第23話 舞倒(441日前)

 なんやかんやで忙しかった中間試験が終わりを告げ、俺らの学校生活にも日常が戻ってきた。普通に学校が再開してテスト返しも終わり始めた木曜日、ついにやってきたあの日。


「よぉぉぉ、蓮田ぁぁぁぁ!」


 真っ白に塗られた顔に、血の痕が生々しくついている皇太ゾンビが、登校したてホヤホヤの俺にジリジリと向かってくる。立派なフェイスペイントとうまい具合に作り上げられた声とはいえ、全く怖くもない。むしろそこまで作り込めたことは賞賛に値した。


 そう、ハロウィン。なんかケルトの儀式から転じてなんでも仮装すりゃいいっていうのになってしまった慣習。


「すげえな、皇太は。そこまでゾンビちゃんになれるなんてよ」


 腕を地面に平行に伸ばし、変な漢字で舌を垂らしていた皇太が普通の姿勢に直った。皇太は少し照れたようで、俺の顔を見ながら笑っていた。


「蓮田もなんか仮装するんだよな?」


「お、おう」


 俺の肩に腕を回した皇太に、俺は少し戸惑い気味に答えた。俺も仮装はするはするのだが、もともとする予定もなかったものだから、元々やりたくもなかったものにせざるを得なかった。


「後で見せてくれるよな? お、待て? のすけちゃんじゃないのぉ〜」


 そう言って、皇太はなぜかオカマっぽくのすけに駆け寄っていった。おいおかしいだろ、俺と対応がまるで違う。


 言い忘れていたが、この学校では朝っぱらから着替えて仮装することができる。もちろん学校に来るまではちゃんと制服で、学校に着いてから思いっきりのコスチュームでどんちゃん騒ぎをするのだ。


 さて、トイレで着替えて出てきた俺は、緊張しながらも4組の教室へと重い足を進めた。後ろの扉からこっそりと中の様子を伺う。


 さっきの皇太ゾンビの他にも、どっかのスーパーヒーローであったり、元サッカー日本代表の某選手のコスプレをしたりしている奴らが教室の窓側でギャーギャーはしゃいでいる。女子はというと、メイドに扮したり、いかにも悪の支配者とも言えるべきコスチュームなどで思い思い楽しんでいるようだった。


「これ誰だ?」


 不意に後ろから俺のコスチュームをつままれ、俺は焦って振り向いた。俺の顔を見て廊下に笑い転げたのは、黒い猫耳をつけた小笠原とその元一味だった。赤く染めた髪を活かしてアイドルっぽい服を着た結華も、俺を指差して腹を抱えている。


「いやあ君最高だねえ。まさかワンちゃんになるとは……… ブハハハ!」


 俺をもう一度見た小笠原が再び床に膝をついた。ディスられたのか褒められたのかよくわからない。複雑な気持ちになる。


 そう、俺は全身をすっぽり包み込んだ柴犬の着ぐるみを着てきたのだ。生地が全体的に毛皮を思わせる感触で、フードになっている部分には、うるっとした目と舌をぺろっと出したシールが貼られている。愛海が持っているものを代用したのだが、いざこれで人前に出るとなるとたまったものではない。


「おい貴様ぁ! なんだこれはぁ!」


 教室の中から騒ぎを聞きつけた皇太が俺を無理矢理教室に引き摺り込む。前方、男子からはからかうような笑い声と「いいじゃねえか」「これは傑作だわ」というお褒めの言葉がいくつか。右より、グループで固まっている女子からも笑い声は聞こえたが、それよりも「可愛い!」という言葉が勝っていた。


 意外とこのコスプレは、ハズレではなかったようだ。からかうような笑い声も、少し嬉しい気がした。


 ✴︎


 授業はいつも通り行われ、昼休みは廊下なりグラウンドなりでお祭りだった。記念撮影を楽しんだり、おいおい持ってきたお菓子をあのパスワードを乱用して大量に手を入れたり。


 俺は最近作った人脈が多いせいか、そばを通れば写真に入れてもらえたし、呪文を言えば嫌な顔一つせず飴を分け与えてくれたりと、結構充実したものだった。柴犬がそんなに目立ったのか、特に女子からは俺を見つけてはあまり面識がないような人からも写真に誘われるほどだった。なんかハーレムっぽくてよくないか?


 昼休みには皆エネルギーを使い果たしてしまったようで、午後の授業にも身が入らない。数学なんて、先生の解説がまるで別の言語のようにも聞こえた。帰りのHR直前では、すでに何人かは衣装を脱いで普段の制服に戻っていたりと、現実が徐々に戻って来るような空気感がなんとも虚しかった。


 昼休みの件で結構良い気になっていた俺は、放課後になってもなお着ぐるみを着たまま歩き回っていた。それでも努力は身を結ばず、写真は数枚撮れても、獲得したお菓子は手元にある小さなチョコ1枚だけ。もはや誰もが、夢のような時間からはすでに抜け出していたようだった。


 そんな中でも、俺は最後にやることがある。あと1人、お菓子をもらっていない人といえば……


「ずっと歩き回ってたのぉ? もぉやること多くて大変なんだから手伝ってよね!?」


 誰もいない教室で呆れたような顔で待っていたのは、もちろん真夜さんだ。頭には三角コーンのハットを被り、大きな薄いコートを羽織り、床には箒が置かれている。魔女っ子の変装のようだ。


 なんでも今日までに占いの返事を返さなければいけない人が5人はいるらしく、家で仕事を片付けていると間に合わないんだとか。そこまで貯めていた彼女も悪いんだが。


「さてと、最初はと……」


 普通に振る舞うようにしているつもりではあったが、なぜかカーソルを操る手には少し力が入ってしまっている。メッセージを音読するときも、今日は噛むことが多かった。なんで緊張しているんだ……


 日が少しづつ傾いていく中、俺らはいつもよりもペースをあげて残りを片付けていった。しかし、俺らの話し声はただ教室の壁や窓に反射して俺の耳に届くだけで、その響きは悲しい何かを持ち合わせているように思えた。


「と……」


 真夜が囁き声じゃないかと思うほど小さな声で呟いた。振り向いた俺と俺を見た真夜の視線が交わる。真夜は俺の目を見てはすぐに視線をタリスに戻して、八方に散ったトランプとその束を見つめていた。何が言いたかったのかわからずに、俺はパソコンに目を戻し作業を続ける。


 しばらくして、真夜がまた俺の方を向いた。今度は体ごと俺の方に向けている。


「と、トリックオアトリート!」


 恥ずかしそうに、彼女は廊下にまで響かないくらいのボリュームで叫んだ。


「お菓子くれないと…… イタズラしちゃうよ……」


 俯き気味に話す真夜を見て、俺のBPMは100は跳ね上がっただろうか。何か強い衝撃を受けたかのように心臓が急にエンジンを全開にしている。


 俺は若干震えた手つきで、そばにおいておいたリュックの中身を漁った。不幸なことに、俺はお菓子なんぞは持って着てはいなかった。そもそもあんなにチヤホヤされるなんて思ってもいなかった。


 今日もらったお菓子はほとんど食べてしまったような気がする。休み時間に美味しくいただいたために、手探りで触ったのはほとんどが飴やチョコの包み紙だった。でもその中に一つ、まだ「生きている」奴がいた。


 さっき人が消え始めた放課後の廊下で会った、あまり面識のない人からの小さなチョコ。面識がないと言っても、授業が一緒なだけだが。流石にせっかくもらったものを他人に横流しするわけにはいかないかもしれない。でも真夜のあんな顔に対抗する手札の中に、有効なものはこれしかなかった。


「お菓子というお菓子は持ってないんだけれども……」


 俺は強張った唇で話し出す。チョコをくれた人、ごめんなさい!


「持ってるのはこのチョコだけだけど、これでいい?」


 俺は恐る恐るチョコを乗せた左手を真夜に差し出す。真夜は動かず、ただ提示された小さなお菓子を見つめるだけだった。


「意外だね、陽佑がくれるなんて」


 真夜の意外な回答によって、俺の心の緊張の糸はプツンと切れた。体からすぅっと力が抜け、自然と真夜の方へと顔が向く。


「いつも陽佑さ、私が何か聞いてもダメだていうしさ、結華がなんか聞こうとしても無視するしさ。てっきり今回も「ありません」なんて言って来るのかと思っちゃって試してたんだ」


 普段からそんなこと言ってたか? ただちょっとだけいじめているつもりだったんだが。俺はそんなSではない。


「まあいいや。嬉しいな、陽佑からもらえるなんて」


 真夜は少々照れ臭そうに、俺があげたチョコを優しくつまんでいる。俺からもらえて嬉しいなんて言われたせいか、また脈拍が聞こえてき始める。


「これ、ありがとう!」


 そう笑顔で答えてきた彼女の顔はこれまでに見たことがないほど輝いている。もうまともに話ができる状態ではなかった。


 窓の外の空が暗くなり始め、冬がだんだん近づいて来ることを知らせようとしていた。教室の時計も、すでに下校12分前を指している。


「早くしないと。下校までに着替えなきゃ」


 そう言って、真夜は机の上に広げてあったタリスとトランプを急いでリュックの中にしまい、そそくさと教室を出て着替えるためにトイレへと向かっていった。俺はその後ろ姿を、ただボケーっとしながら見つめるしかなかった。


 ケキルアのうたにはなんて書いてあっただろうか。


「魔女と踊るカボチャの日には 魔法の力で自分は落ちる」


 真夜の予言通り、俺は魔女に「落とされた」。

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