第5話 追窮(499日前)

 外に出ると、真夜の言った通りの天気になっていた。


 真夏の勢いが有り余る太陽が照りつけ、空には小さな雲が少し浮かんでいるくらいだ。これまでなら、始業式の翌日は地獄でしかなかったのだが、今日はそんな憂鬱もすっかり吹き飛び、ただ真夜に会えることを心底楽しみにしていた。


「お兄ちゃんおはよー。あれ、なんか嬉しいことあった?」


 愛海はやはり早起きのようで、もぐもぐしながら喋っていた。話すときくらい口は空っぽにしろよ、特にパンは。


「え? なーんも」


 俺は平静を装うとしたが、どうやら顔からはハッピームード漏れしているらしい。しっかりとコックを閉めなければ。


 俺はなぜかいつもの倍速でトーストを食べてしまったらしい。食べ終わった頃には、愛海はまだ残していたパンの耳を頬張っていた。


「にいちゃん今日めっちゃ早くない? 絶対なんかあったっしょ」


「愛海がおそいだけじゃねえのー?」


 少し馬鹿にするような口調で言い返してやった。愛海は目を細め、ぷくーっと頬を膨らませていじける。きっちりとコックを閉めたつもりが、どうやらまだどこか壊れているようだ。業者が来ても直せるようなものではないが。


 俺はキッチンで作業している母親の隣に皿を放置し、ごちそうさまでしたを言い残して、そそくさとリビングを後にした。


「なんか怪しい」


 愛海の声がドア越しに俺にも届いていた。


 ✴︎


 いつものガヤガヤの話し声を浴びながら、俺は廊下を歩いてクラスに入った。昨日ほど人は集まっていないものの、いつもこの時間には来ていないはずの女子数人がすでに集まっていた。その輪の中心にいたのは、真夜だ。


 俺はわざと真夜が囲まれているグループの横を通ろうと思い立った。クラスの中でも特にずっと話しているタイプの小笠原が、真夜に一方的に話しかけているようだ。彼女の大きすぎる声が、まだ数机離れている俺にもしっかり聞こえた。


「ねえねえ、編入して来たってことは帰国?」


 目をキラキラと輝かせた小笠原が真夜に迫っていた。


「そ、そうだよ。メキシコから」


 小笠原の目力と迫力に押され気味の真夜が答える。えぇーっという歓声が教室にこだました。確かに帰国生っていうと、この高校であればアメリカからの人がほとんどだから、物珍しいのもおかしくはなかった。


「なんか意外ね。え、じゃあ1週間に一回はタコスとか?」


 そんなわけねえだろ、と心の中で突っ込んだ。こいつらでいうメキシコって、きっとタコスとブリートとサボテンとギターとインディー・ジョーンズぐらいしかないのだろう。


「そんなに食べないよー。私辛いの苦手だからあんまりたくさんは食べなかっ……」


 本日二回目のえぇーっ。真夜が言い終わる前に遮ったな。ちゃんと人の話は最後まで聞け。


 そうこうツッコミを入れているうちに、彼女たちの横にまで来た。真夜は困った目をしていたが、通りかかった俺を見つけると、助けを求めるように反応してきた。


「あ、陽佑おはよー!」


 しーん。


 教室にいた全員の視線が一気に俺に集まる。意外さと僻みを兼ね備えているであろう視線は、昨日浴びたものよりも圧倒的に痛く感じた。真夜さん、容赦なさすぎる。


「…… お、おはよう …… 真夜」


 なんとか勇気を振り絞って返した挨拶は、予想通りさらなる注目を集めることとなってしまった。男女両方から、「は? なんでお前が?」と言わんばかりの圧力が降りかかってくる。


 しばらくの沈黙の後、俺は小刻みに頷いてみせた。向こうも俺の意思を汲み取ったようで、俺に頷き返してくれた。確認をとったところで、足早にそこを立ち去った。


 俺らが分かれたところで、ざわざわがさっきよりも大きくなった。


「あいつと辻元さん、どういう関係なの?」


「まだ私も話しかけたことないのに、何があったの?」


 そういう声が聞こえてきた。流石の小笠原も困惑気味だ。


 俺はチラ見されつつも自分の席に座った。そんなに俺と真夜の関係が気に入らねえのかよ。


 携帯を開くと、LINEが一件。真夜からだった。


「あとで色々はなそ。今はちょっと黙ってよっか」


 容赦なさを反省したのか、文章はかなり固い。俺は真夜をまだ追加していなかったので、友達として承認し、返信した。


「了解。放課後空いてたら教室で」


 ✴︎


 朝は大変だった。優越感ゆえに鼻高でいられると思っていたが、そんなことは愚か、変な圧力をずっと味わわなければならなかった。LINEで拡散されていたから怖いものだ。


 朝のHRが終わり、俺は嫌な雰囲気が漂う教室から逃げ出すことができた。廊下は人でごった返していて、立ち止まったり廊下いっぱいに広がって歩いたり、御構いなしだ。


「よす!陽佑!」


 いきなり後ろからどつかれ、わぁっと声を出しながら、俺はけんけんしてバランスをなんとか保った。後ろを振り返る。あの呼び方はあいつしかいない。


結華ゆいかぁ。もう心臓に悪いぞ」


「昨日挨拶しに来なかったくせに」


 ふてくされたように返してきた。別にそこまでないだろ。


 相川結華あいかわゆいか。小さい頃幼稚園が一緒で、双方の母親もよくママ友としておしゃべりをしていた。何時間も母親が話している隙に、俺らはおままごとしたり鬼ごっこしたり、今考えれば平和な幼少期をともに過ごした仲だ。


 小学校は校区が違った関係で、結華は隣の違う小学校に通った。それでも時々一緒に遊んではいた。思春期とも言える5、6年生になってくると、異性と遊ぶのがだんだん恥ずかしくなり、一緒に遊ぶことは減っていった。


 中学は一緒になり、1年と2年でクラスが一緒になった。この時LINEを交換したから、遊ぶことはなくても、暇な時には気軽にメッセージを送り合う、良い友達になっていった。一緒のクラスで卒業したかったけど。


 結華もかなり成績はよかったもので、俺と結華だけが桜山隆栄高校に合格した。俺も結華も、この高校を選んだ理由は、ただ近かったからなのだが。高校に入ってからは、クラスこそ別になったものの、友達が少なめの俺には自慢できる幼馴染的存在だ。


 昔はよくおさげをして可愛らしさ全開だったが、今は昔の名残は全くない。若干髪は赤く染めており、腰に届きそうなくらいまで伸ばしている。女子というよりかはギャルビギナーという言葉が当てはまるだろう。


「なんの用事でしょうかぁ?」


 めんどくさい風を装って俺は体を立て直した。


「聞いたぞ?新しい転入生の子と仲良くしてんだって?」


 誰だこのニュースを他クラスにも広めたやつは。別に悪かねえけど。


 俺は真夜と仲良くなった経緯を話そうか躊躇していた。アシスタントになったことを言って良いのかどうか、そもそも彼女が占い師であることを拡散していいのか。


 占い師であることをオープンにしていれば、放課後の教室でこそこそやる必要はない。しかし昨日はそのことに関して、自己紹介とかでは一切触れていなかったことを考慮すれば、この件は黙っておいた方が良策かもしれない。


「えっとですね、あれは……」


 言葉が思いつかない。結華の目は一気に細まった。


「なんかやましいことでも隠してる?」


 咎めるような口調で追及してきた。これはもう、簡潔に思いつく言い訳をするしかない。


「い、家が近いんだとよ。稲川町二丁目までは一緒だっつーから昨日は一緒に帰っただけ。結華も家近いだろ?」


 最後の一言は余計だったかもしれないことに後々気づかされることになる。


「へぇーそーなんだ!じゃあ私も友達になっとかなきゃ!仲良くなって陽佑の変態っぷりをたっぷり吹き込んどくから。感謝しなさいよぉー」


 結華の顔がぱぁっと明るくなり、皮肉を込めたかのように煽ってくる。


「おい黙れ」


 俺の額に怒りマークが付き、結華を凝視する。


「ま、そーゆーことで。仲良くなれるといいねー」


 そう言い残して、結華は授業へ向かっていった。俺は何も言い返せず、その後ろ姿をムカつきながら見送ることしかできなかった。


 ふうっとため息をつき、俺は一時間目の物理に向かった。時計をみればあと2分でチャイムが鳴る。物理室は教室から遠いから、このままタラタラ歩いていたら間に合わない。俺は少しスピードを速め、のろのろと歩く人たちを次から次へと抜かしていった。


 これからは色々と面倒くさくなりそうだ。

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