第5話 お姉ちゃんは先生でしたっ!



 そこから、早姫姉の進行により行われた新学年のオリエンテーションは、まるで頭に入ってこなかった。


「さて、明日は実力テストです。その後も勉強漬けの日々となりますが、ゴールデンウィーク前、四月末には校外学習が京都であります」


 かなり低く繕ってはいるが、たしかに姉の声だ。顔も容姿も、昨日よりキリッとしてみえるが、それでもやはり姉に違いない。


「気を切らさずに、学生として節度を持った生活を心がけてください。では、ホームルームはこれまで。授業はしっかり聞くように」

 

 いやお姉ちゃんが言う? 昨日の姿は到底、先生として節度を持った生活には見えなかったんだけど。


「やべぇ予想通りじゃん」

「綺麗だけど怖いわ、あれは……。鬼美人教師?」


 早姫姉が出ていった後、ひそひそと感想を交わすクラスメイトを尻目に俺は教室を飛び出る。

どういうわけか問い詰めなければならない。

 早姫姉はつかつかと階段を降らんとしていた。俺は後ろから声をかける。


「さきね──」


 彼女は段差の途中で足を止めこちらを振り向いた。


「なんですか、吉原くん。授業に戻りなさい」


 冷たい態度に驚く。それに苗字で呼ばれるのは、なんだか気持ち悪い。戸惑っていたら、そのうちに姉はまた階段を降り始めた。


「いや、そんなことより大事なことだ! なんでこんなこと秘密にしてたんだよ!」

「先生はなにも秘密になんてしてませんが」


 なるほど、あくまで学校では先生として接するつもりらしい。ただだからといってこのまま引き下がるのも癪だった。そっちがそのつもりなら、こちらにも対抗手段というものがある新任教師への文春砲だ。


「へぇ、昨日アサヒスーパードライ五缶飲み干してつぶれて「うへぇ仕事嫌だ〜」とか垂れてたのはどこのシンデレラさん」

「わー!!!!」


 早姫姉は反転すると真っ赤な顔で、階段を駆け上がってくる。俺の口を思いっきり手で塞いだ。それから周りをきょろっと気にしたあと、


「……あとのことはお家で話そ? こうくん、お願い!」


 彼女は手を縦に作って目を瞑る。ねっ、と片目を開けた。

 可愛い、綺麗と思ってしまったのが正直なところだった。なにせ何年経とうとも、過去形であろうとも初恋の人だ。が、目はしかめておく。

 早姫姉は声を潜めつつ懇願する。


「お願い! こうちゃんの大好物買って帰るから! たこさんウインナー!」

「いつの話だよ!」

「じゃあお姉ちゃんの手料理フルコース!」

「だからそれ居酒屋じゃん。今度は一気に老けすぎだっつの!」


 拉致があかない、俺はため息をつく。まぁ説明をしてくれるなら、ここで引き止めて困らせる意味もない。困らせられはしているが。


「早姫姉、何時に帰るの」

「今日は残業しないようにするから、五時前には」

「なら家で待ってるよ」


 当たり前に家族のような会話だったな、と後から思った。バレてはいけないと、ひそひそ声だった以外は。

 教室に戻った俺はつい考えこむ。

 まさか初恋の人でお姉ちゃんというだけではなく、先生と同居することになっていたとは思いもしなかった。

 これはさすがにまずいのでは? と思って少し、はたと気づいた。

 別居をする理由になるかもしれない。


「幸太、なににやにやしてるの」

 

 隣の席から、茜が声をかけてくる。


「そんな笑ってたかな」

「うん。悪巧みしてる感がだだ漏れじゃん? 少なくとも犯罪者」


 それはよくない。ただでさえ友達がいないのだ。俺は口をきゅっと閉めてから、聞く。お墨付きがほしかった。


「なぁ、教師と生徒の関係ってどうあるべきだと思う?」

「えっ、なに急に」


 うーん、と茜は唸る。それから話は思わぬ方へ。


「……なーに? もしかして先生で妄想してんの? あっ年齢的に初恋の人に重ねてる? うげー、よくないよ」

「ち、違う!」


 茜は妙に鋭い。昔からだ、ギャルになってもその勘は健在らしい。そして記憶力もたしかだ。初恋の話を彼女にしたのは、小学生の時だというにまだ覚えてるなんて。


「そんなこと引きずってるなら、早く捕まえてくれないかなぁ」


 茜は、ブラブラと手を揺らす。


「…………なに? 指攣ったの?」

「ほんと馬鹿。妄想してないで、早く教科書の準備したら? そんなんだから幸太は幸太なんだ。バカだから何があっても幸せでメンタルが太いから、幸太だもんね」

「急に当たり強くない?」


 えっ怖い。

 なにか地雷を踏み抜いただろうか。これだからキャピ系女子は分からない。




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