第16話 飽従(473日前)

 日曜の朝。涼しい風が顔を優しく撫でる中、俺は通行人を蹴散らすまではいかないほどの勢いで、東稲川駅までダッシュしていた。いつもこの時間帯には学校で授業を受けているはずなのに、なぜか今日の空気はいつもよりフレッシュな感じがした。


「はい、5分遅刻です!」


 腕時計に目をやった真夜が、駅の改札前で待っていた。怒っているのかよくわからないが、全然怖くない。むしろ、スタイル抜群の彼女の可愛さが尊かった。


「私たちを待たせるなんて最低、本当に」


 結華も連られて俺に軽い罵声を浴びせる。


「だ、だってさ、俺いつも日曜の10時半はまだ寝てるんだもん……」


 荒い呼吸を整えながら、真夜に反論する。完璧に二人の尻に敷かれている。


 今日朝早くに集まったのには、理由があった。


 ✴︎


 桜隆祭は無事幕を閉じ、ほとんどの生徒が体育館に集合して後夜祭を楽しんでいた。校内からのバンドやらダンスやらマジシャンやらお笑いコンビやらが、俺らの疲れをねぎらう。ちなみに、mathilda も後夜祭に出演するために応募したが、学年制限とでもいうのだろうか、2、3年生が優先され、俺らは選考から落ちている。


 俺はその時、誰とも一緒に行動していなかった実玲を見つけ、なんとなく一緒に発表を見ていた。彼女は大のロック好きでもあるため、わいわい楽しむのもそうなのだが、その傍ら頭の中で色々研究するんだそうだ。大人数がちょっと苦手でもあるみたいだが。


「すごい、七実さんのギターやばいね」


 リズムに乗って拳を突き上げながら、もう片方の手で実玲が七実に指をさして俺の耳に囁く。


「でももうちょっとミドル(中音域)上げてりゃもっといい音になったんだろうね」


 いや、知らねえ。いくら俺でも。


 そんな調子で後夜祭も終わり、全員が体育館から退出した。俺も靴箱から自分の靴を取り出し、玄関が大勢の人で混む中、やっとの事で靴を履くことができた。実玲とは校門まで一緒で、そこから実玲は駅に向かうために別れた。


「ヤッホイ!」


 後ろからどつかれ、俺はイラっとしながらも振り向く。結華だ。まったく、背中どつかれるときは大抵こいつだ。結華は少し汗をかいた顔でニコッと笑って見せていたが、俺は終始無表情を貫いた。嫌悪感を出しているようにも見えるが、こういうのが幼馴染的な存在でもあるのだろう。


「あ、陽佑と結華ちゃんだ! 一緒帰りまそ!」


 その後ろから真夜が顔をのぞかせる。またこの3人かよ。でも、悪くないだろう。


 最近はこの3人で帰ることもほとんどなかったから、話すことなんざたくさんあった。俺と真夜の関係について結華から集中砲火を受けたり、逆に真夜は俺と結華がどれほどの仲なのかを聞いてきたりもした。いや、普通に友達ですけど。いくら頼まれても俺は結華の彼氏にはなりたくない。


 そんな中、真夜が思い出したように突然こんなことを言い出した。


「そうだ! 今度の日曜さ、遊びに行きたいんだよね! 私行きたいところあってさ」


「行く行く! 絶対行こ! 陽佑も来るよね?」


「お、おう……」


 結華の無茶振りに、俺は雰囲気で半強制的にイェスと言わされた。


 ✴︎


「く、公南くなみなんてそんな遠くねえじゃねえかよ……」


「そんだけ見たいものがあーるーの!」


 結華がさらなる砲弾をぶちかます。なんでお前そんな乗り気なんだよ。


 散々に罵声を浴びせられた後、俺らは改札を通り、修大寺とは逆方向の電車に乗る。各駅停車の日柴ひしば行きだ。


 東稲川から4駅。終点の日柴駅の一個手前、公南くなみ駅は俺らにとってはあまり馴染みのない住宅地のど真ん中にあるが、少し外れれば、ショッピングモールや大学が揃う。


 ちなみに、公南にある橘宮たちばなのみや大学は国内の中でも3本指に入るほどの文系の名門であり、真夜の両親は現在はここで文明研究を行なっているそうだ。だから娘の名前がマヤなのか?


 駅の改札を抜け、公13と書かれたバスに乗る。そこからバスに揺られること15分ほどで、今回の目的地であるショッピングモールに到着した。


 さすが県内一大きいだけあって、中は家族連れやカップルで溢れかえっていた。4階建ての建物は通路以外全部吹き抜けになっているからか、これほど人が多くても全く閉塞感を感じない。さすが、設計上よく考えてある。


「真夜ちゃん! あそこ行こー!」


 結華が興奮気味に指をさして早歩きし始め、真夜もついて行く。取り残された俺は、赤信号の中で横断歩道を渡るかのように、通っていく通行人たちを避けながら二人が吸い込まれていった店に入って行く。男一人で婦人服店に入るのもどこか気が知れない。


 結華たちはハンガーにかけてある服を両手であさり、気に入ったものを見つけては見せ合いっこしていた。俺は女じゃないから、このワンピはここがこうなっているから可愛いとか、全然わからない。結局彼女たちは何も買わずに店から退散したが、俺にとってはこの時間はお地蔵さんになった気分だった。


 その後も、彼女たちは面白そうな店を見つけては俺の許可なく入って行き、服を漁っては出ていくというプロセスを延々と繰り返していた。このショッピングモールは何かしらと婦人服が多く、紳士服もあることはあるのだが、スーツやワイシャツしかなかったり、おっさんコーデとでもいうのだろうか、中高年向けのお店だったりと、俺に合いそうな服に巡り合うことは難しかった。


「陽佑退屈してるでしょ?」


 結華がやっと俺の存在を認識したのはいいのだが、質問した時の顔に俺を放置していた罪悪感は微塵も見られない。


「そりゃーな」


 ここは正直に言わないと永遠に二人の言われるがままにされてしまう。俺は若干目線を冷たくして答えた。しかしこの緩めの攻撃は彼女たちには全く効かなかったようで。


「でも陽佑は付き添いって役割もあるんだよ、アシスタント君?」


「え、陽佑アシスタントなの?」


 結華が驚いた表情で真夜と俺を交互に見た。


「そうそう、この人私のアシスタントなの。助手助手」


 結華がきゃははーと笑う。言っておくが、助手=執事ではないことをこの二人には覚えて欲しい。


 ✴︎


「あーお腹減ったよぉ」


 結華が腹に手を置いて空腹アピールをかましてくる。


「もうじき見つかるから…… もうちょい頑張れ!」


 真夜が応援して勇気付ける。にしても俺らはフードコートの周りをもう5周はしただろうか、一向に席が空く気配がない。お昼時だから仕方ないのだろうが、何度も周回している俺らからすると、食べ終わった後でもフードコートで喋りまくっている輩には腹がたつ。


「あ、空いた!」


 真夜が目の前を指差す。ちょうど小さい子供を連れた家族が出発しようとしているところだった。俺らは即座に、周囲に同じ獲物を狙う敵がいないか確認する。よし、誰も同じテーブルに視線を送る人間はいない。家族がやっと離れたところで、俺らはついに席を確保することができた。


「ごめーん、先注文行ってくるー。」


 だらしなく座ろうとした結華がまた立ち上がり、焼きそば店の方へ歩みを進める。


「陽佑先いいよー」


 真夜に促されて俺も席を立ち、うどん屋へ向かった。真夜はここに残って席番をするらしい。結華より真夜の方が断然大人だ。


 ✴︎


 結華が俺のきつねうどんを羨ましげに見ている。こいつは食欲の塊だったっけな。結華と真夜の二人は料理ができるまで10分ほどかかるようで、出来上がったらフードコートでお馴染みのあのブザーで呼び出しされる。


 俺は結華の視線も気にすることもなく、じっときつねを凝視して考え込んでいた。俺がここに来たもう一つの目的。それは一昨日起こった事を二人に相談することだった。


 でも怖い。真夜に話すことはできても、俺らがどういう経緯でこういう関係になったのか知らない結華には話していいのだろうか。そうこう考えていると、頭がおかしくなってくる。


 だめだだめだ、ここはしっかり言っておこう。俺は頭の中の霧を消し去り、意を決して口を開いた。


「こういう時になんだけど…… ちょっと相談したいことがあって」


「え、何? 恋愛!?」


 相談という単語を聞いて、空腹もぶっ飛ばす勢いで結華は元気を取り戻した。こいつは人のゴシップが大好きだから、相談に乗るという名目で人の内面を聞き出すのだが、口が軽い故、そのことを軽々と他人に口にしてしまう。俺は小さい頃から、幾度となく結華の被害に遭ってきた。


「いや、そういうのじゃなくてな……」


 結華が肩を落とす。またもや空腹感を覚えたようで、腹が減ったと小さくぼやきだした。


「まあ、聞いてあげようよ」


 真夜が結華の肩を叩いて慰める。結華は目がしょぼんとしながらも、ゆっくりと体をあげて俺を見つめる。俺は二人の視線がちゃんと俺に向いていることを確認するすると、大きく深呼吸をしてから言った。


「一昨日、小笠原から脅迫状が届いた」

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