いじめに苦しむあなたへ。

RURI

いじめに苦しむ方へ


 最初にお断りさせてください。ここに書き記す内容は、私自身の体験と考えであり、すべての方に当てはまる訳ではないかもしれません。また、学校での話ですので、職場内いじめ等とは相容れない部分もあるかもしれません。もっとひどく苦しんでいる方もたくさんいるでしょう。それを踏まえた上で、お話しさせていただきます。



 あくまでも、一個人としての考えとメッセージであり、色んな考えや意見があると思います。いじめというものは「こうするべきだ」「こうすれば良いのだ」と言うものは無いし、苦しみ方も人それぞれだと思いますので、私が書くものが全てだとは思わないで下さい。




 もしこれを書くことで、少しでも誰かの救いになるのであれば幸いです。








 もしもあなたが今いじめられていて、死にたいと思うほど苦しんでいるならば、逃げてください。もしそれができないとしても、1人で抱え込まないで欲しいのです。


 逃げることは何も悪いことじゃありません。沖縄の言葉に、「ぬちどぅたから」というものがあります。「命こそがいちばん大切な宝物である」という意味の言葉です。あなたの命よりも大切なものなんてありません。そして、逃げることは恥じることでも、いじめに屈するということでもないと思います。


 逃げた先で何もできなくなってしまっては、いじめに屈したのと同義になるかもしれません。でも、逃げた先で、自分の道を探せば良いのです。切り拓けばいいのです。勉強なんて、学校じゃなくてもできるのです。


 逃げることは勇気が要ることです。逃げる勇気があるって、凄いことだと思います。

 私には、逃げる勇気はなかった。逃げるのもまた怖かった。逃げたらどうなるか分からなくて、その先どうなってしまうのかがわからなくて、逃げれなかった。その当時は「休まずに通い続ければ俺の勝ちだ」なんて思っていたけれど、今なら「生きて卒業してしまえば勝ちだ」って思います。




 私がいじめにったのは、小学5年生の時でした。何がきっかけなのか、なんでいじめられたのか、今でもよく分かりません。ただ、苦しかった。学校に行くのが辛かった。居心地が悪いとか、そんなレベルで話せるようなものじゃなくて、本当に「学校なんかなければ良いのに」って思っていましたし、「死んだ方がマシなのかな」なんて思いがフッと頭をよぎる事もありました。優柔不断ゆうじゅうふだんなところがある性格じゃなかったら、もし考えるよりも先に行動する性格だったなら、もしかしたら今は生きていなかったかもしれません。



 担任の先生も全くあてにならなくて、先生に相談すると「〇〇君(相手の名前)はそんなことしてないって言ってるよ。なんでそんなこと言うの?」って責められる始末。もちろん先生に言った事がバレたことで、いじめはエスカレートしていきました。


 もともと痛めていた腰を、突き飛ばされたことで痛め直したこともありました。後ろから首を絞められたことも。物を取られて捨てられたり、壊されたりもしました。暴言を吐かれるのはまあ、日常茶飯事にちじょうさはんじでしたね。


 結局、教育実習に来ていた大学生の先生に相談したことから校長先生が介入してくれることとなり、ひとまず収束していくことになりました。


 ただ、私は周りに恵まれていたと思います。学校で一人じゃなかったのが大きかったのではないかな、と今になって思います。親にも話せる環境だったし、前の年の先生も話しかけてくれて、気にかけてくれていました。だから、孤立こりつせずに過ごすことができていました。


 でも、孤立こりつしてしまっている方もいると思います。学校に、いや何処にも居場所が無いと感じている方もいると思います。

 そう感じている方へ。

 どこに逃げれば良いのか分からないかもしれないけれど、どこに逃げたって良いと私は思うのです。


 例えば、これを読んでくれているなら、字を読むことは嫌いじゃないのではないでしょうか?例え肉体が逃げれないのだとしても、心のどころとしてフィクションの世界に逃げ込んだって良いと思います。それが生きる支えになるなら、逃げる先はどこだって良いと思うのです。




 逃げた後の話をしましょうか。


 電話相談が出来たり、教育委員会の中にいじめ対応を行う機関きかんがあったりします。対応を批判されることもありますが、本気で向き合ってくれる方がいるのもまた事実です。公的機関こうてききかんであれば相談するのにお金は掛かりませんし、事情が許すなら弁護士さんやカウンセラーさんに相談することもできます。学校に通えているなら、保健室の先生に相談しても良いでしょう。


 今はオンラインで勉強することだって出来るし、たとえ義務教育だとしてもフリースクールみたいな形態けいたいの学校に通うことも制度上せいどじょうは可能です。もちろん事情が許さなくてそれが出来ないかもしれませんが、保健室登校の様な形で通学することも出来ます。YouTubeのような動画サイトや参考書を使ったりすれば、大学受験レベルまで学ぶことだって可能です。事情が許すならば、塾や予備校で勉強してもいいでしょうし、通信制の高校に通うのも選択肢せんたくしになると思います。



 さて、私のその後について軽くお話ししておきます。


 学年が上がるときに相手の子とは別のクラスになって、ひとまずは落ち着きました。6年生の時の担任の先生は私がいじめられていたことを知っていたので、学年が始まるときに「絶対にいじめなんかさせないからな」と言ってくれました。私にとってこの言葉はかなり大きなものでした。


 しかし、中学になってまた相手と同じクラスにされてしまいました。もう何もしてこないだろうとは思っていても、怖かった。息が詰まるような思いでした。教室に居たくなかったから、朝はぎりぎりに登校して、放課後は即教室を出るようにして。休み時間は基本的に図書館にこもって本を読んでいました(魚図鑑ばかりでしたが)。委員会に入ることで掃除の時間も教室に居なくて良いようにしていたし、なるべく教室に居ないようにしていました。


 行きたい大学があったので、高校は進学校を選びました(第一志望には行けませんでしたが)。そしてこの高校が、私にとっては大きな転換点になりました。


 いじめられて以降、私は人に頼ることと集団内で目立つことに対して恐怖を感じるようになっていました。中学校の部活でキャプテンをやりましたが、それは断るのもまた怖かった、というのが正直なところでした。だから、学級委員とか、そんなの絶対にできなかったし、高校では部活のキャプテンも引き受ける気はありませんでした(学年で部員が1人だったのでやりましたが)。

 でも、周りの人たちが本当にいい人たちばかりだったから、自分の気持ちに蓋をして生活する必要が無くなりました。学校で警戒しなくていい、素の自分で過ごしていいなんて、初めてのことでした。だから、高校ではやってみたいと思うことを思いっきりやれたし、初めて学校が楽しいと思えた。勉強漬べんきょうづけの日々は肉体的には大変だったけれど、そんなもの苦しいとは思えませんでした。

 だって安心して教室に居られるんだから。常に警戒して過ごさなくても大丈夫なんだから。どの先生に頼っても良かったんだから。

 この高校じゃなかったら、きっと私は心を開くことはできなかったと思っています。


 そして今は、行きたかった大学には入れて、それなりにやりたい事をやれています。


 ただ、今でも集団の中で目立つ立場になることに対しては物凄ものすご抵抗感ていこうかんがあります。なんで目をつけられたのか分からないから、なるべくは目立たないようにしたいと思ってしまうのです。無意識に怖い、と思っているのかもしれません。だから、大勢の前や仲間内で話すのは良いのですが、3~40人規模の集団の中で発言するのは苦手です。胸に抜けない返し付きのトゲが引っかかったままになっている様で、身構えずにはいられないのです。


 ですが、今になって思う事があります。「あの時を乗り越えられて良かったな」ということです。あの時支えてくれた人がいて、そして心を開いてくれた人がいる。感謝してもしきれません。



 今、いじめに苦しんでいるあなたへ。

 死にたいと思うほど苦しんでいるならば、逃げてください。もしそれができないならば、せめて1人で抱え込まないでください。


 今を乗り越えれば、いつか光が見えてくるから。いつか、自分を受け入れてくれる人が、受け入れてくれる場所が見つかるから。



 今苦しんでいるあなたが、「生きていて良かった」と思える日が、きっとこの先にあるから。



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