第22話 お姉ちゃんはやきもちを焼く。【二章ラストです】



やらかした自覚は、明白にあった。

トッピング盛り盛りの鯛焼きをお土産に買っていったところで、収まらない話だろうとも思う。

とはいえ、俺の家はこのワンルームしかなかった。鍵を差し込んだところで少し躊躇するが、扉を開ける。こんなところで夜分に突っ立っていると、通報されかねない。


「……いないのかよ」


中はなぜか真っ暗だった。早姫姉はまだ帰っていないのだろうか。

そう思いながら靴を脱ぐ。闇に目が慣れてくると、ベッドの上がこんもり膨らんでいるのに気がついた。

帰っていないどころか、もう布団の中にいるらしい。


「早姫姉……?」


返事はなかった。

電気をつけるのも申し訳なく思えて、俺は暗闇の中、ベッド横のソファに座る。


毛布は、ずっとごそごそと動いていた。中でスマホでもいじっているのか、少しだけ明かりが透けて見える。


「ただいま」


反応はない。


「早姫姉だろ。いつも礼儀正しく、って言うの。生徒に散々言っといてそれかよ」

「……おかえり」


ここでやっと返事があった。やっと耳に届くくらいの小さな声だ。

かちかちと鳴る、ボタンを押すような音の方が大きい。……ん? それにしてもこの音、聞いたことがある。


「早姫姉、もしかして俺のゲームやってない?」

「……なんのこと」

「絶対やってるだろ」


俺はベッドの方を向き、毛布をめくる。

中には、くるんと身を丸めた猫がいた。だが、にゃーんとは言わない。


「やってないもん」


と、口を尖らせながら、文句を垂れる。その癖に、手元にはゲーム機がしっかり握られていた。


「ちょっと貸して!」

「あっ、いいところなのに!」


なんとか奪ってデータを見てみれば、なんともうヒロインに告白する手前まできていた。

じっくりとここまでプレイしてきたはずの『夏色マジック』。やっと中盤に差し掛かって、


「ここからがより泣けるの〜」


と、星さんが号泣しながら進めてくれたヒロインごとの個別ルートに入るところまできていたというのに。


「めちゃくちゃいいお話だった〜……。あのね、ヒロインのちひろちゃんがーー」

「それ以上言うな!! 頼む、後生だから!!」

「……幸せそうだったなぁ、二人とも。住んでる場所なんて関係ない、とか兄妹でもいいとか。それに比べて私ときたら……うぅ……」

「は、はぁ?」

「こうくんは私なんかより若い子の方がいいもんね。開放的な女の子の方がいいよね、私でもそう思うもん。お姉ちゃんで先生で年増ってそんな面倒くさい人選ばないよね」


話が全く掴めない。つらつら、つらつら垂れ流される。


「……ちょっと待てって」

「……なによ。可愛い彼女の自慢話ならお姉ちゃん聞かないよ。AとかBとかCとか、キスとかにゃんにゃんとかぜーんぶ無視するもん」


あ、本当ににゃんって言った。文脈はまるで違うけれど。

それだけ恨みがましそうに言って、早姫姉はまた布団の中へ籠る。枕が、こちらへ放り投げられた。反射的にキャッチして、鯛焼きの入った袋には被害は及ばなかった。

ここまで分かりやすいと、首を捻るまでもない。

どうやら拗ねているらしい。俺はふうっとため息をつく。


「茜のことなら、彼女じゃないって。幼馴染なんだ。それに、別にデートでもない」

「……ほんとに? ほんとにデートじゃないの?」

「そうだよ、デパートでも言ったろ。聞いてなかったかもしれないけど」

「でも坂倉さんデートだって言ってたもん」


切なそうに声が消えていく。

早姫姉は、頭をひょっこり毛布から出していた。

ばさりと毛羽立っていた長い髪をまとめてやって、手櫛をかけてやる。うー、うー、と唸るあたり本当に動物のようだ。


「……それは茜が勝手に言ってただけだよ。ギャルのお戯れだ」

「でも二人で下着見てたもん。次はどれ着て、にゃんにゃんするか、って話してたんでしょ」

「ご、誤解だって」

「私の方が胸大きいのに。まぁ私の方が歳も大きいけどね、……あはは面白いでしょ、あはは」


暗黒面が覗く微笑だった。茜の言葉を借りるなら、全くウケない。

俺はため息をつく。

これぽっちも、年増だなんて思っていなかった。むしろ魅力的すぎて、一緒に暮らしているだけで、いけない気持ちが生まれそうになるくらいだ。


「わーい、ばんざーい、おばさんまっしぐら〜」


だめだ、完全に堕ちている。

人間に戻ってもらうためには、種明かしをするしかなさそうだった。


「早姫姉の服を選ぶためだったんだよ」

「…………どういうこと?」

「この間、服が幼いからって恥ずかしがってただろ。だから、俺が早姫姉の服を買おうと思ったんだ。

でも、女子の服のことは、俺も全然わからない。それで茜にアドバイスを貰うつもりだったんだよ」


話していて照れくさかった。早姫姉に背中を向けて言う。

今まともに顔を見られたくない。きっとかなり赤いだろう。電気がついていなくて助かった。


「…………じゃあ、私のため?」

「そ、そんなところ」

「ほんと!?」


がばっと早姫姉が跳ね起きる。驚き振り向いて、暗闇の中、きらりと光る目と視線が合ってしまった。四つん這いで身を乗り出している。揺れた髪が首筋にかかって、こそばゆい。


「うぅ、こうくん、ずるいよっ! ずるい、今そんなこと言われたら、もう、お姉ちゃんーーーー。……うぅ、そんなこうくんには、こうしてやるっ!!」

「……うおっ!? なにするんだよ!」


なぜか、頭の上から布団が降ってきた。

もがいた結果抜け出すと、すぐ横に早姫姉の顔があった。


「ねぇこうくん」

「…………な、なに?」

「この前お出かけはしない、って言ったじゃん? ……やっぱり、私、こうくんとお出かけしたい。私もこうくんに服選んで欲しいよ。私もこうくんとデートしたい」

「……でも、その、あの私服じゃ出歩けないんじゃないの」

「そんなことはいいの! うぅ……でも、やっぱだめ!」

「どっちだよ。次一回服買うときだけ、スーツでいくか?」

「…………それなら一個だけ、いい方法があるんだ。聞いてくれる?」


もちろん家の中には、他に誰もいない。けれど、早姫姉は唇を俺の耳に寄せる。


「あのね……」


くすぐったい感覚と吐息とに、心臓がどきっと高鳴った。いい匂いに気を取られていたら、軽く柔らかいものが耳のひだに当たる。

半分ノックアウトされかけながら聞いたのは、


「……いや、いいの、それ」

「私はいいと思ったんだけど、どうかな」

「でも、さすがにそれは」


こう言いたくなってしまうような、斬新なアイデアだった。

たしかに理論上は間違っていないかもしれない。ただその通りにうまくいくイメージがわくかというと、危ない未来が待っている気がする。

けれど、


「……そっか、そうだよね。私じゃこうくんとデートできないよね。だって親戚だし先生だもんね」


あからさまに萎れた早姫姉の様子を見ると、


「……いいよ、それで」


つい、こう口をついていた。

早姫姉は俺に甘いけれど、俺も大概甘すぎるなと思った。


「ほんと!?」


早姫姉がぎゅっと俺の顔をかき抱く。ふにゅんと左半分が埋められたのは、この世のものとは思えないほど柔らかい谷間だった。

どういうわけか、生々しく肌と肌が擦れ合う。

胸なんて脂肪の塊だと言い聞かせたところで、鼓動ははやる一方だった。

ここらで終わらせなければ、発作でも起こしてしまいそうだ。


「た、た、鯛焼き買ってきたんだ。食べる? クリームに抹茶にメープルにナッツ、全部乗っけたんだけど」

「うんっ! 食べる!」

「元気になるの早すぎない? 高低差ありすぎだろ」

「だって、こうくんとデートできるんだよっ♪」


姉は、すっかり息を吹き返していた。

少し早まったかもしれないな、と思う。

だがまぁ立ち直ってくれることが一番なのは、違いない。狭いワンルームだ。同居人が辛気臭いと、こちらまで暗い気持ちになるのだから。姉には楽しく過ごしてもらいたい。


それに、俺なんかとデートすることを喜んでくれるなら、別に何度したっていい。

よく考えれば、デートをすること自体、彼氏を作るためのいい予行演習にもなる。

それに、二人でどこかへ行けるのは、こちらが嬉しいくらいだ。


「早姫姉と出かけたのって、俺が五年生の時、島の海に行ったきりだっけ」

「……あ、そっか。そうなるね。もうそんなに前かー。楽しかったなぁ、今でも思い出すよ」

「うん。俺もたまに」

「そうなんだ? お姉ちゃんだけじゃなくてよかった」


あの夏は、記憶の中で、未だに燦々と輝いている。叶わぬ恋と悟っても、砕け散って数年が経っても、思い出だけは色あせない。

海も、山も、なによりそのどこでも、彼女の笑顔がしっかりと焼き付いていた。

その好きだった人が、今間近にいる。

ならば今の俺は早姫姉のことをどう思っているんだろうーー。

なんて考えてもしょうがない話だった。とにかく婚活を応援せねばならないのだから。

俺は立ち上がって、照明の紐を引っ張った。


「あっ、こうくん待って!!」

「へ?」


部屋がぱちっと明るくなる。

なぜか早姫姉は下着姿だった。あられもない格好をしている。


「なんでその格好……?」

「だって、落ち込みすぎてなにもする気起きなくて」

「じゃあシャツも脱ぐなよ」

「暑かったの!」


ここまではっきりその姿を目にするのは、はじめてだった。

うん、たしかに大きい、垂れなど無関係に張りがあって形もいい。でも、これ以上には考えまい。



__________________________



これにて二章終わりとなります。


よければ、お星さま、レビュー、コメントなどいただけましたら、モチベーションが上がります。

引き続き、たかたをよろしくお願い申し上げます。



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