第2章 フェッツェ記
第24話 死考(436日前)
気づけば真夜との出会いからすでに2ヶ月が過ぎ、俺の部屋に飾ってある今年のマンスリーカレンダーも、あれから2枚もめくっていた。早2ヶ月、あっという間だったような気がするが、この短い期間で俺は確実に変わった。
と呑気に思いながら、俺は文化の日の振替休日というおまけつきの3連休を、ゴロゴロしたりギター弾いたり(愛海にまたもや文句を言われたが)して過ごし、火曜日にまた普段通り登校した。
この時点でお気づきかもしれないが、この時既に俺は「あのこと」を忘れてしまっている。
✴︎
「また今日も仕事ですか?」
3連休のだるさと6時間目の体育の疲れに侵され、俺は少しだらしない動きで、少人数教室で待っていた真夜に近づいていった。いつもなら俺の顔を見て少し笑うくらいの余裕を見せてくれるが、今日は全くそんなんじゃない。近寄りがたい何かを放っているようだった。
「ねえ陽佑。」
怒りを込めた声で、眉間に少し皺を寄せた真夜が俺の方に振り向いた。異変に気づいた俺はとっさに足を止める。
「陽佑忘れてるでしょ? 陽佑死んじゃうんだよ!? こんなダラダラ過ごして人生終わらせていいわけ!?」
若干目に涙を浮かべて説得する真夜を見て、俺は無気力に俯き考え込む。気持ち悪い気まずさが教室を包み込んでいた。
そうだ、俺はいつか死ぬ運命にある。あと何日で死ぬかとか自分で意識していなかったが、2ヶ月、つまり60日強を既に消費してしまっていることに初めて気付かされた。
このまま死ぬまで普通に生活して、「あれやりたかった、これやっとけばよかった」なんて後悔の念に駆られながら死んでいくのでいいのか?
それでいいわけない。それは嫌だ。
残りの命を真夜に宣告された時、俺は彼女に何と言っただろうか。
「一年ちょいあれば、やり残したことって大抵できると思う。悔いのこって死ぬよりかは、残りの人生を満喫して死ぬ方を俺は選ぶよ。」
「だらだら生きてくよりもさ、生きられる期限を知って引き締めて生きるほうが人生楽しいかなーって……」
既に60日は使い切ってしまった。でもまだ時間はある。自分がやりたいこと、それをとことん楽しんで死ぬのみだ。
「俺…… 何でこんなダラダラ生きてたんだろ。」
ついこぼれ出た心の内が、静かな部屋に響いた。
「…… 私だって、陽佑には死んでほしくないよ。」
真夜が床を見つめながら悲しそうに話す。
「陽佑があと500日しか生きられないって知っちゃってもさ、陽佑の「生きよう」っていう意志を見て、私はほんとにすごいって思ったし一生懸命サポートしようと思ったんだ。でも…… まだ何も大きなことはしてあげられていない。」
心境を吐露する真夜を見て、俺は胸が締め付けられそうな思いになる。
「この前ね、死者の日っていうのがあったんだ。メキシコの祝日で、日本でいうお盆みたいな。そこでさ、亡くなった人との思い出を語り合ったりするんだよね。」
真夜の話すトーンが少し明るくなった。
「こんなこと言うのもなんだけど、そんなときにさ、死んだ陽佑が余生を満喫するのを手伝ったんだって誇りに語れるようになりたいなって思うんだ。だからさ、私にも何かできることがあったら協力させてよ。」
縁起でもないことを言われて少し混乱していた俺は、あまり深く考え込まずに頷いた。真夜がニコッと笑う。
「じゃあ最初のお手伝いが、これ。」
そう言うと、真夜はカバンからあの古そうな分厚い本を取り出した。2ヶ月ほど前に、ジョーカーが神からのメッセージを刻み込んだ無地のやつだ。
「今日は陽佑が来る前にやっといたよ。ほら、書いてあるでしょ?」
見せられたページには、ケキルアの詩の時と同じように、俺には読めないスペイン語が4行と神のサイン。
===
El final de todo es
El comienzo del nuevo
Rodeado de verde y rojo
¿Qué hay en la caja?
Fetze
===
確かタリスに書かれてあった2番目の神の名前はフェッツェだったっけ。フェッツェの詩か。
目に留まった、最後の4行目の逆さクエスチョンマークはスペイン語ならではの特徴だと聞いたことがあるが、違和感が半端ない。そして、ケキルアの詩の時よりも1行が短い。
「意味を言うとね、
全ての終わりは
新しきのはじまり
緑と赤に包まれて
箱には何が入っているだろうか?
…… やっぱよくわかんないや。」
真夜がベロを口から少し出して見せる。俺は真夜の日本語訳を頭の中で反芻した。後で役にたつかもしれない。
「で、お手伝いしたいことがもう一つあるんだけど。」
真夜は本をぱたっと閉じて机の上に置いた。よく見ればジョーカーが1枚、机の上で上を向いて笑っている。詩を写すときに使ったようだが、ああやって置いてあるとなんとも気味が悪い。
「今度の日曜空いてる? 陽佑が好きそうなモノ見つけたから教えてあげようと思ったんだけど。」
「いやーごめん、その日法事で無理だ。」
2ヶ月ほど前から入っていた予定で、俺のひいじいちゃんの7回忌らしい。
「あー、じゃあしょうがないか。また今度教えるね。でも残念だなー、今度の日曜とか試験2週間前になる前の最後の日曜だったのにぃ。」
やっと面倒な中間が終わったら今度は1ヶ月後に期末という壁が待ち受けている。中間テストは結果的に点数がよかったとは言え、油断禁物、気を抜くことは容易にはできない。
✴︎
その日の深夜。寝静まり、寝息以外何も聞こえなくなった家。俺は時計が午前1時を過ぎた中ベッドにも潜らずに、脳みそをなんとか働かせながら目の前のノートと向き合っていた。
今日の放課後に真夜に言われたことが頭から離れずにいた。
ーー陽佑忘れてるでしょ? 陽佑死んじゃうんだよ!? こんなダラダラ過ごして人生終わらせていいわけ!?
「いい訳ねえだろ。」
わずかな光に照らされた机に向かってボソッと呟いた。
後悔しないためにやりたいことリスト。自分が生きられる残りの日数の間にやりたいことを書き出していくうちに、1ページ半も埋まってしまっていた。
山のてっぺんから大きな声で叫びたい。ちょっとだけワインを飲んでみたい(法律的にはアウトだがちょっとだけならいいでしょ)。海で溺れたときに助けてくれた人にお礼を言いたい。カラオケで8時間歌いたい…… etc
俺ってこんな貪欲なのか。
ほぼ全て書きおわった中、俺はあることを書こうか悩みに明け暮れていた。
誰かと恋愛したい。
自分だけがこのノートを閲覧できるならまだしも、おそらく真夜にもこれを見せることになる。真夜がこんなことがかかれてあるのを見たとき、なんと言うだろうか。
「え、陽佑恋したいのー? かっわいー!」
大きい声で暴露されそうで怖い。やめておこうか。
「陽佑そういう性格なんだからさぁ、それじゃあ女の子は食らいついてこないよ。」
バッサリ否定されるとこの後の精神的ダメージがアフリカゾウ並みに重い。しかも真夜は天然なところがあるから、こんなことをケロッと言ってしまうことも十分考えられる。やはりやめておこう。
こうなると嫌なことしか想像できなくなるのが人間だ。
「陽佑が恋愛したいなんて地動説ひっくり返るくらいの衝撃なんですけど!」
真夜の声にエコーがかかり、さらなるディスりが脳内を駆け巡る。あーやめろやめろ! どうせ俺はリア充になんかなれねえんだろ? 爆発爆発!……
でも、もしも真夜がこれに俺の想像とは真逆の反応を示したら?
「私でいいならなってあげてもいいよ? ……陽佑のカノジョ。」
照れている真夜の顔を思い浮かべると、口元の笑みが止まらなくなる。別にゲスいことを考えていたわけではない。ただ真夜は彼女にしたくないような人間ではなかった。むしろしたいと言おう。
どうやらもう自分の理性では否定できないようだ。こうして欲しいという期待が正常な思考回路を支配していく。
結果的に、俺はペンを紙に近づけては離し、また近づけてはまた離しを何百回も繰り返すことになった。歯が少し震えだし、脇汗でパジャマがぐしょ濡れになる。睡魔が何度にも渡って襲来したが、何度も自分を叩き起こしていた。
ようやく決心してダッシュで布団に潜り込んだときには、時針がほぼ3時を示していた。
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