第12話 雨闊(489日前)
授業中。現代文の先生が今日もベラベラとくだらなさすぎる話を生徒に降らせている中、俺の携帯が震えた。マナーモードにしてあるから、ポケットに入っていても先生には気づかれることはない。俺は窓の外へ向いていた視線を自分の机に向け、こっそり取り出した携帯のお知らせをみる。
LINE
M@Y@:月曜図案作成する?
俺に聞かれても…… しかも授業中にすることじゃねえだろこれ。
ここで、新しいメッセージが俺の携帯をもう一度震わせた。
LINE
ひみの〜:いいよ、私空いてるし
え? なんで小笠原が…… あ、そうか、グループじゃないのかこれは。複数人向けに真夜が送ったのか。
俺も小笠原に便乗して一言返しておいた。緑色の吹き出しが現れた。
「俺もいけるんでいいよ」
✴︎
「今日もお仕事ですかぁ」
「そんな愚痴ってないでさ、早くやろーよ」
放課後の教室で、真夜が俺を急かす。あの時、その場の雰囲気でアシスタントになることを承諾しなけりゃよかったと今になって後悔の念が心の隅から顔を覗かせていた。
「さてと、今日の依頼は?」
やる気満々の真夜が、やる気ゼロの俺に聞いてくる。
「はいはい、えーと、
こんにちはMaya先生。私は都内の大手企業に勤めているOLなのですが、最近上司からのセクハラに悩まされています。一応具体例をあげると、飲み会の席で腰に手を回されたり(彼氏いるのに)、カップの大きさを聞いてきたりします。しかもどれも一度だけでなく、数年前から徐々にエスカレートしています。
これはあくまで前振りで、私が先生に占って欲しいことは、私と同じ会社の中に、どれだけ私と同じように同じ上司からセクハラに悩まされているのかです。少なくともこれを訴えたり改善してもらうためには、たくさんの人の協力や同士が必要だと思うので、どれくらいいるのか数を知りたいです。
ご依頼が多いとは存じますが、何卒よろしくお願いします」
「なるほどね、やってみる。人はそんなに多くないと見たから、そのまま倍数は1でいいか」
真夜は切ったトランプの束をタリスの中央に乗せ、いつものようにジョーカーをかざす。この前俺が死ぬまでの日数を占ったときのように、倍数を書いた紙は今回はおいていなかった。
カードが少しずつ紫のベールを帯び始め、次第に浮かんでくる。そして最後のカードが浮かび、真夜が右に手をずらそうとした、その時だった。
「あー! 筆箱忘れちゃっt……」
ガラッと勢いよく扉を開けて入ってきたのはなんと小笠原だった。今一番会いたくなくて、かつ一番占いのことを教えてはいけないやつなのではないか?
真夜もそれを認識した瞬間、これまで浮いていたカードが全部宙に舞い、真夜と俺の一部に降りかかってきた。真夜はとっさに、小笠原にタリスが見えないように全身を使って隠した。小笠原が独り言を止めたのは、おそらくトランプがバラバラと吹き上がって行ったのを見たからだろう。
小笠原は、何か見てはいけないものを見てしまったかのような顔と、俺と真夜が一緒にいることへの嫌悪感が混じっているような表情を顔に浮かべながらも、俺らの方を見向きもせずに、廊下側にある彼女の机を漁っていた。筆箱を見つけると、すぐに立ち上がり、すぐに後ろのドアから出て行った。
「失礼…… しました」
彼女はドアを乱暴に閉め、廊下をダッシュしてやがて彼女の靴音は聞こえなくなった。
俺らは、彼女が気配を完璧に消したことを確認するまで、じっと動かずにいた。俺がようやく真夜の方をみると、彼女はすでに体を起こしていたが、その顔は驚くほど青ざめていた。
「どうしよう…… ひみの見ちゃった、よね、私がトランプ浮かせてるところ……」
真夜は生気のない瞳でバラバラになったトランプを見つめ、両手で頭を抱えていた。彼女の綺麗な髪がぐしゃぐしゃになるほど強く。
小笠原になぜバレてはいけないか、それは色々理由がある。まず、あいつはクラス一のおしゃべり野郎で、しかも口が軽いから、真夜の秘密をすぐにぶちまけてしまうかもしれない。あと、あいつはおそらく俺のことが嫌いだから、俺らがなぜ仲良くなったかをあいつが突き止めれば、弱みを握られてコントロールまでもされかねない。真夜の占い業にも影響が出てくることは容易に予想できた。
「まず…… この依頼を終わらせようか」
彼女はここで我に返り、トランプを掻き集めた。どこか焦りがあるのか、その時の彼女の手さばきは雑だった。
✴︎
俺らは仕事が終わるや否やすぐに校舎を出て帰路についた。彼女はあれからほとんど言葉を発しない。特に学校を出てからは、俺にはまるで話しかける気がなさそうで、俺も真夜のことはそっとしておいたほうが良いのかもしれないと、あえて変に話しかけには行かなかった。
「大丈夫?」
俺は口元の封印を解いてみた。
「…… んなわけないじゃん」
絶望と怒りの混じったか弱い声で反応してきた。俺の耳にはやっと聞こえるほどの音量だ。
「今日時間あったらさ、カフェ行って話がしたい。コーヒーとかおごるから」
ドラマに出てきそうなセリフをここで入れ込んでみた。ちなみに真夜はコーヒーがかなり大好きで、自販機でいつも買っているのも大抵缶コーヒーだ。真夜は少し考えたが、一緒にきてくれるようだ。
俺が選んだカフェは、東稲川駅から歩いて30秒もしないところにあるチェーンカフェだ。俺の家からは歩いて10分ほどのところにあるこのカフェには、近くに大学があるためか若者が多く、友達とおしゃべりしたり、自分で作業をしたりしている。俺はここでは一人で黙々と宿題をしたことしかないが。
俺らは入って早速レジに並び、メニューボードを確認する。俺はいつも頼んでいるカフェラテにした。真夜は…… 普通のブレンドコーヒーか。俺からすると、渋い。
✴︎
カフェの中でも奥の方の席に俺たちは座った。最初の一口をすすり、いつも通りであることを確認する。真夜は一度飲んだあとミルクを一気に投入し、マイルドになったところでため息をついていた。
周りでも誰かおしゃべりしているはずなのに、俺らのところだけは沈黙が支配しているようだった。すぐ近くを走る樫見野線の電車が発車する音が聞こえる。
「もう…… 隠すのは無理かもなー。バレるの嫌だったんだけど」
真夜が俯きながら俺に話しかける。いつもの天然はどこ行ったよ?
「でも小笠原だってさ、あれ見ただけで真夜が『あれ』だとは思ってないかもよ」
周囲にも占い師であることを隠しておくために、俺はあえて『あれ』と言った。
「まあそうなんだけどー」
それでも真夜は自信なさげだ。
「…… 俺はなんでもするよ」
真夜がゆっくりと顔を上げる。自分でも何を言っているのかわからなかった。
「ってのもさ、もし俺らが弱み握られてもさ、俺は小笠原の脅しになんか絶対に反応しないし、真夜の秘密をどれだけ迫られても、俺は言わないっていうか…… まあ、ミカタ、しますよ、的な?……」
真夜は最初は俺のもじもじにむすっとしながらも、あとでクスクス俺を見て笑った。
「はっきり言って欲しかったけどね。でもわかったよ。味方してくれるんだよね。ありがとう!」
さっきの憂鬱は何処へやら、彼女の顔は一変して晴れになった。
✴︎
コーヒーを最後まで飲みきって店を出た時、俺は大変なことに気がつかずにはいられなかった。
「雨? まさかの夕立……」
真夜が俺の隣でボソッと呟く。
ここから俺の家はそう遠くもない。しかし今日は雨が降らないものだと思い込んで、折りたたみ傘も家においてきてしまったのだ。カバンを傘にしてそのまま帰ることもできるが、真夜と帰宅路が交差点まで一緒であるため、俺だけが傘に入れないというのは気まずい気もしてきた。
一緒の傘に入るというチョイスもなくはなかった。むしろ期待していたが、それって相合傘じゃないか!? 真夜とは付き合ってもないのに!
「…… 入る?」
困っている俺を見て、真夜は手に持っていた折り畳み傘を揺らして見せた。俺も彼女も、顔は真っ赤になっている。
「結構です」と言いたいところだが、同じ傘の下に入るというのは2度とないであろうチャンスでもある。俺が気にしていたのは、「恋仲でもない男女二人が相合傘をすることは社会的にありかなしか」ということであり、別にカップルだと間違えられたらどうしようと思っていたわけではない。どうせ相合傘をしていたらカップルと見られるのは当然だからだ。
そういう風に俺が躊躇していたところ、大学生と思われる二人組が駅の方から相合傘をして歩いてくるのが見えた。二人がこっそりしていた話を、俺は盗み聞きしてしまった。
「今日は入れてもらってごめんね。傘忘れちゃって」
「いいんだよ。まあすぐそこだからね……」
これは真夜も聞いていたらしく、俺らは顔を合わせる。
「…… じゃあ、お言葉に甘えて」
真夜が傘を広げ、俺はゆっくりとその下に入る。真夜とはある程度距離はとっておいた。
かなりの緊張からか、俺らはお互い何も話すことができなかった。途中、俺の手が真夜の体に触れた時に、「あ、ごめん」と言ったくらいだ。
稲川町の交差点についたときにはすでに夕立は止み、傘無しでも十分帰れるほどになっていた。俺は真夜と別れてからは逃げるように早歩きで家に戻った。
匂ってくる雨のにおいが、俺を煽っているようだった。
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