一人相撲のならず者

@postal0228

【角川武蔵野文学賞】

 カシュウアァ……。

 電子的に再現されたシャッター音が、私と彼女の2mほどの距離の隔たりを微かに彩る。

 彼女はやはりどんな者にも気を遣える人間らしく、奇怪な食虫植物の背後に立ちながらも嫌な顔一つせず、ニコニコした表情でポーズをとってくれている。

「どうです?」

「や、あの、何かすごく、良い感じっす」

撮影した画像を一眼レフカメラの背面モニターであたふたと確認しながら、私はそんなことしか言えなかった。元来女子が苦手な性分であり、アフタートークはこれが精一杯であった。

そんな私の一言を彼女は聞いたのか聞いてないのか分からないまま、気がつくと一緒に神代植物公園の大温室を回っていた別の男連中と別の会話に移ってしまっていた。

「ねえ松村さん、次そっちの花の横でポーズくださーい」

「ええ~、恥ずかしいなあ~」

そんなリアル充実な陽気な若者の会話に混じることができず取り残された私は、仕方なく食虫植物の貴重な生態を記録すべく、本来の趣旨とは違うと分かりつつも熱心に写真を撮り始めた。そのおかげでレタスにシーザーサラダを振りかけたような見かけをした植物のことをえらく気に入ってしまった。彼女と『これシーザーサラダみたいで美味しそうじゃない?』というような瀟洒な会話を本来はする想定だったのに。

 そのようにしてパシャパシャと必死に食虫植物を撮りまくる。気が付くと周囲には同じ社会人写真サークルの一団はおらず、私一人だけが大温室内に取り残されていた。

 スマホを見ると写真サークルのライングループには『本日の撮影会は終了しました。みんな気をつけて帰ってね』なるメッセージが入っていた。

 おお、なんということか。私はその場で顔を歪める。

 私は今日、松村さんとファインダー越しの社交ダンスをするためだけにこの植物公園の撮影会に来たというのに、これではゼロサムではないか。さっきのあのちょっとしたやり取りだけで終了か?これでさすがに納得できん。なら、どうすべきか?

私はとりあえず大温室から出ることにした。そして大温室前のイカした噴水を通り過ぎ、パルテノン神殿のような建物の下のベンチに腰を下ろした。

バラやらふじやらの花が咲き誇る中を人々が、特にカップルが楽しそうに歩くのがどうしても目に入ってしまう中、私は心を静め、今後の行動を思案することに意識を集中させた。

 もう撮影会は終わった。彼女は今頃駅に向かうバスのなかだろう。どの駅に帰る?調布、それとも吉祥寺か?

 ここで私は自分の記憶の引き出しをガサゴソと探る。彼女の家は吉祥寺方面だ。確かインスタグラムに西東京市とかその辺りの地名が登場した画像がアップされていた。

 善は急げと私は駐輪場に急いだ。そして愛車のクロスバイク『武蔵』を駆り、調布というかほぼ三鷹の街に繰り出した。

 武蔵に乗りながら思った。俺は何をしているんだろうか。相手は俺のこともよく知らない、というか認識もされてないかもしれないのに、なんで俺は汗をかいてペダル回しているんだろう。

 彼女とは特段の関わりがあったわけではない。写真サークルの撮影会で何度か見かけるうちに惚れてしまっただけだ。碌な会話もしたことがない。SNSで絡んだりもしていない。だけど気がついたら彼女のことをずっと考えてしまっていた。

 武蔵で進む道は狭く、また目の前に来ては後ろに流れていく風景もおよそ心をときめかすことはない、なんてない住宅街だった。むしろ初めてこっちの方まで来て分かったが、ここらはまさしく『陸の孤島』じゃないか。通りで家賃は安めなわけだ。

 そんな深大寺周辺の住宅事情に気を取られながらも、私はすぐにまた彼女のことを考えてしまった。

 分かっている。これは恋じゃない。恋になっていない。土俵の外で独り相撲をしているんだってことは。相手は俺のこと何かこれっぽっちも想っちゃいない。別の男と楽しそうに笑っているのが今の現実なのだ。

 これこそ無駄、ゼロサムなのではないか。相手あっての恋愛で球が来ずに素振りしているようなものだ。当たり前だ。ピッチャーやってくださいってお願いしていないのだから。隣のグラウンドでやっている試合を横目に見ながら一人でせっせと素振りをしているのが今の俺だ。

 コンビニの前に差し掛かる。

 このままファミチキでも買って家に帰ろうか。帰ったらファミチキを食べながらNetflixでララランドでも見ればいい。わざわざ休日に徒労感を味わう必要なんてない。そんなことは平日だけで十分だよ。

 弱気の虫に心を這わせながらそれでもギコギコと止まらずに自転車を漕ぎ続けた。ファミチキじゃなくて松屋もいいなと考えながら。

 そんな心持ちの時、JAXAの前を右折して東八道路に出た。休日はことさら交通量が多く渋滞するこの道路だが、やはりと言うべきかノロノロと進む京王バスの車体が目に入った。行き先表示は『吉祥寺』。御都合主義か何かの奇跡で、バスの窓から談笑している松村さんの姿を見えた。

 どうやら、まだ我が勝機は消えていないようだ。こうしちゃおれん、急がねば。そして俺のこの想いを彼女に叩き込まねばならない。ゲームだ。彼女とゲームをするのだ。彼女も驚くだろう。訳も分からぬうちに卓につかされ、いきなり手札から揃った役を見せられるのだから。

 まずは先回りだ。彼女が乗るバスよりも早く吉祥寺に到着し、彼女を迎え撃つ。具体的にどう迎撃するかはまだ未定だ。が、とにかくやるのだ。

 そこからの私は『神速』という言葉も霞むほどの速さで吉祥寺に着いた。慣れ親しんだ我がホーム。2時間無料のいつもの駐輪場に武蔵を預け、南口のバス停車場で待つ。

そして、ついに松村さんを乗せたバスがやってきた。終点に着いたバスからわんさかと人が降りてくる。その中にやはり男連中と談笑する松村さんを見つけた。

彼女に思いの丈をぶつける前に、まずは取り巻きをどうにかせねばなるまい。ここの男連中はみな人気者の彼女を狙うライバルであり、私が先んじて行動しようものなら、彼れはそれを阻止しようと邪魔するに違いない。

ではどうするかと言うと、私も彼女を囲む一段の中に混ざるのが良いだろうという結論を私内閣は決議した。木を隠すなら森だし、木になるには森に行けばいいのである。

私は何食わぬ顔でサークルの一団の最後尾につけた。集団に混ざって歩いてると、どうやらこの集団は吉祥寺の北口の繁華街の方に行こうとしているようだ。おそらくどこかのお洒落なカフェにでも入ってお喋りでもするのだろう。

歩きながら私は仔細に彼女の様子を観察した。相変わらず周りの男どもは彼女を笑わせようと必死に話題を提供していた。ただ、その積極性は見習う必要がある。ここは思い切って昔の映画のワンシーンの如く手を取って連れ出すか。いや、それだと通報されかねないが、曲がりにも私は一応写真サークルの人間だからそこまではされないか。いや、しかしそんなことしたら次からサークルに顔を出すのは厳しくなる。うーん、どうしたものか。私内閣も現内閣よろしく掛け声は立派だが、具体的な方法というのはしっかりと検討できていないのだ。

 その時幸運なことに彼女はなぜか一団からサッと抜け出し、足早にどこかへ行こうとしていた。私もすぐさま追いかける。そして彼女がコンビニに入ろうとしところで、思い切って声をかける。

「あ、あの、松村さん!」

 デカい声で呼び止められ、若干驚きながらこちらの方を向く松村さん。

「あ、はい……ああ、サークルの。何か……?」

「わたくし、亜門翔雄と申します。伝えたいことがあり、呼び止めてしまった次第であります。よろしいでしょうか?」

「はあ……」

 ここまで読み進めてくれた親愛なる女性読書たち。『よく知らない人が追いかけてきて背中から声かけるなんて、怖』と思わず、お願いだからこの後もどうか読んでほしい。

 気を取り直して。

「折り入って話があります。まずはあそこにある喫茶店に入りませんか?」

 そう言って私は向かいにある雑居ビルにある喫茶店を指差す。

「ちょっとこの後予定があって……ごめんなさい」

 彼女は気まずそうな顔でそう言った。

「自分の方こそ急に誘って申し訳ないです。実は写真をもう一度だけ撮らせてほしくて声をかけました」

「写真、ですか?」

「はい、植物公園の大温室でも撮らせてもらったんですが、出来に納得出来なくて。すぐ終わりますんで」

そう言って私は彼女の返事も聞かずにリュックからカメラを取り出し始めた。

「ええ?ちょっとここで撮るんですか?恥ずかしいですって」

 そう言って彼女はキョロキョロと周りを見渡す。

「じゃあ、そこの壁に少しもたれて、目線は下に。だけども微笑むような感じで笑顔、ください」

 彼女はやはり親切な人だから、私の強引な注文にも答えてくれた。雑居ビルの壁に軽く手のひらを添え、顔は少し俯きながら、だけど優しく微笑えみながら、レンズを見つめてくれた。

 カシュウアァ……。

 カメラのシャッター音が私と彼女がいる空間と時間を少しだけ祝福する。

 撮った写真をカメラ背面のモニターに映し、彼女に見せる。

「自分、この写真、今日イチ、いや今まででイチです」

「ええ?そんな大袈裟ですよ。でも私もこの写真好きです。データ欲しいんで、サークルのサイトにアップするの忘れちゃダメですよ!」

「ええ、忘れません。アップしときます」

「お願いしますね。それじゃあ!」

 そう言って彼女は足早に翔け出して行った。

「はい。また撮らせてください」

 彼女に背中に向かってそう叫んだ。私の声は彼女に届いたのだろうか。


 私は今日撮った写真を見ながら、自宅で松屋のディナーを堪能している。一人相撲からぶつかり稽古ぐらいには昇進できたのだろうか。

 彼女のあの時の顔や声で牛丼3杯は軽くいけそうだ。

 

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