第69話

 私はアロイス・フォレストという魔術師にちらりと視線を送った。

 漆黒の魔術師だ。長い黒髪に黒い瞳、身にまとう衣装も全て黒い。ただ身につけた装飾品だけが、煌びやかな色彩を添えている。

 必要な筋肉が体を覆い、男性的な力強さがあるせいか、こうして華美な装飾品を身にまとっているにもかかわらず、女性的な柔らかさは感じられない。

 どうして彼がここにいるんだろう? 困惑しかない。ジスラン殿下は、オスカーと懇意にしていて、邪な意図はないように思うけれど、彼は違う。

 でも、ルドラス帝国の皇室付きの魔術師だから、ジスラン殿下ともこうして繋がりがある、ということなのだろうか? 確かにそうであっても不思議ではない。不思議ではないのだけれど、どうしても落ち着かない。こっちを見る視線がやっぱり怖いし……。値踏みするような、探るような目だ。

 一見和やかなお茶会が終わり、ジスラン殿下がお開きにしようと立ち上がった時点で、私はほっと胸をなで下ろす。特に何かをするわけでも、話すわけでもないけれど、アロイスという魔術師が傍にいるというだけで、どうしても緊張してしまう。

「今日は楽しかったよ。ありがとう」

「いえ、こちらこそ。殿下とお話しできて嬉しく思います」

 ジスラン殿下の言葉に、私はそう挨拶を返す。

 立ち去ろうとしたジスラン殿下を見送ろうとして、自分に近づく誰かの影をとらえ、私はぎくりとなった。目の前にアロイスが立っていたのだ。

 いつの間に? まるで彼は、滑るように動く影のようだ。気圧されそうになったけれども、下がっちゃ駄目、そう自分に言い聞かせる。

 夜会の時のような失態はしたくない。王太子妃として相応しい振る舞いを……そう考えて、割って入ろうとしたモリーを手で制し、淑女の微笑みを浮かべて見せた。

 国王、王妃は国の顔だ。故に常に威厳ある振る舞いを求められる。他国に舐められてはならないのである。気圧されて下がるなどもってのほか、そう考えて、

「何か、ご用でしょうか?」

 そう、アロイスに向かって、微笑みかけた。内心の動揺を隠し、笑顔が引きつらないように注意する。そう、無理をしている自覚はある。それでも……それでも、オスカーの隣に立ちたい。王太子妃として。その一心だった。

「王太子妃殿下」

「は、はい!」

 アロイスに話しかけられて、飛び上がりそうになってしまう。

 ハスキーで耳障りの良い声だ。口調も柔らかいし、普通なら不快に思う事なんて無いんだろうけれど、やっぱり怖い。落ち着いて、落ち着いて……。

 王太子妃として相応しい威厳と対応をと、そう自分に言い聞かせていると、

「申し訳ありませんでした」

 気が付けば、私はアロイスの謝罪の言葉を聞き取っていた。

 え? 思わず顔を上げれば、

「心からお詫び申し上げます、王太子妃殿下。数々の無礼、お許し下さい」

 目の前には貴族の礼をした彼がそこにいる。微かに笑っていて……なのに、怖く、ない?

「あの?」

 謝罪の意味を問おうとするも、

「では、王太子妃殿下。今日はこの辺で失礼させていただきます。いずれ、また……」

 そう口にし、アロイスはその場を辞した。一体何の謝罪だったのかも分からない。言う気が無かった、そんな感じである。

 立ち去る彼の背を見送っていると、

「何の謝罪?」

 ジスラン殿下がそう声をかけてきた。

「え? 分かりません……」

 以前、私を掠おうとした件、だろうか? でも、何か違う気がする。確証はないのだけれど、別の何か、だったような……。一体何の謝罪だろう? 分からないけれど、でもあの謝罪は、あれは嘘じゃない、多分……。

「怖くなかったみたいだね?」

 私の様子を眺めたジスラン殿下がそう言った。

「え、ええ……今回は……」

「じゃあ、心からの謝罪だったって事? あいつが? へー、たまげたな」

 私が首を傾げると、

「あいつが心から謝るなんてありえない、そう思っていたもの。あれね、毒蛇だから。本心は絶対見せないし、必要ならなんでもやってのける。うわべだけの謝罪なんてそれこそ腐るほどやるし、親の仇の前でも笑ってみせる、そういう奴だよ。だから謝罪しても謝罪してないし、褒めても褒めてない。笑っても笑っていないんだよ。ぶっちゃけね、たった今まで談笑していた相手の首を、何の苦も無くかっ切る奴なの」

 びっくりして、私がジスラン殿下を見ると、彼がうっすらと笑った。

「意外? 本当、君は大事にされてるよ。こういった事を想像も出来ないんでしょ? だから僕としては、危なっかしくて見てられない。いつか君が酷い目に遭わされるんじゃないかって冷や冷やする。ただ、君を騙すってことだけは難しそうだけれど。不思議と人の本質を見抜くみたいだしね?」

 ジスラン殿下がアロイスが立ち去った方角に目を向ける。

「ありがとう」

 私がそう言うと、

「ん?」

「忠告して下さって、ありがとうございます、ジスラン殿下」

 私がそう言って笑うと、ジスラン殿下がため息をついた気がした。

「あー……やっぱり苦手」

 彼は自分の髪をわしわしとかき回す。ふと私と目が合うと、

「君ね、信用しすぎ。この僕をいい人だとか思った? そんなわけないじゃない。悪人ってほどじゃないけど、善人でもない。必要なら友人を切り捨てるくらいやるよ、もう。信用されすぎるとさ、ほんっと居心地悪い。特に君みたいな子に……あーあ、オスカー殿下に言っておいて。足をすくわれないようにって。敵対しなけりゃならないような事態にだけはしないでねって」

 手をひらひらさせながら、護衛と従者を連れて立ち去った。

「……悪い人ではなさそうですね?」

 モリーがぽつりと言う。うん、私もそう思う。あれも多分忠告なんだろう。信用しすぎると私が傷つくと、そう言いたかったんだろうと思う。

「でも、何だか落ち着かないお茶会でしたね」

 モリーが笑いながらそう言った。

 うん、確かに。緊張しっぱなしだった。ジスラン殿下だけだったら、そうでもなかったのかもしれないけれど。あの漆黒の魔術師がそこにいるだけで極度の緊張を強いられた。ただこっちを見ていただけなのに、存在感が凄い。

「出来ればオスカー殿下と、もう一回お茶会をやり直したいですねぇ。せっかく聖ヴァレンティノ用の飲み物を用意したのに、何だか台無しです」

 モリーが気を利かせて、甘いチョコレートティーを用意してくれたのだ。

 オスカーともう一回お茶会かぁ……うん、いいかも。楽しそうな光景が思い浮かび、心が躍る。後でやりたいって言ってみようかな? 喜んでくれるかも。そう考え、期待に胸を膨らませていると、

「あら……これは何かしら?」

 お茶会の後片付けをしていたモリーが、そう言ってかがんだ。椅子の下から何かを見つけたようである。

 モリーが手にしたのは、黒い指輪だ。はめ込まれた黒い石は、美しくも怪しい輝きを放っている。ジスラン殿下のものだろうか? モリーが拾ったそれを、私が受け取ったその瞬間、黒い霧のような物が吹き出して……。

「妃殿下!」

 耳にしたのは慌てたような護衛騎士さんの声。クラウスさん?

 私は手にしたそれを叩き落とされたけれど、何だろう、めまいがして立っていられない。そのままふうっと闇の中に意識が落ちた。


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