第81話

「遅い! 何をやっていた! この愚図!」

 ベッドに伏せっていたノエルが、オルノに向かって枕を投げつける。本当に使えない奴だ、ノエルはそう吐き捨てた。食事一つ満足に運べないのかと罵声を浴びせる。

 ノエル皇子が寝泊まりしている客室は薄暗い。

 昼間でもこうしてカーテンを閉め切っているからだ。吹き出物だらけの顔を誰にも見られたくない、そう考えたノエルは、あれから一歩もあてがわれた客室を出ていない。近衛兵達は部屋の外に立たせ、侍従も必要な時だけ部屋に呼ぶ。食事もこうして運んでもらっていた。

「……申し分けございません」

 食事を乗せたトレイを手に、オルノがそう謝罪する。ウィスティリアの料理人が腕を振るった料理だ。美味しさはもとより見た目も華やかである。薄暗いので、その色彩が損なわれているのが何とも残念ではあったが。

 ウィスティリアから与えられた待遇は、こんな風に全て文句の付けようのないものばかりだったが、ノエルがそれに感謝をしたことはただの一度も無い。これくらい当然だと言わんばかりの態度を貫いていた。

 謝罪するオルノに、ノエル皇子がたたみかけた。

「ふん、謝るだけなら誰にでも出来る。本当にお前は使えない。いっそ、そうだ、今度は背中の皮膚が綺麗に剥がれるまで鞭打ちにしてやろう。そうそう、自分の部屋からは一歩も出るなよ? ここの忌々しい治癒術士の手を煩わせたら、さらに鞭打つからな?」

「それは出来れば勘弁していただけませんか? 皇子」

「それが嫌なら、床に這いつくばってわびろ。僕がいいというまで顔をあげるんじゃない。その汚らしい面を今すぐ床に押しつけるんだ。この役立たずが」

「嫌です」

「何?」

 オルノの反抗に、びりっとした空気がノエルの周囲に走る。オルノが淡々と答えた。

「私の主人はもうあなた様ではありませんから、従う義務はありません」

「何だと、この!」

 勢いよくベッドから起き上がると、傍にあった火かき棒を手に彼に詰め寄り、それで打ち据えようとするも、その途端、顔に激痛が走る。ノエルは呻いてうずくまり、次いで壁に据え付けられた姿見を見て、仰天した。顔の一部が赤く焼けただれていたのだ。

 鏡の傍まで走って行き、再度確かめる。右頬に酷い火傷を負っていた。吹き出物で苦しんでいたところに、これである。ノエルは半狂乱で叫んだ。

「何だ、これは! オルノ、薬だ! 薬をよこせ!」

 オルノが差し出した薬瓶をひったくり、中の薬を狂ったように塗りたくる。痛みは和らいでも、それで火傷が治ることはない。ノエルは鏡に映る自分の顔を睨み付け、がりがりと爪を立てた。爪が割れ、血が滲む。

「ウィスティリアの治癒術士を呼べ!」

「……彼らではあなたの傷は治せませんよ? 我ら有翼人は魔術を弾きますから」

 ノエルが金切り声を上げた。

「治せる奴がいただろう! お前の手当てをした奴だ!」

「ヨハネスさんですか? 彼でしたら、ノエル皇子が散々こき下ろして、そっぽをむかれたではありませんか。無理ですよ。来てくれるはずもありません」

「うるさい、さっさとあいつを、ここまで引っ張ってこい! 金ならいくらでもやると言え! 何が何でもこの僕の治療をさせるんだ!」

 そう叫び、手にした薬瓶をオルノに投げつけようとして、今度は顔と腕に激痛が走り、手にした瓶が滑り落ちた。鏡を見ると、先程より火傷が酷くなっていて、ノエルは愕然となった。

「ど、どうして……」

 そんな言葉が滑り出る。

「……私を害そうとすると、そうなるようですね?」

「な、に?」

 オルノの言葉に、ノエルが目を剥いた。一体どういうことだと、詰め寄らんばかりだったが、オルノの表情は変わらない。あくまで冷静である。

「あの方がそうして下さいました。あなたにも私と同じ主従の呪いがかかっていて、主人であるあの方はもちろんのこと、あなたはこの私にも手を上げることが出来ないようです。何故なら、私の方が従者として格上だから、なのだそうです」

「どういう意味……」

「私が手駒として使える内は、という意図からそうして下さったようですが、そこはどうでもいいです。感謝しています。とてもとてもね。あなたの支配から逃れられて、これ以上嬉しいことはありません。ですから、今後は、誠心誠意あの方にお仕えしようと思っています。罪の償いの意味も込めて」

「あの方?」

「いずれ分かりますよ。そして、この先決して忘れられなくなるでしょう。地獄の底で、いえ生き地獄の中で、今までの己の生き方を反省することです」

「貴様!」

 つかみかかろうとするも、再び顔に激痛が走り、ノエルはよろめき、膝を突く。鏡を見て、度肝を抜かれた。なんと、ケロイド状の火傷がさらに広がり、顔の右半分が焼けただれていたのだ。

 赤黒く変色した顔半分が何ともおぞましい。

 ひっという悲鳴にならない声が、ノエルの喉の奥から漏れる。これではまるで化け物だ、ノエルはそう思った。

 ――あはは! この化け物め! お前にはそれがお似合いだよ!

 そう嘲った過去の自分自身の声が色鮮やかに蘇る。

 かつてノエルは、端正な顔立ちの男優の顔に火を押しつけ、酷い火傷を負わせていた。こんなことはいつものことだった。面白くない、気に入らない、そういった事でノエルは簡単に暴力を振るった。

 そしてそう、あの時は宮殿に招待されていた男優の顔を、面白半分に焼いたのだ。それが男優であった彼にとって、どれほどの致命傷になるか考えることもなく、自分が可愛がっていた美姫があの男の事を褒めた、それが面白くなかった、ただそれだけの理由で。

 な……何で……。どうして……。

 ノエルは鏡に近寄ろうとするも、あの時の男優の姿とダブってそれを正視できず、手近な物を掴んで投げつけ、鏡を割った。冷や汗が背を伝い降りる。

 違う、違う、違う、僕は化け物なんかじゃ……そう思い、震える手で右頬に触れれば、その感触は酷くおぞましい。どうなっているのか簡単に想像できる。

 やめろ、やめろ、やめろぉ! 何だこれは、何だこれは、何だこれはぁ! 何故、何故、こんなことに! 僕の美しい顔が! 美しい顔がぁ!

 ノエルは絶叫し、壁を床を叩き、のたうち回る。気も狂わんばかりだ。

「オルノ……薬、薬を……」

 床に這いつくばったままそう言った。息も絶え絶え、そんな風にも見える。

「足下に落ちています」

 ノエルの指示にもオルノが動く様子はない。ご自分でどうぞ、そう言いたげだ。

「オルノ、お前……僕に何をした?」

 ノエルが呻くように言う。

「私は何もしていません。出来るわけがないでしょう? ほら、あなたもご存じの通り、私は能なしですから。あなたに文句の一つも言えない臆病者です」

 オルノの落ち着き払ったその態度が空恐ろしい。何か別の生き物を見るような目で、ノエルは怖々オルノを見た。今目の前にいるのは誰だ、そう言いたげに。

 見た目はオルノだ。

 けれどその眼差しからは、以前のようなおどおどした光が消え失せている。自分を見る目もどこか無機質だ。

 ノエルが感じたのは恐怖。底知れない恐怖だったかもしれない。

「今後は大人しくすることですよ、ノエル皇子。美しい己の顔を傷つけられたくなければね? それを失うことが、あなたにとっては一番恐ろしいでしょう?」

 オルノが笑った。それこそ今までに見たことのないくらい晴れ晴れとした顔で。

「さ、では、食事をどうぞ。大丈夫、毒なんか入っていませんよ?」

 そう言って、手にしたトレイを差し出した。


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