第10話 慮行(辻元真夜の入占録 ①)

 空港に降り立った私は、まだ11歳。海外に初めて足を踏み入れ、期待と不安で満たされていた。周りにもう日本語はない。見知らぬアルファベットの羅列が所々にあるだけだった。


「こら、私の袖をずっと握らないでよ」


 母親が私の腕をパッと払いのけた。私はなんとかして自分の力で歩くことができた。前なんか見ず、ただうつむきながら私は歩いていた。


 メキシコ。それは私にとってはもちろん未知の世界。アメリカの南にあるということ以外は何も知らない。ただ親の言うままに、慣れ親しんだ友達とも別れを告げてまで、ここまでついてきたのだ。


 周りの人たちは、私たちをまじまじと見てくる。私よりかは彼らは明らかに少し黒かったり、また少し白く見えたり。多分向こうからも、私たちの色は全く違って見えるのだろう。こんなところで生活しなくてはいけないのか。


 ✴︎


 メキシコシティ。東京などとは全く違う景色だった。地下鉄も、東京のものよりも幅がすごく狭く、空港からの観光客や現地の人で、座席はほとんど埋まっていた。日本みたいに、寝ている人がいないことには、大きな違和感を抱いた。


 私たちの新しい住まいは、グラナダ地区にあるまだ真新しいマンションの4階の部屋。日本のような感じに近く、フローリングも壁も思ったよりもしっかりしていた。テレビで見たような海外の様子とは違い、倉庫のような場所に暮らす必要はなさそうで、私は安心した。


 引っ越してきたのが夏休みだったこともあり、私はメキシコという異国に順応する期間が十分にあった。市の中央に行けばものすごく大きな公園があるし、見所というのも結構ある。スーパーに行っても、母親が日本で一生懸命覚えた、片言のスペイン語で色々と交渉しているのを見て、ある程度の意味のスペイン語は次第に理解できるようになっていった。


 私はここに引っ越してくるにあたり、いくつかの制限を親から受けなければならなかった。一つ目は、最初のうち、まだ引っ越してきばかりで、スペイン語がまともに喋れる状態でなければ、一人での外出は控えること。日本ではないため、外に出た時何が起こるかわからない。しかも言葉ができない限り一人で物事に対処できないからだという。


 二つ目は、メキシコシティのいくつかの地域には絶対に近づかないこと。テピトっていう場所は特に現地の人でも行かない場所らしく、麻薬とか拳銃を売っていたり、強盗や誘拐がよく起こるようだ。他にも、タクバヤといった駅や、空港の周辺はスリとかの軽犯罪が起こるらしく、地下鉄は安全だが地上には出ない方が良いようだ。


 仕方ない、私にもこれは理解でき、この約束は守った。流石に自分でも怖いし。


 ✴︎


 私が入れられたのは、地元のインターナショナルスクール。9月に編入した時は、まだ英語もろくにできなかったから、入ったときなんかはもうてんやわんやだった。周りに自分が思っていることも言えないし、しかも向こうは話すのがめちゃくちゃ早い。現地のメキシコ人生徒もいたが、やはりこの学校にいるだけあって、英語はペラペラだ。私だけが遅れをとっているようだった。


「そんなことないよ、真夜。私だってそんな感じだったんだから」


 元からこの学校にいた延山叶恵のべやまかなえ。私よりも英語が話せる同じ日本人で、引っ越してきたばかりの時はいつも通訳として一緒についてきてくれていた。彼女がいなかったら最初の方で学校生活は挫折していただろうから、いまでは本当に感謝している。


 先生たちも私の英語力のなさに対していろいろな工夫をしてくれた。難しい箇所は簡単に説明してくれたし、わからないところは聞きに行けば優しく説明してくれたこともあって、私の言語能力というのはメキメキと上がっていくのが、時間が経つに連れて分かっていった。


 新しく入ってきた人というのは優遇されやすい。特に私は日本人だったから、日本のことについて根掘り葉掘り聞いてきた。もちろん叶恵もちゃんと説明していたが、彼女は東京には乗り換えでしかいったことがないらしく、みんなが聞いてくる東京についてはあまり詳しく話すことができなかった。私は東京には近いところに住んでいたから、彼女に代わって色々話してあげられた。


 そんな私達に嫌気をさすヤツがいた。同じクラスのフェルナンド。地元で生まれ、幼稚園からこの学校だったという超金持ちだ。金持ちだからか、周りからは鬱陶しがられ気味で、いつも女を探しては回っていたというような女たらしだ。ちなみに叶恵も標的にされたことがあり、一度告白されたそうだが、友人から止められたという。


 女が私の方にしかやってこないからこういう僻みになっていったのだろうか。確定したことではないが、それは人に嫌な思いをさせる理由にはまずならない。


 最初の頃は、私がクラスで何か発表しようとすると、毎回何かにつけて難しい質問をしてきた。「そんなことまで考えてなかった」ということがほとんどだったし、急に聞かれても速攻で頭の中で英文に変換して返すことはできない。こういうときは先生や周りの人たちがフォローを入れてくれて、私はなんとか助けられていた。この時はまだ、「よくそこをついてくるなー。」と思う程度だった。


 しかし私が転入して半年もたち、英語もまあまあできるようになってからは陰湿な嫌がらせが徐々に増えてきた。最初は消しゴムを教室の隅っことかに隠されたりとか、ノートに小さな落書きをされるくらいで済んでいた。


 周りの女子たちは私のことは全く悪く思っていなかったから、こういうことがあったら必ず慰めてくれた。一人で抱え込むことはまずなかったし、みんな私の気持ちは痛いほど理解してくれていたようだ。


 その嫌がらせが今度は、教科書やノートの1ページがまるまる黒塗りにされたり、図書館の本が破られたり、お昼になってお弁当がなくなっていると思ったら中身が捨てられていたりと、「なーんだ。」では到底済まされないような事態へと発展した。


 先生や友人にももちろん相談した。友達はみんな、これはフェルナンドの仕業だと主張を共にしてくれたし、先生たちもフェルナンドに事情聴取をするなどの対応を取ってくれた。


 しかし彼は、毎回違う言い訳で言い逃れていたのだ。先生たちも全力を尽くして話を聞いたようだが、どうにも確固たる証拠がなく、フェルナンドのアリバイがあることが証明されることもしょっちゅうだった。それほどにもあいつはずる賢かった。


 一度、あいつが職員室での事情聴取を終えて出てきた時、私は彼とすれ違った。その時、あいつが横目で、私を蔑むような目で私を見てくる。私の弱さを笑うように。


 そんな感じで1年が終わろうとしていた頃、5月の中旬あたりの毎年恒例スクールトリップ、つまりは毎年ある修学旅行みたいなものの行き先が発表された。例年アメリカとかカリブとかそちらの方に行くようだが、今年は国内で済ませることになったらしく、行き先はユカタン半島に決まったようだ。かつてマヤ文明が栄えた場所でもある。


 修学旅行とはいっても自由参加ということにはなっている。行き先によっては行かない人も一定数いるらしいが、もちろん私は行くことにした。あのフェルナンドももちろん来るという。


 ✴︎


 初日。私たちはメキシコシティの空港を飛び立ち、ユカタン半島の最大都市、メリダに降り立った。ここが旅の始まりとなる。この町は特に観光することもなく、私たちは到着早々バスに乗り込み、最初の目的地、ウシュマルへと向かった。


 高速道路に乗ってメリダを出ると、次第に建物の陰は薄れて行き、20分も走らないうちに左右には木しかなかった。その森を抜けると、一つ町が見えた。バスはそこを通過し、さらに10分ほど森の中を走って行く。


 この間、私は1年のうちに習得した英語を全て放出し、友達との会話を楽しんでいた。ようやくみんなの話していることが90%は理解できるようになり、時にはみんなと一緒にジョークを言い飛ばして笑いあっていた。外国語で話せるというのは本当に楽しい。


 そんな森の中から突然、廃墟らしきものが前方に見えてきた。ウシュマルだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る