量に包まれている。玉子焼き一つ、という分量ではない。軽く五つは作れそうだ。


そういえば早姫姉は作りながら食べた、と言っていた。

もしかしたら、あの玉子焼きは、とんでもない努力の末にできたものなのかもしれない。

それも、俺に食べてもらうためだけに、自分は焦げたものを食べていたんだとしたら。


そう思うと、じんと胸の奥が熱くなった。





ゴミ捨てを済ませて、学校へ行く。

昇降口で靴を履き替えながら、早姫姉はもういるだろうか、と職員室を気にしていたら、肩を叩かれる。


「よっ、昨日ぶり!」


覗き込んだのは、茜だった。

どこへ行くわけでもなかろうに、今日もまた一段と気合の入ったスタイルだった。ハーフアップにした金髪を、後ろで団子結びにしている。

まさしくギャルだ。あとはタピオカチーズチャイティーを飲んでればフルコンボなのだが、その手に握られていたのは、たまごパン。

正確には、『たっぷりエッグえぐみパン』。うん、商品名はギャルっぽい。

たまごが口の端についているのは、うん、子どもっぽい。

俺は、自分の唇をとんとんと指差す。


「……ん? キスしていいの?」

「ば、ば、ばか! ちげぇよ、誰がこんな朝からそんなこと言うんだよ」

「そのカンジだと、朝じゃなかったらいいんだ〜。いいこと聞いた」

「そうじゃない。じゃなくて、黄色いの、ついてるから」


ぴくっと、茜は一度目をしばたく。それから、にやっと笑みを宿して、小さな舌でペロリと舐めとった。

いちいち、ギャルポイントを稼いでくる。正直、男としてはグッときた。貧乳なのがなおよし。

だが、こんな場所で繰り広げていては、視線が痛い。朝のクソ忙しいときに、人がこんなことをしていたら、俺なら一回は刺している。

俺はその辺で切り上げ、階段をのぼる。

数段下がって、茜はついてきた。なんとなく気負うことがあるらしい。


「で、考えてくれた?」


主語はなかった。

もしかすると、俺がシラを切れるように、逃げ道を用意してくれたのかもしれない。

変なところで気が回るやつだ。


「行くよ。……その、お世話になります」


だが、俺は自ら退路を断った。階段を上がり続けながら言う。

足音が一つになった。見れば、茜は踊り場で立ち止まっている。


「どうした? 茜?」

「すっごい嬉しくて。それで」


茜はついにしゃがむ。両手で頬をぐにっと押さえて、にへにへ笑う。

ギャルじゃない、笑うのが下手な、クラスに馴染めない乙女が帰ってきているようだ。


「ごめん、あの、嬉しすぎたら足って動かなくなるみたい。知らなかったな〜」

「どういう症状だよ、それ。……たまごのせいかもよ。タンパク質の取りすぎだな、きっと」

「じゃあこれ、幸太にあげる。あーんして」


茜は外袋を破り、パンをくねくね縒りあげる。

最近、茜は大体なんでもくれようとするから、その誘いには少し慣れた。

だが、「あーん」には、あーんまりにも距離がある。そして、あんまりに低い。

俺は降りていって、彼女の腕を引いてやることにした。

あーん、というより、無理やり詰められた。

たっぷりとだ。いったい何個目だろう。

今日は、たまごと縁があるようだ。



そして、その縁は、お昼にも。

持ってきた弁当の包みを開いたら、入っていた弁当箱が早姫姉のものだったのだ。俺のものより、ひとまわり小さい。

開けると、一面、真っ黄色だった。米の代わりが全て、全部スクランブルエッグという魔のお弁当配置だ。


ここまでしてくれようとしていたとは。

今頃、早姫姉は弁当を取り違えたことに気付いて、職員室で悶えているかもしれない。


「食べちゃダメ!」


とぷんすかする早姫姉を思うと、ペロリと食べられた。

今日はたまご記念日。



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