第7話 怪答(498日前)
朝、外に出ると心地よい西風が、整えたばかりの髪を左から右へとなびかせた。今日の天気を真夜暦で占うと、シュフェットル、だっけな、空の神が強く反応するんだろうな。
俺は後ろから風に背中を押されて、また車がブンブン走っている道路に踏み出しそうなのを耐えながら、稲川町の歩行者用信号のLEDおじさんが早く歩き出すのを待っていた。
突然、俺は左腕を誰かにどつかれた感じがして、ふと左を向く。気がつけば真夜が俺の腕を肘で突いていた。俺の腕はおもちゃではない。
「陽佑ばったりだったね。おはよー」
今日もフレッシュな真夜さんが俺に紫の瞳を向けた。なぜかもう、真夜に対しては緊張もなくなっていた。可愛い仕草をしてくるのも、まだ3日目だというのに、散々見せられた気がしてもうお腹いっぱいだった。
「おはよ。いつもこの時間にここ通るの?」
「いや、今日はちょっと遅めに家出ただけ。いつもは5分くらい早いかなー」
そんなたわいもない会話をしながら、いつも歩けば片道15分かかる道のりが、あっという間に感じられた。楽しい話をしているとなぜ朝は早く過ぎていってしまうのだろう。
もはや俺らをみてコソコソいう輩はクラスからは消えていた。最初はみんな拒絶反応を起こしていたくせに、もはや日常茶飯事の光景になったのか、今日は昨日よりも聞かれる声は減っていた気がする。やはり人間は、慣れる恐ろしい。
✴︎
水曜日だということもあり、今日はかなり楽な授業が並んでいる。現代文なんかは授業を聞いていなかったとしても、授業の内容がテストに出ることなんぞない。しかも俺の現代文の先生といえば全く面白くないから、俺もその周りも、この時間はみんなうわの空だったりする。
こういう授業が連続しているのが水曜日で、暇すぎて地獄だという人もいれば、内職し放題だといってなんか別の課題をやっていたりするやつもいる。俺は…… ぼーっとしている。だからあいつ変だと思われるのかもしれないが。
このある意味空白の4時間と昼休みがすぎると、毎週恒例、ロングHRが待っている。大抵1時間の中で担任が話すことなどあまりないこともあり、みんなにとっては天国の自由時間だった。
でも今はそれではない。全員での「共同作業」がある。
クラス全員が自席に着くなり、クラスの中でも真面目ちゃんキャラでおなじみ、
「えーっとー、みなさん聞いてください」
どこかぎこちなさそうな、自信なさげな声で呼びかける。それでもみんな反応し、小さな喋り声が止み、視線が前を向いた。
「来月の初旬に行われる
桜隆祭というのは、この高校の学園祭だ。毎年9月下旬か10月上旬に2日間開かれ、すごい時には2000人は来場者がいるらしい。まあ県内の中でもトップ校だというもんだから、これぐらい人がいてもなんらおかしくはない。
当日は、1年は主に演劇系、2、3年生はゲームであったり食品であったり自由な出店ができる。特に3年生は高校生活最後ということもあり、思い切った企画が多い。それに比べて1年の演劇というのはやらされてる感が半端ない。
我ら4組は、「四銃士」という劇をやることになっていた。なんとも名前のパクリ感が否めないが、実はクラス一の文学センスを持つ奴が一から書いている。その出来は海疾やキャストにもかなり好評だったようで、これは今年のベスト企画にもなれるぞと、クラスの一部では期待値が上がっているようだった。
俺は事前に決めたグループでは、買い出し&装飾班に分類されていた。後ろの方で、変態クズ野郎こと
集まった人数は合計で6人ほど。皇太や小笠原もいたが、真夜もこの部署に配属されたようだ。心のどこかでは嬉しい。
「あれ?辻元さんって買い出し班になったの?」
皇太が真夜を見つけるなり、食いつくように質問する。
「あ、うん、そうなの。佐々木くんがね、ここの配属でって言ってたから」
「へえ、そーなのか。俺近藤皇太っていうから。よろしくー」
しれっと真夜に握手を求める。真夜は少し動揺を見せながらも、皇太の握手に応じた。
「うわっ、やっぱコータ変態だわ」
アグレッシブな皇太に小笠原が吐き捨てた。
実際こいつは俺よりもひどいド変態伝説を持っている。しかもこの高校でしでかしたことだ。
男友達とふざけてやった隠れんぼで見つからないように女子トイレに隠れたり、手当たり次第に女子と仲良くなっては告白したりなどなど、人間性を疑いかねない事件をこいつは幾度となく起こしてきた。ちゃんと停学にならない程度だとはいっていたけど。実際そんな処分を喰らったことは一度もない。
「そう、で、俺らはどこかへ買い出しに行って装飾をするんだけれども、その前に購入しなければいけない物リストの承認をまだ会計からもらってないんだよね」
「なんでコータが取り仕切ってんのさ」
話の途中で、小笠原が皇太にばかにするように呟いた。皇太はこの班のリーダーということになっているが、小笠原はこれにはいまだに納得できない様子だった。昨日俺が結華に言いたかったことをここでいっそのこと言ってやりたい。皇太はむすっと顔をしかめたが、話を続けた。
「その承認はあと1週間ぐらいかかるらしいから、その前に大まかな装飾の図案を作っといた方がいいと思うんだけどどうだろう」
皇太は性格的には底辺中の底辺とも言えるが、時にはまともなことを言う。これで女子人気は回復できないのは明らかだが。
「コータのわりにはまともなこといってるし、まあ私は賛成しますよ」
小笠原が放り投げたように言い放った。俺ら他の4人も、反対する理由もなく頷いて賛成の意思を示した。真夜はまだよく分かっていないようで、コクっと顎を引いただけだった。
「ありがとございやす。で、分担なんだけれども、すでに作る背景というのは決まっているから、その下地を作ると。まあざっくりでいいと思うから、シャーペンでシャッシャと描くだけでいいのかな。だから、この6人班を2つに分けて、それぞれ2つの図案を担当するってのを提案したい。みなさんどうですか?」
皇太がジェスチャーを混ぜながら一気に説明した。真夜がきているからか、今日の説明はなぜか若干熱を帯びていた。
「2つのグループに分けるとしたらどうやって別れんの?」
またもや小笠原。おしゃべりなだけあって、その勢いは止まらないようだ。
皇太は左手を顎に当て、少し考えていた。そのポーズは女子受けしないからな。
「もう今いるところで区切るってのはどうだろう」
そういうと、皇太は左腕を差し出し、輪になっていた俺らの前に直径となる線を引いた。その線は俺の左横を通過していた。
「この線で分けて、蓮田とひみのと辻元さんで1グループ。残った俺らでもうひとつってのはいかが?」
ここで言い忘れていたが、ひみのというのは小笠原のことだ。本名は小笠原ひみの。
「きゃっ……」
小笠原が手を挙げ、何か言いたげにしていたが、途中で言葉がつっかえているようだ。彼女はしばらく、6人を分断した線を見つめ、深く考え込んでいたが、やがて意識が戻った。
「ごめん、なんでもない。いいよ、このグループで」
小笠原に似つかないほど静かな声で彼女はそう答えた。
「よしこれで決まりだな。チーム近藤はよろしくー!」
皇太は同じグループになった人と握手をかわす。だからむやみにそんなことするな。
俺も真似事ではあったが、小笠原には最低でも挨拶をしておこうと思った。
「えっと、これからグループワークよろしくです」
俺は右手をすっと差し出した。小笠原は静かに俺の方を向いた。いつもの目力がない。
「よろしく、がんばろ」
そういって握った小笠原の手には、びっくりするほど力がこもっていなかった。
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