第4話 希亡(500日前)
頭の中が真っ白になった。
俺が…… あと500日で死ぬ…… ? そんなバカなはずはない。きっとなんかの手違いでこうなったんだろう。
「なあ、これもう一回やり直せないの?」
俺は困惑と怒りの混じった声で彼女に聞いてみる。彼女もこの結果には信じられないようで、呆然と、散らばったトランプを見つめていた。しばらく返答はなく、ただ居心地の悪い空気が夕暮れの教室に充満していた。
「そんなことないと思うんだけど…… もう一回やってみる」
彼女は我に返り、ケキルアから順にカードを回収していった。また元のように束を戻し、札をきる。
トランプを商売道具として使っているだけあって、シャッフルする手元は全く乱れていなかった。俺なんかはよく数枚を一緒に手繰ってしまうこともあり、誰かとトランプをする時に、カードがちゃんと混ざっていないぞとクレームを言われたりするものだ。こういう人間からしたら、彼女の美しいシャッフルは憧れだ。
束を中心におき、その上に10と書いた紙をそっと乗せておく。ジョーカーをかざすと、またもやトランプはすうっと浮き始めた。
「蓮田くんが死ぬまで何日かを教えてください」
今回は確証を持たせるために、わざわざ口に出したようだ。そしてかざした手をさっと右にきる。
カードが散った。間違いなくさっきと同じカードだった。
俺らは黙り込み、それが示すどうしようもなさそうな運命を前にして、半ば絶望を感じていた。
頭の中で、これまでの記憶が一気にフラッシュバックされる。
…… 俺はあの時将来を期待されてこの世に生まれ、親の愛情をちゃんと受けて育ち、真面目に勉強し、周囲から褒められ、時には羨ましがられた。
難関中学とも言える学校に進学したが、馴染めなかった。
そのために、中高一貫という他よりも有利な切符を捨て、県内でも優秀と言われるこの
テストでもほぼオールAで、そのさきの未来を期待されていた。
それだというのに、それがあと一年ちょっとで断ち切られてしまうなんて……
吐き気がしそうな静けさの中、校内放送が鳴り響いた。
「まもなく最終下校時刻になります。本日の下校時刻の4時までには校舎から出ているようにお願いします」
ピーンポーンパーンポーンと下り坂のメロディーが再び静寂を教室に返却した。
「…… 帰ろっか」
彼女も頷いた。俺はそばにおいてあったリュックを拾い上げ、そそくさと嫌な雰囲気の中から抜け出した。死を宣告されてから不安になったのか、俺は自然と彼女を教室の外で待っていた。
彼女はドタバタとトランプを箱にしまい、タリスをたたむと、分厚い本と一緒にまだ真新しいリュックの中に放り込んだ。
「ごめんごめん!行こっか」
教室の外まで急ぎ足で来てくれた彼女と二人で、一階の靴箱へと重い足を進めた。
✴︎
どうやら偶然、彼女も徒歩通学で、俺の家のすぐ近くの交差点までは道が一緒らしい。まあまあ優秀な高校であるだけに、大抵の生徒は電車通学だから、徒歩通学の人は俺にとってかなり助かる。俺ら二人は、夕日に照らし出された川沿いの道を、黙って歩いていた。気まずくてお互いに言い出せない。
俺は今日彼女に初めて会ったわけだから、どのようなことを話せば良いのかわからなかった。コミュ障全開だ。
一方の彼女も、せっかく作った新しい友達の早すぎる死を目の前に、どのような慰め方をすればいいのかわからないでいるらしい。彼女のものすごく心配そうな目を見て、彼女のあの占いはかなり高確率で当たるものだと推測出来た。
「ごめんね、蓮田くん……」
ずっと口を封じていた彼女がうつむきながら話しかけて来た。
「あんな結果が出ちゃって…… なんて謝ればいいのかわかんないよ。無責任で、ごめん」
彼女は俺の目を一切見ようとしなかった。彼女が肩を少しピクピクさせているのが俺にはわかった。泣いているのかもしれない。俺は、彼女への慰めの言葉を頭で探しつつも何か話さなければと思った。せっかくの気遣いを無視するわけには到底いかない。
「500日…… か」
気づかれないように、俺は小さく鼻でため息をついた。人生への絶望と、心の整理を兼ねて。
「そんなにも早く死ぬなんて思ってもなかったけど、逆に考えれば、まだ500日
え?という表情で、彼女は俺の方を向いてくれた。
「一年ちょいあれば、やり残したことって大抵できると思う。悔いのこって死ぬよりかは、残りの人生を満喫して死ぬ方を俺は選ぶよ」
軽々しく放った一言ではあったが、生きるということがいかに重いかを、生まれて初めて実感したかもしれない。
「蓮田くんはさ、なんでそんなにポジティブになって前を向けるの?」
少しうるっとした声で彼女は尋ねた。
「えっ…… なんでって、そりゃぁ、だらだら生きてくよりもさ、生きられる期限を知って引き締めて生きるほうが人生楽しいかなーって……」
途切れ途切れでなんとか答えをひねり出せた。面接で予期せぬ質問を振り切った時のような安心感だ。
「偉いよ、蓮田くん。死ぬってわかっててもそこまで生きる活力が湧いてくるなんてさ。私だったら死なされる前に自分で命絶っちゃうかもだから…… そういうとこ、私尊敬するなぁ」
今日編入して来た美女に最初に尊敬された気がして、思わず笑みがこぼれる。明日からは、これまで高校生活の中で得たことのない優越感と僻みの中で生きていくことになりそうだ。
やがて歩いていた川沿いの道は交通量の多い幹線道路に突き当たり、俺らは川とは逆方向の左へ曲がった。目の前には高い建物がないためか、いつもより大きく、同時に虚しく見える夕日が立ちはだかっていた。
「あのさ、私のわがままだけどさ、」
彼女は夕日で輝いた瞳を俺に向けた。瞳にはかすかな紫がかかっているのが見えた。
「蓮田くんって毎回呼ぶのめんどくさくなって来たから、下の名前で呼んでもいい?」
俺は一瞬ためらった。確かに、俺の学校は男女の仲がよく、性別問わず友達は下の名前で呼び合うことが殆どだ。それなのに俺はみんなから蓮田と苗字で呼ばれるのだが。
それでも、今日初対面の美少女に、しかもこんなインキャが男子の中でも最初の方に、もしかすると一番最初に、下の名前で呼ばれていいのだろうか。これまで女子から下の名前で呼ばれたことなんて、従兄弟とか幼馴染ぐらいしかいない。
そんな葛藤の中でも、俺が彼女のアシスタントとなったこと、そして尊敬されていることに気を良くしてしまった俺は、明らかに調子に乗っていた。このウェーブを止めることは出来なかった。
「いいよ、下の名前で。
ずっと不思議に思われていたかもしれないが、俺の名前は
「陽佑ね。じゃあよろしく、陽佑!」
下の名前呼びを許可したとはいえ、突然呼ばれるとなると心臓が高鳴るのを感じずにはいられなかった。
「じ、じゃあさ、俺も辻本さんのこと真夜って呼んでいい? 公平にするために」
まさか自分からこんなことを言い出す日が来るとは、おそらく昨日までは思っても見なかっただろう。
「そりゃそうこなくっちゃ。いいよー」
彼女も頬が若干赤がかった状態であった。
「じゃあこちらからも、よろしく真夜!」
「よろ!」
二人の視線が重なり、お互い笑わずにはいられなかった。
やがて、俺らが別れる交差点にたどり着いた。相変わらず交通量が多い。夕日と車のハイビームのライトとテールライトで反射した「
言っておくと、この交差点は二つの大きな道がクロスするところだ。俺らが歩いてきた、東西に横切る幹線道路はかつて江戸時代に街道として作られたものらしく、南北に通る道は、南にある大きな神宮の参詣道として整備されたもののようだ。
「私、ここの交差点を斜めに渡って10分ぐらいのとこに住んでるんだ。陽佑はどっち?」
真夜が自分の家があるであろう西北西あたりの方角を指して尋ねた。
「俺はこの交差点越えてすぐだよ」
歩行者用信号がチカチカしはじめ、俺らは横断歩道を急ぎ足で渡った。俺らがわたり終わるまで待っている車のウィンカーが、早く渡れよと急かしてくるように思えた。
「今日はここで、だね」
俺は口元に笑みを浮かべて頷く。思っていたよりも真夜と帰るのを満喫できた、と心が言っていた。
やがて南北の道の信号が青へと変わり、向こう岸からの歩行者が渡ってくるのと同時に、左折しようとする車が横断歩道を横切っていった。
「じゃあバイバイ陽佑!えっと、LINEはクラスラインから追加しとくから!」
そう言い残して、真夜はそそくさと走りながら渡っていった。
「また明日ね!」
口に手を当て、真夜に向かって叫んだ。歩行者数人が俺を見てくるようで、恥ずかしい気持ちもあったが。
✴︎
今日は波乱万丈な1日だった。今日編入したばっかの子とあそこまで仲良くなれたなんて、これまでの人生で一度もなかった。未だにルンルン気分が抜けないまま、俺は床に座り、ベッドに寄りかかった。
色々今日の出来事をおさらいしながら、一つ重要なことを忘れていた。
あ、筆箱持って帰り忘れた。
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