第6話 第一回同棲会議っ!


     四



 午後七時、借りて二日の新居のワンルームには、ただならぬ空気が漂っていた。

 そこに混じるは、姉の手作りお料理、もといおつまみ各種の匂い。それからほんの少しアルコールの香りもする。

 そんな宴会テーブルと化した小机を挟んで、俺の対岸に座るのは、姉だ。正確には初恋の相手で、先生で従姉妹の姉。

 執り行われるは、二夜連続の同棲会議だ。


「ご、ごめんね! 遅くなって! 授業研究が少し長引いちゃってさ」

「そんなことはいいよ」


 約束は五時だったが、仕事ならば仕方あるまい。


「それで、説明してくれない?」

「せ、説明って言われても、なにをかな。あー、学校でのキャラの話? あれはね、先生っぽくしなきゃと思って──」

「いや、もっと手前だ。そもそも先生やってるなんて聞いてないんだけど」

「あはっ、ごめん昨日は言い忘れてたんだ〜。まさか同じ高校だったとはね! しかも、こうくんの担任の先生ってすごいよね、運命かな? 運命だよっ、きっと! ほんの偶然がたくさん起こったんだね! たまたま、神の導き的なので!」

「……もしかして、始めから知ってて同棲決めた?」


 俺もはじめは、こんな偶然あるんだな、と思ったけれど、考えてみればあまりに重なりすぎている。

 誰かの思惑がなくては、本当に奇跡というやつだ。ギャルゲーで同じことをすれば、一部層が「ご都合主義乙」と痛烈に批判するに違いない。少なくとも、俺はする。


「な、な、なに言ってるの!? そんなわけないよー。思いがけず、計らずも、たまさかにだよ!」


 よくそこまで言い換えられるな。さすがは教師というところか。英語担当とはいえ、国語力も高いのだろう。


「べ、別に? こうくんが一人でここに残るって聞いたから、そこの教採試験を受けたわけじゃないよっ!? あと別に、こうくんママにお勉強見て、って頼まれたりなんかしてないからっ!」


 だが、この口の滑りっぷりは公職に就く人間としては最低だろう。

 やっぱり全て仕組まれていたのだ。


「彼女も友達もいないのに、一人暮らししたいがために嘘ついてたこともみんな知らないよっ、お姉ちゃんは!」

「もう全部言ってんじゃん」


 というか母親め、俺の渾身の青春演技を見抜いていやがったのか。


「とにかく私は何にも知りません!」


 早姫姉はよっぽど動転したのだろう、缶ビールを引っ掴む。カシュっと音を響かせると口をつけてから、


「こうくんも飲む!? 甘いサワーならきっと大丈夫! 飲んで忘れよっ?」

「だめだこの教師!! 誰か、この人をクビにしてください!!」


 学校でのキリッとした姿が嘘のようだ。早姫姉は嫌だ、採用試験大変だったんだよ、とすがる。

 こちらの優勢は固そうだった。この分なら、論破できるかもしれない。野球で言うなら九回裏まできて五点リードくらいは優勢だ。


「これは一般論だけど、教師と生徒が一緒に住むのは世間的にもよくないことだと思うんだ」

「……そんなの私たちには当てはまらないよ? だってそれ以前に親戚だし」

「いや、そう言わずに。まずはこれを見てくれ」


 俺は、スマホを彼女の方へ突き出す。あらかじめ、画面は用意しておいた。

 生徒と先生が密かに同居していたことにより、問題になった事件のネット記事だ。コメント欄も荒れまくっている。投稿板の管理人が帰省えをかけているから、よほどの波乱があったのだろう。


「俺は別に早姫姉と住むのは問題ないぜ?」

 

 嘘だけど。


「けどな、世間様は厳しいんだ。俺たちが生徒と教師って知ったら、非難の目が集まって社会的に排除されるかもしれない。

そこまで行かなくても、誰かに同居してるってバレたらどうするんだ? それで生徒に噂が広がったら、それこそクビだろ?」

「で、でも……」


 早姫姉は一言だけで口ごもる。まずワンアウトと言っていいだろう。


「ほ、ほら! 私立の学校とかだと、部活のために寮で先生と同居してるようなもんじゃん!? あれと一緒というか!」

「いや、大いに違うだろ、それとは」


 簡単にツーアウトまできた。さぁ、あと一つ。だが、そうゲームは簡単に幕を下ろしてくれなかった。


「こうくんがしてるゲームにもそんなシーンあったじゃんか! たしか先生と同居してたよ」

「なっ、なんで俺がギャルゲーをしてることを……!」

「今朝、こうくんが枕元にゲーム置いたまま、画面つけっぱなしだったから見ちゃったの」


 不覚だった。こんなことなら寝落ちするんじゃなかった。


「そしたら可愛い女の子がたくさん! ちょっと見てみたら先生と一緒に住んで、いちゃいちゃ~、うふんな感じのお話だったよ?」

「そ、それはなぁ、ゲームだからいいんだよ!」

「ゲームでするってことはしたいんじゃないの? それに! 夜中に一人でゲームしちゃうような子を一人で暮らせてあげられません! 姉としても先生としてもです」

「うぐっ……」


 ついさっきまでの優勢が嘘のように、なぜか追い込まれていた。三点取られて、なお敵の攻撃中。

 早姫姉は、優秀な「中川先生」になってなおも攻めてくる。


「……去年のこうくんの成績見たけど」

「は、はい?」

「赤点ばっかりだったね。英語も古典も数学もぼろぼろ。そんな生徒が一人暮らしなんてダメじゃないかな、常識的に考えて。ねぇ?」

「あー……常識は俺には通用しないし?」


 なんだこの意識高そうな発言。失敗する経営者のツイッターかよ。


「そ、そうだ! 常識的に考えて、まずご飯食べない? せっかく作ってもらったのに冷めちゃうし? 常識的に考えて!」


 こうなれば、逃げるに勝る策はない。ひっくり返される前に試合放棄だ。しかし、


「いいよ。けど、その代わり同棲は続けることで決まりだからね。いいよね?」

「…………わー美味しそうな塩キャベツ! さすが早姫姉! これ、ごま油? うわーお腹空いたなぁ」

「こうくん。いいよね? 返事は」

「……はい」


 痛恨のサヨナラ負けを喫した。敗戦投手、俺。すっかり先生モードな早姫姉は、もう負けている俺の背中にさらに突きつける。


「ご飯食べ終わったら一緒に勉強しよっか♡ 明日実力テストだもんね。ちょっとは点数あげないとねぇ。英語の逆接単元でも勉強しよっか?」


 厳しい、怖い、鬼だ。

 朝に聞いたクラスメイトの中川先生評は正しかったわけだ。ただ厳しさのみならず、姉としての甘さもあって。


「勉強やったあとならゲームしてもいいよ? お風呂も沸かしてあげる」


 飴と鞭により、少しやる気になってしまった俺がいた。

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