おはようございます。
わたしは、わたしの父も、戦争を知りません。ましてや、広島や長崎の悲劇など、当時の資料を見るだけしかできません。
戦争の悲惨さを説くのに、『はだしのゲン』や『火垂るの墓』くらいしか、すぐには思い浮かびません。
そんな、わたしには、そら葉さまのこの物語でさえ貴重なモノです。
忘れない……気持ちは抱けなくても、忘れられないように語り継がないといけない……という気持ちにはなりました。
もっと、過去に起きた悲惨な歴史は勉強しないといけませんね。
作者からの返信
遅くなりました。こんばんは。
コメントをありがとうございます!
わたしも親も戦後生まれです。だから、ひなちゃんと同様、伝聞でしか知りません。
それでも記憶を掘り起こして書きました(笑)
小学生の時のことですが、強烈な記憶としてわたしの中にあります。
この季節に、「ああ、そういえば…」と実際にあった事実として思い出して頂ければ幸いです。
歴史好きな方もそうでない方もこの出来事は忘れるべきでは無いと思います。
原子爆弾による放射能による白血病で僅か12歳9ヶ月で亡くなった佐々木禎子という少女のことも忘れてはならないと思います。
彼女がどんな気持ちで鶴を折り続けたのだろうか、どんな気持ちで白血球の数を書いていたのだろうか(彼女の死後ベッドから白血病の数が書かれた紙が見つかっています。)と思えば胸が締め付けられます。
因みに彼女が折った千羽鶴は1300羽説、1500羽説、2000羽説、1000羽未満説などがあり今も明らかになっていません。
作者からの返信
NAZUNAさま
こちらにもコメント下さりありがとうございます!
わたしは小中と広島におりました。そのため、平和学習の中で被爆者の方々にお話を聞く機会を得たこともあります。その時お聞きしたものから、こちらは想像して書いたものです。
佐々木貞子さん、きっととても芯の強く優しい人だったのだろうと思います。彼女の物語が未だに語り続けられるのは、そんな彼女の人柄と共に、悲しむと憎しみしか生み出さない戦争をしてはならない、という先人たちの訴えなのだとわたしは考えています。
こうしてカクヨムで小説を書けるのも、NAZUNAさまと交流できるのも、今だからですね(*^^*)