第20話 解結(455日前)

 昼休み。ガヤガヤしている廊下では、陽キャ女子どもが喋り倒したり、もっと過激な男子は廊下で人を追いかけ回しては捕まえ、床に伏せ倒していた。廊下で遊んではいけませんと俺はこの16年の人生で何度言われただろうか。


 そんなうるささをよそに、俺はその人混みの中を通り過ぎて渡り廊下を渡る。また建物に入り図書館の手前までくると、俺はそこには入らず、そばにひっそりと佇む、窓のないドアのノブに手をかけた。


 ガチャ、キィーと不気味な音を立てて中をちらりと覗く。明かりがついており、整列された長机の向こうには2つの人影。長い髪を持ち、緊張した面持ちでこちらを伺う。真夜と小笠原だ。ここから見ると髪の長さも一緒に見えて、影しかなかったら間違えてしまうだろう。


 特別講義室。授業ではあまり使われないこの部屋は、外部からの講師を招いた講演会や進学説明会、校内の参加自由イベントなどが行われたりする部屋だ。2段に分かれたホワイトボードや壇、プロジェクターといった設備が揃い、大学の授業を彷彿とさせる作りになっている。


 そんな中、ホワイトボードの前に立ち俺を見つめる真夜と小笠原に向かって俺は歩き始めた。あまり怪しがられないよう、誰も見ていないのを確認してから音を立てないようにドアを閉めてある。


 長机を一列過ぎて行くごとに、なぜか緊張感が増して行く。俺が近づいて行くうちに、小笠原との気まずさが増えていった。


 やがて、真夜が俺らを落ち着かせるような目で見守る中、俺と小笠原は1m 強ほどの距離をとってご対面した。さあ、聞かせてもらおうか。ここは優しい心で。


「こ、こんな時にごめん。今日呼び出したのは、えっと、真夜からも聞いてると思うけど…… あの……」


 男子に対して女子っぽい話し方、そして重々しい口から少しづつ発される震えた声と、小笠原らしくない言葉遣い。本当にこの数日で変わったな。ここまで人間はすぐに改心できるようなものなのか?


 真夜が小笠原の肩にそっと手を置く。不安げな目をしている小笠原に、真夜は紫にも見えるきれいな瞳を輝かせながら、ゆっくりと頷く。おそらく小笠原はこの数日で、これまで僕だと思っていた人たちに謝ってきたのだろうが、自分をあれほどまでに叱った人間に対しては緊張と不安が残っているようだ。小笠原の目が少しだけ潤んだが、俺には見えないようにして目を閉じ、意を決したように目をパッと開いた。


「蓮田と真夜に嫌がらせしちゃって、ごめん!!」


 そう言って、小笠原は勢いよく頭を下げてきた。その勢いに、俺は反射的に避けそうになった。頭を下げる人を見ると、転校初日の真夜を思い出すのはなぜだろうか。


「いいんだよ。もう頭上げて」


 小笠原が少しだけ体を起こし、大体45度くらいの角度から俺を見上げる。彼女らしくない、真夜が移ったかのような、いいの? と言わんばかりの目だ。あとその角度、谷間見えそうになるからやめろ。俺は少しだけ目をそらし、おでこに焦点を当てる。


「はい、じゃあ仲直りの握手!」


 しばらく黙っていた後に、雰囲気を察した真夜が手を叩いて促した。


 俺は右手を差し出し、小笠原の前に差し出す。体を完全に起こした小笠原は、自然的にかわざとか、自分の左手を差し出す。そういえばこいつ左利きだったっけ。


 脳内が混乱する。お互いが、え? という表情で目を見た。俺が先に自分の左手をかわりに差し出したが、ほぼ同じタイミングで小笠原が右手を出した。今度はとっさに小笠原が左手を再び出したが、焦って俺は右手を出してしまった。なんだこの漫画みたいな展開は。


 傍観していた真夜が、早くしろよと言わん如きに目を細めている。俺らはそれを察知し、一旦落ち着くと、俺は左手を差し出した。それに気づいた小笠原が、自分の左手を差し出す。ようやく、俺たちは手を取り合うことができた。


「よろしく」


「よろしく!」


 小笠原の顔はこれまでにないほど明るかった。


 ✴︎


 思ったほど早く用事を済ませた俺は、一人渡り廊下を渡って、教室のある校舎に入った。昼休みはもうそろそろ終わる頃だが、そんなの知ったことかと言わんばかりに、男子は廊下で戯れあいっこをし、明るい女子たちがそれを気持ち悪いと罵っていた。相変わらずだな、こいつらも。


 俺が角を曲がろうとした瞬間、角から一人の影が飛び出してくる。俺はギリギリニアミスでそれを避ける。そいつが飛び出た勢いで、若干体勢を崩した俺の体に風が当たる。


 よく見ると飛び出してきたやつは同じクラスの木山庄之介きやましょうのすけだった。一目で野球部だとわかる。ショートヘアだが、決して坊主にしているわけではない。背が高くて頼りになりそうなやつだ。でもうちの野球部は結構雑魚だし、こいつもベンチにいることが多いらしいが。体だけ、とでも言うのだろうか。


 あとで追っかけてきたのは皇太だ。真夜を一目見て天に召されたあいつが、行き場を失ったデカに襲いかかる。


「のすけぇー!」


 のすけと言うのは木山のあだ名だ。皇太はのすけにべっとりくっつき、脇腹をくすぐったり背中を揺らしたりしてなんとか巨体を床に倒した。そこへ皇太側の援軍が駆けつけ、5人余りでのすけの体に覆いかぶさった。身動きが取れないのすけは無力な手足をバタバタさせて、どうにかして抜けようとする。が、できない。背は高くていかにも野球部らしいのに、体力は全然ない。


 最後に、のすけを抑えていなかったもう一人の男子がトドメを刺すようにして、のすけのアソコを揉み出す。のすけは嬉しいのか嬉しくないのかよくわからない表情で笑い転げ、ビッグボディを抑えていた数人もそれにつられてギャハハと汚い笑い方で笑った。なんとも下品な男子のノリだ。こういうのに加担してなくてよかった。


「おっ、蓮田じゃーん!」


 汚い光景を無視して去ろうとした俺に、皇太が気づいて声をかける。俺はそれに反応して後悔した。めんどくさくなりそうな予感がする。プンプン漂ってくる。


「あれれ蓮田、真夜ちゃんと一緒じゃなくない?」


「「「うぉううぉう」」」


 のすけを抑えていた3人が皇太のフリに続き、周りの男子たちが大爆笑する。これはある意味有名な下ネタのノリだ。俺は全く笑えなかったが。


「なぁ蓮田、お前真夜さんと毎日一緒に家帰ってんだろ?」


 男子のノリのせいで静かになっていた周囲がざわつき始める。特に俺のことをあまり知らない人たちは遠くから俺を不思議そうな目で見てくる。


「毎日じゃあねえけど」


 一応誤解は解いておかねばと、俺は落ち着いて返した。皇太が顔を、のすけを抑えている男子たちに向けて大声で言い出した。


「こいつさ、昨日真夜さんを家に連れ込んでよ、えちえちしたんだってさぁ!」


ちげえよっ!!」


 これを聞いた男子はニヤリと笑って、おおっ!?と盛り上がった。時々、あれー? と煽る声も聞こえる。近くでそれを聞いていた女子グループは俺を目を細くして見ながら、キッモ! などと叫ぶ。この騒ぎに便乗してか、のすけを抑えていたうちの一人があいつのアソコを強めに掴みだした。くすぐったくて笑っているのすけを見て、男子たちの笑いのレートはさらに高まった。もう顎外れるぞ。


 キーンコーンカーンコーン


 ここで昼休みが終わることを知らせる、彼らにとっては絶望のチャイムがなった。のすけに群がっていた輩どもは次第にのすけを置いたまま立ち上がり、次の授業へ向かうべく教室に消えていった。周りの野次馬も、気づけばほとんどいなくなっている。


 やっとの事で障害物がなくなったのすけは、少しよろけながらもなんとか立った。じゃあ俺も教室に、と思い歩き始めようとした瞬間に、のすけに肩を叩かれた。


「よかったな蓮田、これから盛大にいじられるぞ。なあ、お前下の名前なんだっけ?」


 同じクラスのやつの下の名前を知らないというのか。この学校ではものすごく珍しい現象だが、インキャの俺からすればあまりレアなことではない。


「陽佑だ」


「あーそうだそうだ。今晩楽しみにしてろよ? ちゃんとLINE返せよ?」


 ムフッと笑いながら、のすけは教室の中へ入っていった。俺はのすけとは数秒の間隔をおいて、教室に入った。


 次は世界史。いつもの指定席に座って最初に頭の中に現れたのは、これから男子に変なノリで絡まれるというめんどくささだった。

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