第3話 表命(500日前)

 彼女は顔を真っ赤にして、俺とは目を合わせまいとうつむいていた。


 なんかヤバいものを見てしまった気がするんだが。


「ななななな、なんでも…… ない」


 白い恋人を受け取った時の俺をそのまんま見ているようだった。


 俺は逃げるべきなのかわからず、脚が硬直してしまっていた。


 でも考えれば、この教室に二人っきりだし、これは天使に近づける大チャンスなのでは? 今のうちに友達になって、あの「ある意味でリア充」勢をギャフンと言わせることだってできる。


 別に下心などはなかったが(明らかな変態行為であることは自分でもわかってはいるが)、俺は勇気を出して彼女に近づいた。


「新しくできた女子友とは一緒に帰らなかったんだ?」


 なるべく彼女を怖がらせないよう、何も目撃していないかのような口調で話しながら、彼女と1mも離れていないほどの距離のところまで接近した。後ろ姿も可愛すぎる。


「か、帰らなかったよ」


 綺麗な少女には似つかわしくない、ものすごく震えた声で答えてくれた。


 彼女の机の周りには、体を伏せたときに散らばったトランプが数枚。俺はそのうちの一枚を拾いあげた。


 なんの細工も施されていない、ごく普通のトランプだった。これで放課後の教室で一人遊んでたってのか? これは追及の余地がありそうだ。


「これで…… トランプ版のコックリさんでもやってたわけ?」


 今度は応答がなかった。それでも体は小刻みに揺れ、どうしようか迷っているのは俺から見てもよくわかった。


「見られてしまったからには…… 仕方ないね」


 そう言って、彼女はゆっくり体を起こした。古そうな紙の上には、なんの変哲もないトランプが無造作にばらまかれていた。


「やってたのはコックリさんとかじゃなくて占いなの」


 彼女はバラバラになったトランプを集めて一つの山を作り、その山を圧縮してカードの方向を揃えた。机の下に落ちたトランプも拾い上げ、さらには俺からもカードを奪い取り、カードの束に追加した。


 そこで露わになった茶色く古びた紙は、なんとも奇妙なものだった。


 紙は机をほとんど覆ってしまうほどの大きさで、そこには大きな二重円が描かれていた。二重円は八等分されており、内壁、とでもいうのだろうか、には等分している線をつなぐ大きなアスタリスクのようなものがあった。


 二重円の外壁内にできたスペースには、ヨーロッパの古文書を思い出させるような文字がそれぞれに書かれている。こんなんでどうやって占いをするのだろうか。


「私ね、ほんとは占い師やってるの。占星術とかそういうメジャーなやつじゃなくて、私だけしか使っていない独自の方法でね」


 彼女はここで一旦言葉を区切らせた。本当に話していいのかと迷っているようだったが、すぐに心を決めたようで、再び口を開けた。


「私だけだからこれは『真夜暦』って呼んでる。暦っていっても、1年に何日あるかとかいうやつじゃなくて、この真夜暦は、想定される未来の事象までの時間を表しているの。まあ、決まった期間っていうのはないってだけ。


「この紙、タリスっていうの。で、タリスにある、八等分されてる円の中に書かれてる文字は、その未来のイベントまでの時間を八等分した時の時間の呼び方でね。神様の名前でもあるんだ。自然界を構成する火、土、空、水と、人間を構成する善、力、感、美の要素もそれぞれもってる。


「上から時計回りに、


 善の神、ケキルア


 水の神、フェッツェ


 力の神、ドノントロス


 火の神、テンゼメルド


 空の神、シュフェットル


 感の神、モロステーニ


 土の神、ガレイノン


 そして美の神、アンテフィーネ」


「その神も自分で作ったのか?」


 なにかよくわからない世界に引き摺り込まれそうな俺は、ここで口を挟んだ。


「ううん、私じゃなくて、私のが作ったの」


 ん? 心のジョーカー? 混乱しそうな俺を置いて、彼女は説明を続ける。


「未来を読むのも心のジョーカーなんだ。ここでやってみるしかないね」


 彼女は、束にしたトランプを逆さまにし、扇を開くようにしてジョーカーを抜き取った。再びトランプを束にし、机の上でカードの高さを揃えたあと、束をアスタリスクの中心に、数字の面を伏せてそっと置いた。


「じゃあ、明日の天気を当てるとしようか。びっくりするかもしれないけど。見ててね」


 そういうと、彼女は抜き取ったジョーカーを右手の親指と右手の掌で挟み、置いた束とは少し離して、ジョーカーが書かれている面をかざすように束に向けた。


 するとどうだろう、トランプが次第に淡い紫の光を帯び、上のカードから少しずつ数mmほど浮いていっているではないか。


 やがて一番下のカードも少し浮き上がったところで、彼女はジョーカーを持っている右手を、素早く横へスライドするように動かした。すると、浮いていたカードのうち八枚が、束から離脱し八方にさっと散った。カードは神の名が書かれているという文字の上で急ブレーキをかけたように静止した。残りのカードは、魔法が溶けたのか、ばさっと元に戻った。


 散ったカードは束になっていたときとは違って、表裏が逆になって数字が上を向いていた。赤いカードだらけだ。


 俺は目の前で本当に何が起こっているのか把握できず、ただ放心状態でぼうっと傍観することしかできなかった。ジョーカーの仕業でこんなことができるなんて、科学的に可能なのだろうか。


「ほら、テンゼメルドのところはハートのジャックが入っているけど、フェッツェのところはダイヤの2。

あ、これね、赤が良い方向って意味で、黒は悪い方向ってこと。ハートとダイヤでいうとハートの方が強いから、ハートの7とダイヤの7だったらハートの7の方が良いってことね。


「テンゼメルド、すなわち火の神さまのところに強い良好反応が出ているってことは、明日は晴れみたいね。雨も降らなさそう。あ、でも見て、シュフェットルにはハートの8がついてる。多分ちょっとは雲ができるみたいね。でもよかった! 明日は晴れなんだから」


 ぽかーんとしている俺をよそに、彼女は自分が占った明日の天気で喜んでいた。


「これで大体わかった? 私がどんなことやってるか」


 俺が教室に突入したときとは打って変わって、彼女は笑顔で俺の顔を伺っていた。


「まあ、明日になってみたらわかるよ。そこで信じるかは蓮田くん次第だけど」


 俺はただ、はぁ、としか返すことしかできなかった。


「にしても!」


 あれだけ嬉しそうな彼女の顔は一気に曇った。顔を見る限り、怒らせたら怖い人らしい。


「見られてしまったからには何かお仕置きをせねば」


 働いていなかった脳が一瞬で呼び覚まされる。何? これってドラマとかでよくある、見たら殺すってやつか? やっぱり見てないふりして逃げるべきだった。さもなければ殺されてしまう。でも可愛い彼女に殺されるくらいだったらまだマシな方かもしれないが。


 彼女は体ごと俺の方に向け、下から見上げるようにして、俺の顔を見る。やばい、さすが美少女だけあって、この角度は神のアングルだ。そんな鋭い目で見て欲しいし、見て欲しくもなかった。


「蓮田くんを、私の占いアシスタントに任命します」


 は?


「わたしSNSでお悩み絶賛募集中なんだけど、一日10件くらい溜まってて、一人で返すの大変なんだよね。アシスタントくんがいてくれば助かるんだけどなー」


 えぇーそれはないだろ。俺は一応軽音部には入っているが、毎日自由練習であるため、バンドメンバーで集まるのも月に1回か2回だ。部活という、俺が思いつくもっともらしい言い訳は通用しないとみた。


「ただ私が言ったことをSNSのDMで返してもらうだけだよ。どう?」


 正直言ってめんどくさい。今こうやって友達になりたいとも思ったが、友情の引き換えがこれなのはためらわれた。


「いいでしょ……? ね? だめ?」


 審判!誰か!これは流石に反則です!そんな目で甘えられたら…… 彼女は目尻を下げ、首を数度左に傾けている。まるでダンボールに入った捨て猫のように。これで落ちない男子なんてこの世にいるのだろうか。


「…… わかりました、わかりましたから。アシスタントやるよ」


 折れた。あれに対抗しようとしたって無理だった。


「やったー! これから楽になるぅー」


 彼女は両腕を空に上げて歓喜した。


「その代わり、お返しに俺の運を占ってくれ」


 一瞬彼女は、えぇーというような表情を見せたが、すぐ終わることだとでも思ったのか、再び机に向かった。


「わかったから。で、何を占って欲しいの?」


 そうだ。それが肝心だ。彼女は何もないところからではジョーカーを発動できないんだった。


 俺はとっさに思いついた一つを適当に頼んで見ることにした。


「俺はいつ死ぬのか教えて欲しい」


「了解」


 適当に流してきた。


 さっきのように、彼女は慣れた手つきで束を中心におき、心のジョーカーに判断を委ねる。さっきと違うのは、彼女が10と書いたメモをトランプの上に置いていることだった。約50枚のカードは淡いベールを伴って少し宙に浮き、彼女が手をはらうと、八枚のカードが散らばった。


「あれ?」


 彼女は首を傾げて、八枚のカードを代わる代わる見つめた。


「なんかおかしいの?」


「いや。この占いって、そのイベントまでの日数を計算するにはあまり向いてなくて、計算できる上限を超える時はカードは散らばらないんだけど……」


 てことは、俺は計算できる日数のうちに死んでしまうってことか?


 置かれたカードはこれらだ。

 ケキルア:ダイヤの2

 フェッツェ:スペードの7

 ドノントロス:ハートの8

 テンゼメルド:スペードの5

 シュフェットル:ダイヤの6

 モロステーニ:ハートのクイーン

 ガレイノン:クローバーの1

 アンテフィーネ:ハートの9


「この10っていうのは、これらを、マークを無視して足して10倍した数が、蓮田くんが残り生きていられる日数なんだけど、全部足すと……」


「「50」」


 俺と彼女の声が偶然ハモる。


「で、これに10をかけると……」


 俺は恐る恐る言葉をひねり出した。


「蓮田くんが残り生きていられるのは…… 500日」

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