第18話 省変(467日前)

 土曜日。静かになった4組の教室のドアがガラッと開く。


「おまたせー! ……ってあれ、なんでみんな静かなの?」


 教室にいた全員は黙ったままだ。まるで周囲の時間がストップしたかのように。椅子に座って円を描くように女子たちが座っているが、全員うつむいていたり、声の方向をわざと向いていなかったりする。


「ねえ、ちょっと、春香はるか、おーい」


 手を目の前にちらつかせるが、一向に春香は振り向こうともしない。


「結華、みのり? ねえ、なんでみんな何にも言わないのさ! 用があるって言って呼び出したんでしょ? ならちゃんと返事ぐらいしなさいよ!」


 そう言っても沈黙が教室の中を漂い、視線を向けようともしない。少し動いたりするので彼女たちが生きているのは間違いないのだが、なんとも不気味だ。


「もういい! あんたたちなんかもう友達じゃないからね! さよなら」


 少し涙で潤っている目と怒りのこもった形相で彼女たちに向かって叫び、力強い歩き方で教室のドアへと向かう。


「へぇ…… いとも簡単に切り捨てちゃうんだね。それって本当にトモダチ?」


 ピクッと動きが止まり、即座に振り返る。結華が勇気を出して最初の一声を発した。いつもの結華の口調ではない。冷たく見下すような話し方だった。


「はぁ? さっきまで私のこと無視しといて何それ? 頭オカシイんじゃないの?」


 結華につばが飛びそうなほどの罵声を浴びせる。結華は耐えるように目をつぶったが、再び開ける。その目は怒りで満ちているようだ。


「うるさい、私たちのことしもべとしか思ってないくせに」


 怒りのヒューズがプチーンと切れる。もう自分で自分をコントロールできず、火山の大噴火に相当するレベルにまで怒りは達していた。今不愉快な言葉を放り投げた実に近づき、ご自慢の長いポニーテールを引っ張り、自分の方を向かせる。さっきとは何一つ変わらず、目にはなんの感情もこもっていなかった。


「もう一度言いなさいよ」


 小さな声で威嚇する。荒い息遣いが教室にこだました。ポニーテールを引っ張る力が一層強くなり、実は首の痛さに耐えながらも歯を食いしばって耐える。


「私たちのことどうせ僕としか思ってないんでs……」


「このろくでなし!!」


 超至近距離で実の顔に大量の唾を浴びせ、右頬を空いていた左手で強めに叩く。実は反射的に目をつぶり唾と頬の痛みに耐え、やがてまた目を開け、先ほどとは変わらない凛とした目つきに戻った。叩かれた右頬は異常なほど真っ赤に染まっている。


「黙れ、ろくでなしは貴様だろうが、小笠原ひみの」


 いつも見せびらかしている長い髪をぐいと思い切り引っ張られ、自分よりも背が高い人間に罵られた。思わず驚きの声をあげる。


「蓮、田……」


 ✴︎


 突然俺が現れたことによる驚きと、これまで自分を慕っていたはずの仲間から虐げられたことによる怒り。これらがこもった小笠原の瞳が俺を向く。それを見て嘲笑いたくもなったが、今はあえて無表情を貫く。


「てめえ、自分のことなんだと思ってんだ? この独裁者が」


 小笠原は引っ張っていた髪から手を離し、上に向けられた頭を軸にして俺の方に体をくるりと向けた。俺からみると、長い髪が前にかかった小笠原はホラー映画の幽霊のようにも見えた。俺は彼女の髪から手を離し、俺ら二人が向き合った。


「てかあんたはなんでここにいるの。あんたがこの人たちを唆したの?」


「ピーンポーン」


 俺のピンポンは愛海に対して使う言葉よりも棒読みだった。小笠原が閉じていた口から歯をちらりと見せる。


「どうゆう精神してるわけ? あの件で私に恨みを持ったから、私を消すために変な噂吹き込んだのなら、ちゃんと本当のことを私が話して友達を返してもらうよ?」


「本当のことを話したよ!」


 即答で俺は答える。自然と言葉に力が入り、まるで学園ドラマの中で生徒に説教している先生のような気分になった。


「貴様が俺に真夜と絶縁しろと迫った文章をあんたの部下たちの間で拡散したよ。これまで一緒に加害者面してたトモダチたる存在も、みんな目が覚めてご覧の通りです」


 小笠原が後ろを振り向く。うつむいていた彼女たちの目は全部小笠原に集中し、中には目を細めて冷たい視線を送る者もいた。「加害者面」という言葉を使ったせいか、俺が彼女たちに目をやったときは数人がまずそうな顔をしていた。


 小笠原の息遣いがさらに荒くなり、ここに来て周囲を見回し、助けを求めようとしていた。


「真夜ちゃん! 私が悪かったよ。真夜ちゃんに許可もなくこいつにあんなこと言っちゃって……」


 真夜は小笠原が入ってきたのとは別のドア付近で一人待機していた。小笠原に声をかけられても、下を見続けるだけで応じようとしない。


 もう自分の周りに味方がいないと確信した小笠原は、助けを求めるのをやめ、蓄積された怒りを発散させるために俺を睨んでいた。


「あんた真夜ちゃんとはもう接触しませんって言ってたけどあれも嘘だったわけ? 私に対する恨みなら…… 直接言いなさいよ!」


 小笠原はここにきて反撃するための材料が底を尽きたらしく、途中言葉が途切れていた。


「友達というのは自分と意見とか好きなものとか趣味とか全然違って当然。お前の友達はたまたまお前と何もかもが一致してたわけじゃない。周囲がお前に合わせてたんだ」


 小笠原は、こいつ何言っているんだという目でさらに睨みを利かせてきたが、その奥では、初めて友達の存在意義に気づいたようでもあった。いいぞ、もっと睨みを利かせてこい。いつもなら俺は後ずさりするが、今日に限っては全く怖くない。


「自分が気に入らないというだけでそいつを虐げるとか消すとかどうゆう精神してるわけ? 逆にこっちが聞きたいわ」


「じ、じゃあ、あの人たちも私みたいに咎められるべきなんじゃないの!?」


 小笠原がノールックで彼女たちを指差す。これこれ、人差し指を人を指してはいけませんと習わなかったのかい? 俺の顔面にはかすかに笑みがこぼれた。


「彼女たちは今日までに自分の罪を認識して、十分に反省しているよ。残りは貴様だけだ」


「じゃあ…… じゃあ、これまで私たちが仲良くしてたのも、全部見せかけだったての?」


 小笠原が彼女たちに体を向ける。彼女たちはしばらく黙っていたが、この企画の発案者である結華が口を開けた。


「最初は…… 普通に楽しい仲間だと思ってた。でも次第にクラスの中で嫌いな女の子たちの扱いがひどくなってきてからは、こんなグループにいていいのかって思った。でも離脱したら今度は自分がひみのの標的にされるから、ずっとそのフリをしてた」


 結華が一旦間を置く。小笠原は、これを聞いて衝撃を受け、言葉も出なさそうだった。


「みんなもそうだったよね。でも敵にされたくないし好きな友達を敵に回したくもないから、みんな言えないでいた。そんな中で虐められる女の子たちを見てると…… 本当にかわいそうだった」


 他数人が結華の問いかけに頷いた。小笠原は自分の犯した大罪にやっと気づいたようだ。言いたいことはまだあるが、そろそろここでトドメを刺そう。


「『秋風の中で一人歩く。空気だけがついてきて、沈黙が自分を支配する。』なんでも自分の思い通りになると思うなよ」


 小笠原がこっちを振り向いたと同時に、真夜がハッとしたように俺の方を向いた。俺はズボンのポケットからスマホを取り出し、送られてきたメモを見せつける。


「俺はこの契約を取り消す。もしこれ以上他人を虐げるようなことがあれば、お前を信頼している先生の目にもこれが入るだろうな。そうすると…… どうなるかはわかる、よな?」


 俺の語尾がだんだん小さくなっていった。小笠原は耐えかねたのか、うぅと唸りだし、真夜がいる方のドアを勢いよく開けて走りながら去って行った。


 足音が聞こえなくなった後で、結華が頷く。その意味を悟った周囲は頷き返し、彼女たちの顔には久しぶりに笑顔が帰ってきた。


「なんかすごい考えさせられたよねー。人間って恐ろしいなー」


「それよりもさ、実大丈夫? ほっぺ真っ赤だよ?」


「大丈夫、今は痛みないけど……」


 そこまで言って、「実」は言葉を途切らせてうつむいた。ちなみにだが、「春香」と「実」は全く関係がないため、お互いのことを全く知らない。


「実」がしばらく黙り込んだ後、彼女の肩が小刻みに動いた。やがて女子たちに顔を見せた時には、両目から涙が溢れていた。


「春香ぁーー!」


 そう叫んで、「実」は「春香」にすがりついた。


 結華の作戦は見事成功した。時間を置いて土曜日に計画を実行したのも、これまで反旗を翻せなかった友達と反省する時間を取ってから実行するためでもあり、週末まで気まずい雰囲気で学校生活を過ごしたくなかったからでもある。すごく計算された計画は結華らしくなかったが。


 自分の幼馴染的存在のやつがこういうイジメに加担していたのは若干気が引けたが、反省しているんだし、大丈夫だろう。


 俺は騒いでいる女子たちを近くで見ている真夜に近寄った。


「ありがとね、真夜」


 真夜はえへへーと笑った。真夜さんの占いは、ある意味見事的中したようだ。

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