第29話 こすくないよ。だって本気だもん。



たしかに、なんでもするとは言った。

なんでも、と言ったからには、あらゆることだ。

でも、考えていた「なんでも」はせいぜい、パンの買いっ走りくらい。

茜の家にお呼ばれするだなんてのは、ランキング圏外もいいところ、大気圏の外の話だった。

家に帰ったあと、俺は一人、頭を抱える。


「……なんでも、は言い過ぎだろ、昔の俺」

『全くよ! 発言には責任持ちなさいっ!』


ゲームのヒロインに、痛烈に叱られてしまった。

ツンデレキャラだけあって、言葉が少々鋭利だった。俺のお豆腐メンタルでは耐え難く、ゲームを一旦中断する。


「そうは言ってもなぁ」


よしんばツンデレちゃんのお叱り通り、責任を持って茜の家に泊まるとして、だ。

早姫姉に申告せねばならないのが鬼門だった。ストレート に言って、早姫姉が認めてくれるとは、到底思えない。

こういう時、言い訳に使える悪友がいたらよかったのに。やっぱり、ぼっちは生きづらい。

けれど、そもそも早姫姉に心に決めた人がいるなら、俺がどう行動しようと勝手だろうとも思った。

我ながらその考えに少しいらっとして、


「……訳わかんねーな」


そう呟いたまさにその時、ガチャリとドアノブが回る音がした。

どきりと胸が鳴る。その、早姫姉のご帰宅だった。


「ただいま〜、こうくん」

「お、おかえり」


彼女は玄関でパンプスを脱ぐと、すぐベッドへダイブする。


「今日は疲れたね〜、お買い物に観光に!」


枕に埋もれた顔をぐいっと上げた。それから膝下を打って、跳ね起きる。


「だめ、寝ちゃう〜。ご飯の用意するね! お腹すいたでしょ?」

「あ、あぁ」


京都で見た彼女とは、別人のような振る舞いだった。

物思いにふけるような様子は一切ない。いつも通りの彼女だ。

振り切れたならよかった。早姫姉が楽しいならそれでいい。


「なぁ早姫姉。言ってた大事な人って誰」


と、そう思えるほど聖人ではなかった。

今度は、俺がすっきりしない。

早姫姉は、玉ねぎを剥こうとしていた手を止めた。


「あー、あれね。よし、いい機会だからちゃんと話すよ」


早姫姉は、座布団を二枚向かい合わせに敷くと、その片方に正座する。俺も同じように、姿勢をピンと正した。

気分は、結婚報告を聞く親父のそれだ。決して快くはない。


「私の大事な人なんて一人しかいないよ」


それは一体? 早姫姉の交友関係にそんな結婚を考えるような人がいただろうか。

俺は湧いてくる唾を全部飲み下して、運命の瞬間を待つ。


「もちろん、こうくんのことだよ」


不安も期待も、裏切られた格好だった。


「え? 俺?」

「うん。私が大事なのは、こうくん一人! それ以外にいるわけないよ」


早姫姉は、屈託のない好意を顔に広げる。

俺は、全くついていけない。浦島太郎の気分だ。


「じゃあ茜に言った素敵な人、って言うのは嘘?」

「ううん、嘘じゃないよ。彼氏だなんて一言も言ってないもん。それに、誰も、こうくんじゃないとも言ってないよ?」

「……なんて、こすい」


つまりは、言い回しでだまくらかしたわけだ。

教師が生徒にやっていい所業とは思えない。


「こすくないよ。だって本気だもん。こうくんは、私にとって大事な人だよ。マジと書いて、ほんき」

「格好いい、とか優しいとかって言ってたのも?」

「うん! こうくんは、格好いい、優しいじゃん。私のいろんなことも知ってくれてる。あのね、こうくん。もう、はっきり言うよ」

「……どうぞ?」

「緊張するから、ちょっと借りるね」


早姫姉は、膝の上にあった俺の甲の上、熱い手のひらを重ねる。


「あのね、お姉ちゃん、色々考えたんだ。今日は色々あったでしょ? それで、私はどうするべきなのかなって。でも、もう決めたの」


伝わってくる脈拍は、かなり早かった。強い拍動が掌を打つ。


「うん、言うよ。私、言う。早姫は強い子だもん。二十五年、お一人様で生きてきたもん。いけるよ、無駄に歳食ってないもん。いい歳の取り方してるもん」


徐々にいちごみたいな顔になって、ぼそぼそ言ったと思ったら、


「……あの、お姉さま?」

「こうくん!!!! 聞いて!!!!」

「は、はい!!」


今度は、耳を貫くほどの大声だ。

早姫姉の指に力が籠る。爪が少し食い込んで痛い。

が、そんなことはすぐに気に掛からなくなった。


「私、こうくんが好き!! 恋愛対象として、一人の男の人として好きなの!」


告白された、らしかった。俺は開いた目が閉じなくなる。


「私、今日決めた。こうくんのお嫁さん目指すよ! これからはもう遠慮しない。親戚だけど、先生だけど、気持ちは一緒だもん。坂倉さんにだって絶対負けない」

「……ち、ちょっと待って」

「待たないよ! ……もう五年も待ったんだよ? 女の子の五年ってすごい長いんだ。輝けるのなんて若いうちだけだもん」

「……俺はそう思わないけど」

「な、な、私が喜ぶこと言ってれば話逸れると思ったでしょ!」

「……早姫姉が逸らしたんじゃ」

「そういうのを逸らしてるって言うの! いいから、こっち見て!」


押し倒される。お酒を飲んでいるわけでは…………ないらしい。

目は座っていないし、息も臭くない。


「返事は!? こうくんは私のこと好き!? お姉ちゃんとしてじゃないよ」


懸命さの伝わる、尖った目をしていた。唇が震えている。


「俺はーーーー」


今日は難しい問いが多すぎる。

模範解答はなくはない。親戚だから恋愛対象には見れない、だ。

けれど、俺にそれを使う権利はない。少なくとも一度は彼女に恋をしたのだ。

今だって、ただ封じ込めてるだけじゃないのか。倫理や常識で蓋をして、見ぬふりを続けているのではないか。その下をめくるのを恐れているだけじゃないのか。

俺の深淵にあるのは一体なんだ。


「ごめん。急だったよね……。忘れていいよ、ごめんね。あはは」


早姫姉が俺の手をぱっと離す。髪を後ろに纏めながら、身体を起こした。目を切なげに逸らす。


「やっぱりお姉ちゃんにしか見れない、よね? いいの、それが普通だよ」


俺は衝動的に、早姫姉の手首を掴み返していた。


「むしろ、ただのお姉ちゃんだなんて見れるわけないだろ」

「へっ、こ、こうくん?」

「そんな風に思ってたのなんて、ほんとの最初だけだ。それからずっと俺は早姫姉のこと、ただの親戚だなんて一度も思ってねぇよ」


心の蓋を少し開けただけで、漏れ出した本音だった。


一人暮らしをしたいから、とか、姉に彼氏を作りたいから、とか。王子様にはなれないから、魔法使いになるだとか。

それらは結局、建前でしかなかったのだ。早姫姉をどうにか意識しないでいるための、いわば防御壁にすぎない。

綺麗なお姫様に靴を履かせるだけで、全く心を惹かれない魔法使いなんていなかろう。

それに、魔法使いはそもそも、王子様になりたかったのだ。


「なぁ早姫姉、一つお願いがある」


でも今、俺はどうしたいのだろう。

今も、王子様になって二度目の靴を自分が履かせたいのか俺は。

そこまでは、まだ確信を持てていなかった。


「今度のゴールデンウィーク、茜のところに泊まってもいいか」


だからこそ、確かめねばならない。それには、茜からもらっていた話は、持ってこいだった。

一度、早姫姉の元を離れてみて、自分の思いを考える必要がある。


「それって、こうくんは坂倉さんが好きってこと?」

「そうじゃない。そうじゃないけどーー」

「……いいよ。こうくんがしたいようにしたらいい。でも、私ももう遠慮しないからね!」


早姫姉は俺の腰に手を回す。それからそっと、俺の頬にキスをした。

一瞬、世にも甘美な、柔らかい感覚が当たる。

なにがあったのか分からなくなって数秒。あとから、一気に顔が火照り始めた。


「な、な、なっ、さ、早姫姉」

「じゃあ私ご飯作るね!」


早姫姉はすっと立ち上がる。

俺はといえば、足から下に全く力が入らなくなっていた。

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