第68話

 ジスランは目を見張った。

 お茶会の場に、従者としてアロイスを連れていけば、ベアトリスからあからさまな動揺が伝わってきたからだ。驚いている、というか、怖がっている?

 つい、ジスランは首を傾げてしまう。アロイスを見た女性が、こういう反応をするのは初めて見たからだ。大抵は彼の美貌にうっとりとなる。

 手にした情報では、アロイスはウィスティリア側にまだ尾っぽを掴ませていない。彼の犯行だと悟らせていないと言うことは、アロイス自身は彼女に危害を加えてはいないということだ。ほんの少し考えて、

 ――君、妃殿下に何か無礼なことをした?

 アロイスにひそひそとそう囁く。

 ――いえ、特には何も。

 そう囁き返される。

「うーん、そうだよねぇ。君、女性にはやたらと親切だし……」

 アロイスは、見た目だけは完璧なのだ。そう、見た目だけは……。中身は真っ黒でも、外面はもの凄く良い。

 顔の綺麗な男性が苦手、とか? いや、それだとオスカー殿下を慕っているのが奇妙だ。しかも、アロイスを避けるようにして僕の方に寄ってくる。何でだろう? 普通は逆なのにね。僕を避けて、大抵はアロイスにすり寄るのに……。

 ジスランはしげしげとベアトリスを見つめてしまう。

 僕がルドラス帝国の皇太子だから? じゃなさそうなんだよねぇ。彼女、打算なんか出来なそうだし、アイリスみたいに純真無垢って言うか……ほんっと扱いに困るよ、こういうの。嫌いじゃないけど、苦手なんだよなぁ……。僕自身が打算まみれだからかもしれないけれど。

 とりあえず、アロイスには離れて立っているように指示を出す。流石に王太子妃に妙な真似をされたらかなわない。その場合、オスカー殿下から恨まれるのは、間違いなく自分だろうから。

 花咲き乱れる中庭のお茶会の場で、ジスランはいつものように従者に毒味をさせて、茶を口にする。それを舌の上で転がして、自分でも毒の有無を確かめた。この癖は生涯ぬけそうにない。毒物に耐性をつけるため、毒の研究をしている内に、誰よりも毒に詳しくなってしまった。毒味役に見抜けなかった毒を見抜いたこともある。それが自分の命を救った。

 結局の所、最後の最後に頼れるのは自分の力だけなのかもしれない、ジスランはそんな風に思う。それを寂しく思うこともあるが……。誰も信用できない、そんな世界は殺伐としている。たとえそれが自分が住む世界の真実だとしても。

「そっちの子は君の護衛士?」

 侍女の格好をした女性を見ながらそう言うと、ベアトリス妃殿下に目を丸くされてしまった。驚いたようだ。

「モリーですか? いえ、彼女は護衛士ではなく侍女です」

「ふうん? でも、武術を身につけているよね?」

 しかもかなりの使い手だ。ジスランはモリーという侍女の動きを見て、そう判断する。

「趣味だそうです」

 ベアトリスの返答に、思わずぶっと吹いてしまった。

「趣味? それにしては随分と……」

 隙が無い、そう言おうとして止めた。あまり突っ込むのはよそう。武術について詳しく話せば、こっちの化けの皮も剥がれてしまう。特にアロイスがいる場で話すようなことじゃない。こいつは腕は立っても信用できない策士……側に置きたくない人物の筆頭だ。

「オスカー殿下のどこが気に入ったの?」

 そう問えば、

「え? ええっと、優しいところ、でしょうか?」

 ベアトリスが恥ずかしそうにそう答える。

 ありきたり、だな。ベアトリスの返答に、ジスランはそう考えた。ま、優しいっちゃ優しいけど、それだけじゃない。そもそも優しいだけの男に、大国の王太子が務まるわけもない。そういった部分は見せていないって事か。

 しかし……何だろうねぇ? 妙に落ち着かない。彼女の視線、真っ直ぐすぎないか? あのアイリスだって、もうちょっと遠慮したものだけど。観察、とも違う。ただただこっちを見ているだけ、なんだけど……。

「僕の顔に何か付いてる?」

 ベアトリスの視線に閉口し、つい、そう言ってしまうと、はっとしたように彼女は視線をそらした。

「いえ、その……ごめんなさい。綺麗だったもので……」

「綺麗?」

 何が? そう先を促すと、

「翼がキラキラしていて、その……天使様、みたいですよね、やっぱり」

 虚を突かれてぽかんとし、次いで吹き出してしまった。褒めてくれたのだと理解はしたけれど、滑稽だ、そう思ったのだ。

「天使! ああ、そう? けど、この僕を見て、天使だなんて言った人は君が初めてだ! あはは、天使ね天使! 白豚天使! 見てくれだけはね!」

「はい、とっても可愛らしい天使様です」

 大真面目に返されて、ぴたりと笑いが止む。どう答えようかと真剣に悩んでしまった。あー、うん。やっぱり苦手だこの子。何でこんな反応をするのか分からない。

「君、アロイスが苦手?」

 そう問い質すと、びくんとベアトリスの体が震える。やっぱり苦手なのか。

「アロイスは、君に何か失礼なことをした?」

 直接尋ねてみると、ベアトリス妃殿下がふるふると首を横に振る。

 その様子に半眼になる。だよなぁ、アロイスは女の扱いはうまいし、女性に手を上げることもない。唯一問題なのはあれだ。利用価値がなくなった女には見向きもしなくなるって奴。けど、そういった関係でもなさそうだし、うーん……。

「どこが駄目なの? 差し支えなければ聞きたいんだけど」

 そう問うと、ベアトリスの目が彷徨い、後方にいるアロイスと目があったようで、再びさっと下を向く。

「笑顔が、その……怖くて……」

 彼女が恐る恐るそう言った。きょとんとなってしまう。

「笑顔が怖い?」

「え、その、ごめんなさい」

「いや、謝らなくて良いから、どういうこと? 言っても大丈夫だよ? 僕が文句なんか言わせないから」

「そのまま、なんです。笑顔がぞーっとするっていうか……怖い、んです。本当にごめんなさい」

「笑顔が怖い……僕のもそう?」

 にっこり笑ってみせると、ちらりと彼女の目がこちらを向き、

「ジスラン殿下のは大丈夫です」

「ふーん? 僕のは平気……オスカー殿下のは?」

「あ、悩殺されます」

 へー……何だろう? この反応。ちょっとだけ興味が湧いた。まぁ、オスカー殿下の笑顔に悩殺はわかるけど、この僕の笑顔は大丈夫で、アロイスは駄目? 境界線って何? 興味津々身を乗り出してしまう。

「そっちの子のは大丈夫?」

「モリーですか? ええ、もちろん。彼女の笑顔は大好きです」

 大好き……。

「他に笑顔の苦手な人って誰?」

「お父様ですね」

 父親が?

「他には?」

「夜会で挨拶に来る貴族の方の中に時々……あ、内緒です」

 ふーん。

「そういやさ、ここの魔術師長で笑顔の怖そうな人いたよね? ほら、クレバー・ライオネットとか言う奴。あれは?」

「彼は平気です。可愛い」

 かわ? かわいい? 思わず目を剥いた。え? 嘘、あれが? 彼女の目ってどうなってんの? 突き詰めれば突き詰めるほど分からなくなるんだけど。で、アロイスは駄目……。つい、従者よろしく後方にきちんとした姿勢で立っている美麗なアロイスの顔をしげしげと見てしまう。いい男だと思うけどなぁ。ぜんっぜん信用できない人物だけど、見た目だけは完璧。何で駄目?

「妃殿下は下心のある方が駄目なんですよ」

 割り込んだ侍女の声に目を向ける。先程、モリーと名乗った侍女だ。彼女が憤然と言い切った。

「先程からジスラン殿下は首を捻っていらっしゃいますが、一目瞭然ではありませんか。ジスラン殿下は大丈夫で、そちらの魔術師が駄目と言うことは、そちらの御仁は妃殿下に対して、何らかの下心がおありなのでしょう。心あたりがあるのではありませんか?」

 ああ、成る程。それなら考えられる。

 ジスランは、ふうっと息を吐き、手にした紅茶を一口口にした。

「それは失礼したね。きつく叱っておくよ」

 叱ったところで無駄だろうけど。ジスランは心の中でそう付け加える。決定的な権力を自分はまだ握っていない。勢力図はいまだ不安定だ。うっかりすれば自分が失脚する。あの世で泣く羽目になるだろう。

 ジスラン殿下がそう言うと、ベアトリスが慌てたように言った。

「いえ、あの、それは流石に……笑顔が怖いというだけですから」

「しかし、君は随分と人の機微に鋭いんだね。もしかしてそれも天眼の能力?」

「よく、分かりません」

 値踏みするように、じっとベアトリスを見据えると、彼女がぱっと下を向く。怖がられたかな? 多分、こっちの心の変化を読み取ってるんだな、これ。成る程。そういや思い当たる節がある。こっちが彼女を値踏みしようとすると、視線を避けられる。

 うーん、何だろ? ジスランは宙を仰いだ。

 彼女、王太子妃に向いていないって言ったけど、やりようによっては、向いているかもなぁ。何か企んでいそうな人物をあぶり出せるって事だ。嘘発見器みたいな感じか? 陰謀渦巻く宮廷内では、貴重な能力だ。狙ってないって言ったけど、連れ帰れば便利そう。そう思ってじっとベアトリスを見つめてしまう。

 萎縮したらしい彼女を眺め、ふっと力を抜いた。いや、よした方がいいか。そう考え直し、くすりと笑ってしまう。万が一にも彼女をかっさらえば、オスカー殿下がどんな反応をするかわかったもんじゃない。あれを怒らせたら駄目だ。

「おかわりは如何ですか? ジスラン殿下?」

「ああ、もらおうか、な?」

 モリーと名乗った侍女にぐっと顔を寄せられ、凄まれてしまい、思わずジスランは目を剥いた。宣戦布告でもしそうな表情だ。僕、何かやったっけ?

 モリーが低く脅すような声で言った。

「先程から妃殿下が、あなたの挙動に対して怖がっているようなんですが、何か良からぬ事を企んでいませんか? ジスラン殿下? 二、三発ぶちかましても構いませんかね?」

 目の前の侍女から闘気がダダ漏れだ。本当に彼女ただの侍女? 趣味なの、これ? この僕が危険を感じるくらいなんだけど……。ジスランはモリーの言葉に思い当たることがあったので、苦笑いを漏らしつつ、ごほんと咳払いをした。

「あー……失礼。ちょっとばかり黒い考えが……。もう、大丈夫。僕だってね、オスカー殿下を怒らせようとは思わないよ。出来れば友好的な関係を続けたい」

「なら、結構です。おかわりをどうぞ」

 差し出された紅茶はちゃんと美味しかった。流石プロ。


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