第80話

「妃殿下……」

「なあに? モリー」

 アロイスという魔術師が立ち去った方を眺めながら、私はそう答える。

「彼はどうして泣いたんでしょう?」

 モリーが困惑しきりといった風に首を傾げた。私は微笑み、

「届いたのかもしれないわ」

 自分の願いを込めてそう言った。

「何がでしょうか?」

「妹さんの思いが……」

 私はモリーに向かってそう答える。

 オスカーからアロイスという魔術師の境遇を聞かされて、もしかしたらと、そう思ったのだ。あの時見た夢は、彼の過去だったのではないかと。

 あの夢で、彼の妹に対する愛情が切々と伝わってきた。どれほど彼女を大切に思っていたのか、それがよく分かった。彼女が殺されて、どれほど悔しくて悲しくて、身を切られるように辛かったのかということも。

 でも、それ以上に感じた思いもあった。

 彼は気が付いていなかったようだけれども、多分あれは……。

「妹さん、ずっと傍にいたみたい」

 私の言葉に、モリーが目を丸くする。

「そんな感じだったの。お兄様、お兄様って訴える声が感じられたわ。だから、ね。彼女の思いが届きますようにって、ずっと願っていたら、ある時、ふっと『夜空に瞬く星』が聞こえてきたの。多分、彼女が歌っていたんだと思う。だからね、一生懸命練習したの。彼女のように歌えるように、彼女の思いが届きますようにって……」

「あ、それで、ずっと『夜空に瞬く星』を練習していらしたんですね?」

 モリーの台詞に私は頷く。

「届いたのなら嬉しいわ。きっと彼女も笑ってくれるわね」

 モリーが私の顔を覗き込んだ。

「妃殿下は死者の声が聞こえるんでしょうか?」

 私は笑ってしまった。

「まさか。きっと今回は特別だったのよ。ほら、私、魔術で魂を抜かれたから、一時的にあちら側と接触出来たんじゃないかしら」

「そう、ですか、それはちょっと残念です」

 モリーが笑う。

「私が子供の時に可愛がっていた愛犬が、今元気でいるかどうか、聞いて欲しかったんですけれどね」

 愛犬……ワンワンと言っていたよ? としか言えないような……。それとも、幽霊犬になると気持ちが分かる、とか? モリーが目を輝かせた。

「大丈夫です! 妃殿下なら、きっと分かるんじゃないですか? ほら、天竜様の気持ちが手に取るように分かるじゃないですか! きっと私の愛犬の気持ちも手に取るように分かると思います!」

 浮かんだのは苦笑い。うん、無理かな? 天竜さんワンコじゃないよ? 神様だからね? 見た目犬でも全然違うからね? ほら、天竜さんも違う違うって言ってるし……。んー……何だろう? 天竜さんに意識向けると、こんな風にすぐ繋がっちゃう。そんでもって、呼んで呼んでっておねだりされる。

 困ったなぁ。もうちょっと待って? あんまり呼びすぎると天候不順に……あ、すねた。こんなこと分からなくてもいいのに分かっちゃう。参ったなぁ。

 天竜さん神様だよね? 大人だよね? もっとこう威厳とか……ふんすって鼻息荒くポーズ取られても、それ、可愛いだけだよ? えーっと、何か喜ばれた? とにかく、もうちょっと待って? 聖バレンティノの日には呼んであげるから。そう伝えて、意識を別の場所に向ける。こうでもしないと、延々天竜さんの思いを読み取っちゃう。

 そう、明日は聖バレンティノの日だ。

 愛する人に、オスカーにチョコレートを贈る日だ。

 そう考えただけで頬が熱を持つ。

 だったら、そうだ、もっと沢山作ろうかな。調理士さん達にも手伝ってもらって、みんなに愛が届きますようにって。できればお城で働く人達全員に行き渡るようにしたい。材料の手配とかは、ジャスミンに相談してみよう。

「ホットチョコレートなんかは、どうでしょうね?」

 台所にいたジャスミンが私の提案にそう答えた。

「ホットチョコレート?」

「チョコレートの飲み物です。これなら簡単ですから、貴人達だけではなく、お城で働く一般の方々にも行き渡らせられます。今から全員分作るのでは、流石に間に合いませんからね」

 そっか、そうだよね。思いつきだから、ごめんね?

 ジャスミンが笑う。

「いえいえ、素晴らしいアイデアですよ、妃殿下。そうだ。可愛らしくハート型の絵を描きましょうか。ホットチョコレートの上に」

 そう言って、ジャスミンが器用にクリームをハート型に垂らしてみせる。わぁ、凄い。可愛い、素敵! 私が喜ぶと、

「練習すれば、いろんな絵を描けますよ? 犬とか猫とかも……まぁ、今回はハート型でいいでしょう。聖バレンティノですからね」

 そう言ってジャスミンが笑う。私も笑った。明日が楽しみだ。


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