第17話 脅議(473日前)
午後9時。1週間の疲れを癒そうと、俺は部屋に入るなりベッドに無気力に倒れこんだ。布団がモフッと膨らみ、少しばかり心地よい風が俺の周りを通り過ぎていく。明日は桜隆祭の振替休日として、土曜だが特別な休みだ。普段なら土曜なのに学校に行き、午前中まで授業を受ける。私立ではよくあるというが、正直必要性を感じない。
せっかくの土曜に何をしようか、目をつぶって考えていると、携帯が震えた。俺はアラームをかける時以外は大抵マナーモードに設定してある。ただ単に変えるのが面倒くさいだけだ。
俺は真夜か結華だと思い、携帯を手に取る。まだついていたロック画面の通知を見て、俺は体を起こした。
LINE
ひみの〜が写真を送信しました
小笠原ときたら、最近ろくなことが起こっていない。どこか嫌な予感がする。
俺は通知を押し、恐る恐るロックを解除した。LINEのアプリが即座に起動され、小笠原とのチャットに直通でアクセスされる。現れた写真をタップし、詳しく見てみる。どうやらメモに書き込んだことをスクリーンショットして送ってきたもののようだが、俺はそれに恐怖を覚えずにはいられなかった。
===
最近うちの真夜ちゃんと仲良さげにしてますねぇ? この前蓮田たちがふたりで教室でいちゃついてたとき、私は変に思って真夜ちゃんのことを色々と調べ上げたんだよね。そりゃあさ、学校生活に要るはずのないトランプとか古い紙とか? 見て不審に思うでしょ。しかも隠してたし。やましそうだったねー、あれは。
そしたらわかったんですよ。真夜ちゃんの仕事について。別に真夜ちゃんが仕事をやる分には私はなんとも言わないし、邪魔もするつもりなんてない。ただあんたがいつも真夜ちゃんの周りをくっつきまわってるのが気に入らない。なんでそんなにも真夜ちゃんを追いかけ回してるのか知らないけど、あんたこれから真夜ちゃんに絶対変なことしてほしくないし、なんか見ててイラつくし。
私の真夜ちゃんと金輪際関わりませんと約束しないのならば、学校中に真夜ちゃんの仕事について暴露したっていい。特別に2日間待ってあげるか。日曜の23時59分までに誓わないとあんたは真夜ちゃんを殺すことになるんだからね。
===
真夜と縁を切れと? 冗談じゃない。たかが仲良いというだけで俺は隔離されなきゃいけねえのかよ。しかも「うちの」ってなんだよ。真夜は完璧にお前の所有物じゃない。こんなことで真夜を殺すのは俺じゃない、小笠原だ。あいつ自分で何やってるかわかってるのか? 一度病院に行くことをお勧めしたい。
俺は一度切った携帯を布団において考えた。このままあいつの言うままに誓うなんてことをしてはいけない。ただ無視してしまうと、真夜の秘密が暴露されかねない。真夜に言うか、それとも誰かに相談するか。直接言うのはショックが大きいかもしれない。何か良い方法は……
待てよ、明後日まで待ってくれるんだよな? ちょうど真夜と結華と一緒に公南に行く日じゃねえか! よし、この時に腹を割るしかない。しかも結華だったら意外と小笠原と仲良いから何か突破口が見えてくるかもしれない。
俺は決心し、相談するまでの計画を練るため、布団に潜り込んだ。
✴︎
見せた文章を読み終わった二人は、画面を見つめてただ呆然としていた。動揺していて、言葉も出てこない様子だ。
「ひみの…… なんでそこまで……」
真夜がやっと口を開いた。いつもの口調とは真逆で、か細い声で、しかも紫にも見える瞳は暗かった。自分のことでこんな争いをしてほしくないという思いが伝わってきそうだ。俺も同じ思いだ。こんな幼稚なことで喧嘩したくない。
「これ、ほんとにひみのが送ったの?」
結華が真面目な口調で聞いてくる。俺は何も言わず、ただうんとだけ頷いた。
しばらくの間、俺らはずっと黙っていた。周りはお喋りでガヤガヤしているはずなのに、まるで消音映画のように、ただ沈黙が耳の奥でこだまする。
「…… 私は嫌だ。こんなの」
真夜が悔しそうに言い出し、ようやく沈黙が破られた。周囲の音も耳に入ってくる。
「ひみのに止めるようにいうから」
そういって真夜は携帯を取り出し、少々焦った様子でLINEを開いているようだった。
「真夜ちゃん待って、それやると真夜ちゃんもひみのの攻撃対象になるよ。あの人気に入らない人間はさっさと目の前から消していくタイプの女王様みたいな人だから」
結華が真夜の腕を掴み、一旦動きを止めさせる。
「私とかその周りの子たちは、ひみのがそういう性格だって知ってるから、どうしても媚び売って嫌われないようにしちゃうんだよね。ほら、ひみのってああ見えて結構先生からは好かれてる人間だからさ、ひみのについて相談してもまともに取り合ってもらえなかったりするんだって。『小笠原がそんなことするはずあるか?』とか言うみたい」
これまでの反省を述べるかのように、結華は俯いて言葉を吐いていた。真夜はこれを聞いて腕の力を抜き、携帯のスイッチを切った。恐ろしい人間に逆らえない。逆に弱い者は徹底的に支配する。戦争でも使われた残虐な人間の心理そのまんまだ。
「っていうか、真夜ちゃんの秘密って……」
結華が聞いた瞬間、俺と真夜はビクンとなった。こういうことは想定内ではあったが、真夜はどう思うだろうか。これを秘密にしておいてほしいと言ってはいたが。
「いいよ。結華ちゃんになら教えてあげられる」
そう言って、真夜は俺と小笠原しか知らない秘密を告白していった。結華は大人しく、それに聞き入っては時々頷いたりしていた。
「そうだったんだ…… 別に恥ずかしいことじゃないと思うけど、真夜ちゃんが秘密にしてほしいなら、私誰にも言わないよ! 私口硬いから」
嘘つけ。お前これまでに何回俺の秘密を暴露しやがった。
問題はここからだ。
「小笠原の脅しに従って、近づかないと誓うべきか、それともそのまま無視するか。俺はそれで迷って今日二人に言ったんだけど、」
「応じなかったら真夜ちゃんの秘密が暴露されるってことね」
俺が言い終わる前に結華が代弁した。結華は小笠原をもう友達として見ていないような、真剣な目つきをしていた。結華は続けた。
「ひみのは多分容赦なく秘密を拡散すると思う。多分ツイッター使うかな。あとあの人鍵垢じゃないから、下手すれば真夜ちゃんの個人情報が部外者にもダダ漏れになっちゃうかも。真夜ちゃんの存在が危なくなる……」
俺は唇に人差し指を立てて当て、結華に黙るように言った。隣では真夜が怯えたようにそわそわしながら、綺麗な黒髪をかき回している。
「ごめん…… でも大丈夫、私は真夜ちゃんのミカタだからさ」
結華が真夜の肩に手を置き、優しく叩いた。真夜のミカタに俺を入れていないのは残念だ。
「ありがとう…… ふたりとも」
やっと正気に返ったような真夜の目は、若干涙で潤っているようだった。真夜は着ていたカーディガンの袖で目を拭った。やはり目の周りが赤い。
「あ!私いい方法思いついちゃったかも!」
突然、結華が頭の電球に強い電気が流れたかのように大きな声で言った。周りの目線が俺らに注がれる。数秒で視線は戻っていったが、もはやこういう視線に俺は慣れてしまったようだ。
「なになに? 教えて」
真夜が結華に顔を近づける。俺も然りと顔を近づけた。二人の頰と触れてしまいそうな距離で、少し恥ずかしい。
「言うよ?」
結華はコソコソと計画というものを俺らに伝える。言い終わった時には、俺らの目は不安から強烈な自信へと変わった。
「よし、これで行こう!」
俺が言うと、真夜も結華も頷いた。俺が思いつかなかったような方法を考えついた結華に感謝だ。
その時、真夜の呼び出しブザーがテーブルの上で鳴り響いた。真夜はひっと声をあげるがすぐに冷静になる。ちょっとしたビビリちゃんと見た。数秒も立たないうちに結華のブザーも鳴る。俺らのテーブルが、美味しそうな焼きそばとパスタとうどんという麺類で埋め尽くされた。
「食べよっか」
真夜の号令で俺らは手を合わせた。
「いっただっきまーす!」
これまでの人生でこれほどまでに楽しかったランチはあっただろうか。
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