第15話 暴音(480日前)

 劇は無事終わり、キャストが揃って礼をして教室内に盛大な拍手がこもる中、ステージを照らした照明はだんだんフェードアウトしていった。やがて教室の蛍光灯がつき、観客が次々と退室していく。


「兄ちゃん次の劇もシフトあるー?」


 そんな中で教室の黒板の下でまったりしていた俺に、愛海が近寄って来る。劇は今日は2回あるが、20分後に始まる第2回の分のシフトは入っていない。つまり、クラスの劇を抜け出してどこか別の劇や出店に入り込んでも構わないということだ。


「ないけど、どした?」


 俺は素直に答えたが、よく考えればこんなことをしなければよかったのかもしれない。


「じゃあさ、センパイの猫耳パンケーキ行こうよ! 今なら人少ないよ!」


 うわぁ、めんどくせえ。先輩に家族を紹介するのも恥ずかしいし、そこで俺の学校での一面が明かされようものならたまったものではない。なんならこの部屋に残って次の劇を見るのが命のためだ。


 俺は渋い顔をし、助けを求めるために真夜を探そうとした。しかし、彼女はセットの裏側にいる女子たちと話しているのだろうか、少なくとも俺の視界の中では見つけることはできなかった。愛海さんの目がキラリと光る。


「ほら、拒否権ないんだから。とっとと行くよ!」


 愛海は俺の手首を容赦無く掴み、抵抗する間も与えずに俺を教室外に連れ出して行く。まさかの攻撃に備えていなかった俺の体は、俺よりも身長も力もない愛海の力でも軽々と持ち上がってしまった。よろけながら連れ出される俺をクラスメート数人が見つめているのがわかる。兄は情けないぞ。


 ✴︎


「いらっしゃーい! 何人だニャ?」


 猫耳をつけた軽音部の先輩が、いつも以上のポジティブな挨拶で俺の顔に迫る。近いよ。


「よ…… 4人です……」


 俺は先輩とは目を合わせないようにしながらなんとか返した。俺らは空いていた席に誘導され、親と対面する形で俺と愛海が座った。


「ようこそ、来てくれて嬉しいニャン! ここでは自慢の特製パンケーキを、みんなに味わってほしいニャン! すぐにお持ちするから、もう少し待っててニャ、よ・う・す・け・クン!」


 俺の軽音部の先輩こと小塩七実こしおななみが、俺をニコニコ見つめてくる。その笑顔が、かえって怖い。


 七実は俺と同じギターを弾いている人で、その演奏技術はプロからのお墨付きも付いているほどだ。スタイルがいい女子で、そのルックスから、よくアコースティックギターを弾いて弾き語りをしていると思われるようだが、実際はポストハードコアなどの激しいギターをかき鳴らし、毎度観客をドン引きさせている。


 そんな彼女でも内面では優しく、俺にとっては数少ない心から信頼できる人間のうちの一人だ。よく放課後に会ったりすると、本桜山駅近くのフードコートに連れていってくれたりする。そこでは勉強を教えてもらったり、熱いギタートークをぶちかましたりする。


 彼女のギター愛はすごく、メンテナンス用品やエフェクター(音に効果をつける装置)のコレクションが半端ではない。ちなみに七実は敬語嫌いで、後輩の俺にも下の名前で呼び捨てするように言っているし、先生に対しても容赦無くタメ口だ。


「ねー! 七実センパイ可愛くない?」


 愛海が俺の肩を揺さぶる。こんないい年して、ボディータッチはまだお構いなしのようだ。思春期ってものがあるんじゃないのか。


「そう? 俺はそこまでは思わないけどな」


 そもそも俺は女に興味がさほどないんでね。


 しばらくして、七実がトレーにパンケーキを4つ乗せて戻って来た。


「お待たせしたニャン! パンケーキ4つだニャン! 召し上がれだニャン!」


 4つをテーブルに移し終わったあと、最後の文章だけスピードが遅くなり、ニャンのところだけ首を傾けて両手で猫の手を作る。その手と七実の目は俺の方に向いている。だから怖いって。


 パンケーキは家で作るものとは全く違い、ふっくらしたとても厚いものになっている。上には粉砂糖がかかっていて美味しそうだ。これが今巷で噂のパンケーキたる奴なのか。


「陽佑珍しいね、一緒に祭りまわる人がいるなんてね」


 俺が飲み込もうとした最初の一切れが喉につっかえ、咳き込んだ。そんなことをここで言ったら家族にインキャだってこと知られちゃうじゃねえか! てか猫はどこ行ったよ。


「め、珍しくもないでしょ。俺だってそういう人いるから」


 俺は軽く握った左手を口に当てて答える。


「そっかぁー! 陽佑にはあのコがいるもんねぇ!」


 眩しいほどの笑顔でそう言って七実は席から離れていった。なんで七実は真夜のこと知ってるんだ?


「…… ねえ陽佑、あのコって誰?」


 母親に聞かれ、俺は背筋がカチコチに凍った。本当に言わんこっちゃなかった。


 ✴︎


 説明するのはなんともめんどくさかった。俺が女子と仲良くしていると言うのも恥ずかしかったし、愛海が余計な口を挟んで、真夜が超絶級の美人だとか言い出したわけだから、俺は体に針が千本刺さった気分だった。


 てんやわんやで、なんとかあの悪夢を切り抜け、俺はやっとのことで軽音部の発表まで来た。大きなホールの奥にはステージがあり、アンプやマイク、キーボードとドラムがおかれていた。既に客はホールの6割ほどまで集まっている。俺ら発表者には大きめのプレッシャーだ。


 時間になったところで、七実がステージに立ち、挨拶をする。そういえば七実は軽音部の部長だったっけ。これで会場のムードは一気に高まった。


 俺の出番は13団体中10番目なので、余裕を持って他の演奏も見れそうだ。


 俺はホールの壁に寄っかかり、評論家のような目で演奏を見た。ふむふむ、歌唱力はいいね、でもギターの音が淡白だし、ベースの迫力というのも少ない。俺は特にギターとベースには厳しいのだよ。


 8番目まで終わり、9番目にスイッチし始めたところで、俺はギターをケースから引っ張り上げた。すでにチューニングを終わらせたギターを持ち、俺は大勢の客が見つめる舞台に上がるために心の準備をしていた。さっきはなんの準備もしていなかったせいで愛海に簡単に引きずられたからな。今回は念入りに。


 そんななかで登場したのは七実だ。いつも客をドンびかせる彼女は、今日は一体何を聞かせてくれるのだろうか。


「今回演奏するのは、Crack Rain の、Sp-acerスペーサー という曲になります。あまり知られてはいませんが……」


 なんだって? 俺はえっという声を少しばかり漏らさずにはいられなかった。食らいついた俺を見て、七実がニヤリと笑う。


 この曲はまさにギター殺しとして、この学校のギタリストの間ではよく知られている曲だ。テンポが何度も変わるゆえに、ギターの速弾きはコピーしようと思ったら目が回ってくるほど複雑なのだ。しかも使っているエフェクターの量が多く、えげつない。


 準備ができたところでホールがシンと静まり返ると、急にギターアンプからレーザーガンのような音が鳴り響く。あまりにも突然だったために、目の前の数人の観客が声を出してビビっていた。


 あんなにも難しいと思われた曲が進んで行く中、七実は澄ました顔で、なんでもないかのように普通に弾き続ける。複雑な箇所も、難なくクリアした。


 そして曲が終わり、ホールが再び沈黙に戻る。観客も何が起こっているかわからず、終わってから数秒は誰も動くことができなかった。やがて拍手が鳴り、七実たちはステージから降りていった。


 そしてようやく俺らの番がきた。俺はステージに上がるなり、多くの観客に慣れようと、客席を見回す。他の4人にはコールが起こるが、俺の名前は上がってこない。それには落胆した。


「陽佑ー!」


 誰かが俺の名前を呼び、落ち込んでいた脳みそは一瞬で目が覚めた。声の主を探ると…… 奥の方で家族が見守っているではないか。来ることは予測していたが、ここで出しゃばってほしくはなかった。


「陽佑ー!」


 もうひとつ聞こえた。今度は近い。俺は最前列から知っている人を探していく。すると2列目に真夜が他のクラスメート数人と座っていた。来てくれていたのか。ありがたい。


「えーとみなさんこんにちは、mathilda と言います。今日やる曲は、Thornback さんの『カイシンノイチゲキ』という曲です」


 やがて全員分の準備が終わり、実玲が挨拶すると、ホールがまた静かになった。俺は修也の方を向いてコンタクトをとる。他のメンバーもあいつの方を向いていた。確認が取れたところで、練習の時のようにスティックを叩く。今日は無言だったが、あいつが4回叩けば曲が始まるのはもはや当たり前だった。


 俺は緊張のなか、今日のために練習したメロディーを弾いていく。下手するな、俺。家族も真夜も見てるんだぞ。


 しかし、大抵こういう暗示をかけるともっと悪い状態になっていくのが人間だ。例のソロに突入していった。この前のスタジオ練の時のトラウマがあるせいか、俺は絶対に知っている人の顔を見まいと、必死に上を向いて一音一音をかき鳴らしていく。指は自然に動いてくれたが、観客席から見ればなんともシュールな絵面だったに違いない。


 そんなソロは過ぎ、やがて楽器の音が止んだ。その時、ホールからはこれまでに感じたことのない拍手が降りかかってくる。俺はそれを浴びながら、ギターとシールド(ケーブル)を持ってステージを降りた。


「陽佑! よかったよ!」


 通りすがりに真夜が呼んできた。なんか褒められ、俺は笑わずにはいられなかった。

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