第17話 エメット編

「素晴らしいわ、エメット。あなたは自慢の息子よ」

 上質な緑の布地に金の刺繍が施された華美な衣装を身にまとったエメットに向かって、王妃がうっとりとした眼差しを向ける。

 彼が十五才、いや実質十一才になった時の事だ。

 王妃の趣味だろう、エメットが身につけるものは、何から何まで煌びやかだ。服装だけでなく、彼の部屋もまたこれでもかというほど豪奢である。

 金の装飾が施された鏡の前に立ったエメットは、衣装の出来映えを確かめるように体の角度を様々に変えてみせる。その顔はやはりどこか誇らしげだ。

「本当に惚れ惚れしますな」

 王室お抱えの仕立屋もそう言って褒めちぎった。

 エメットはその言葉に得意満面の喜色を浮かべてみせる。

 いやぁ、それほどでもあるけどね。エメットはそう思いつつも、もちろんそれを口に出したりなどしない。自慢などしない方が立派に見えると、そう思ったからだ。

 王妃はエメットを溺愛した。何かに付けこうして彼を褒め、持ち上げる。

 あなたは誰よりも美しく、誰よりも優秀なのよ、それが王妃の口癖で、エメットもまた自然とその考えを自分のものとしていた。自分は誰よりも賢く優れているのだと、この頃には自然とそう思うようになっていた。

「あなたが第一王子だったらねぇ……」

 華美な衣装に身を包んだエメットを眺めながら、王妃が残念そうにそう口にする。

 この僕こそが次期国王に相応しいってことだ! 即座にそう理解したエメットは、得意げに胸を反らした。

「兄上も素晴らしいですよ? この間も馬術大会で優勝していました」

 もちろんこの僕には敵わないけど。エメットはそう思いつつも、一応そう言って謙遜してみせる。そうすると、ますます母親が自分を褒めちぎるからだ。案の定、王妃は嬉しそうに微笑んで、

「まぁ、まぁ、あなたは心まで美しいのねエメット。本当に素晴らしいわ」

 そう褒め称えた。エメットは照れたように笑う。

 そうだよ、どこへ行ったって、誰もがこの僕に注目するんだ。当然だよね。だってこの僕は兄上と違って美しいもの。まだまだ体が小さいから、兄上に敵わない部分がたくさんあるけれど、もっと大きくなれば、大人になりさえすれば、剣術も馬術も兄上を追い越すだろう。そうなれば僕は完璧な王子様だ。誰もが僕を褒め称えるに違いない。

 その日の午後、意気揚々と馬場へと足を運んだエメットは、アレキサンダーに乗って飛ぶようにかけているアルベルトに近づき、声をかけた。

「兄上、アレキサンダーを貸してもらえませんか? アレキサンダーに乗ってみたいんです」

 エメットはそう頼んでみる。アレキサンダーは名馬だ。それも群を抜いて素晴らしい。兄上の乗馬が素晴らしく見えるのは、きっとこれのせいだろう。僕が同じ馬に乗れば、僕の方がずっと素晴らしく見えるに違いない。エメットはそう考えた。

「……お前には無理だ」

 けれど、そっけなく断られてしまい、エメットは鼻白んだ。本当に兄上は意地悪だ。僕の邪魔ばかりする。

「乗ってみればわからないでしょう?」

 エメットはそう食い下がったが、

「乗ってみなければわからないほどお前は馬鹿なのか?」

 アルベルトにばっさり切って捨てられ、エメットはぐっと言葉に詰まる。

 どうして兄上はいつもこうなんだろう。エメットは苛立つのを感じた。この僕よりも数段劣っているくせに、こうして偉そうに説教する。本当にイライラする。

 アルベルトが厳しい眼差しで言った。エメットは兄のこの目も嫌いだった。自分の頭を押さえつけられているような圧迫感を感じるからだ。

「アレキサンダーはお前を信用していない。背に乗ろうとすれば振り落とされる。そういう馬なんだ。乗馬をしたいのならウルフリーに乗れ。あれを乗りこなせてもいないお前が何を言う」

「……ちゃんと乗りこなせています」

 何も分かっちゃいないくせに。エメットは心の中でそう吐き捨てた。

「乗りこなせていない。ウルフリーの実力の半分も出せていないじゃないか」

 エメットが怪訝そうに見上げれば、アルベルトの黒い瞳が自分を見据えている。先程のような怒気は消え失せていて、凪のように静かな眼差しだ。

「本来なら飛べるはずの障害を飛び越えられなかった。お前の腕が悪かったからだ」

「あれはウルフリーが悪い。僕のせいじゃない」

 エメットの反抗に、アルベルトがため息をつき、ウルフリーの名を呼ぶ。ただそれだけで草を食んでいたウルフリーが飛んで来た。

 これは何なんだろう? エメットは心の中で吐き捨てる。こいつまで僕を馬鹿にするのか? この僕が呼んだって来やしないのに、何て生意気な奴なんだ。エメットはもやもやとした嫌な気分に囚われ、ウルフリーを睨み付けた。

 飛んで来たウルフリーが、アルベルトに嬉しそうに鼻面を押しつける。エメットはその様子も気に食わない。

 こんな時だけは兄上も優しそうに笑うし、ほんっと嫌になる。普段、あんな顔なんかしやしないのに。僕に対しては、いっつもしかめっ面だ。ああだこうだと煩くて敵わないよ。まったく、兄上なんかのどこがいいんだろう? この僕よりも優れている部分なんて何一つ無いじゃないか。エレーヌにも母上にも好かれているのはこの僕なのに……。

 アルベルトはウルフリーに鞍を付け替え、障害の方へ向かった。

「ウルフリーは名馬だ。ようく見ておけ」

 アルベルトの一蹴りでウルフリーは走り出し、エメットが超えられなかった障害を楽々越えて見せた。羽が生えたような軽やかな跳躍だ。文句の付けようがない。

 エメットは呆然となる。馬鹿みたいに口をぽかんと開けてしまった。どうして? だって僕の時は尻込みして飛ぼうとしなかったのに。

 戻ってきたアルベルトが馬上から言った。

「馬は乗り手の感情に敏感なんだ。お前が尻込みすれば馬もそう反応する」

「……僕が悪いって言いたいの?」

 エメットがむっつりとそう言えば、

「さっきからそう言っている」

 そっけなくそう返された。本当に意地悪だ。エメットはそう考える。

「エメット!」

 声に目を向ければ、エレーヌが侍女を連れ、こちらへ向かって来るところだった。蜂蜜色の髪が日の光を浴びて輝き、微笑む顔は咲き誇る花のように艶やかだ。

 美しいエレーヌの姿を目にして、エメットの顔がほころんだ。エレーヌは誰よりも美しい。貴婦人の中の貴婦人だものね。ああ、あんな人と結婚出来たらどんなにいいだろう。エメットはうっとりとした眼差しになる。

 エレーヌは半妖精だから、姉であって姉じゃない。ああ、本当に綺麗だ。将来は兄上と結婚するらしいけど、不釣り合いだよ。どうして誰も何も言わないのかな。

 エレーヌが僕に向かって笑いかけた。この僕に向かってだ!

「ご一緒にお茶を如何? 美味しいお菓子が手に入ったのよ」

「ああ、それは良いですね。兄上も一緒に如何ですか?」

 兄上が答えるより早く、エレーヌが遮った。

「まぁ、止めて頂戴、エメット。わたくしはあなたを誘ったのよ? お兄様は必要ないわ。せっかくのお茶会が台無しよ」

 つんっとすねた顔で向こうを向いてしまう。

 僕は笑った。そう、知ってる。でも、こう言えばエレーヌが嫌がるのは分かっていたからさ。エレーヌはこの僕が好きで、兄上の事は好きじゃない。本当、兄上はもう少し身の程を知ればいいんだ。この僕より劣っているくせに、いっつも偉そうなんだもの。綺麗なエレーヌにもこうして嫌われて本当、可哀想だよね。

 笑いながら心の中でほくそ笑む。

 馬の背に乗って、その場を離れたアルベルトから視線を外し、エメットはさっさと思考を切り替えた。そうだよ、面白くないことはもう忘れよう。まぐれだよ、あんなの。兄上の事なんか直ぐに追い越せるさ。エレーヌもどうせなら兄上とじゃなくて、僕のお嫁さんになってくれればいいのに。

 そう思っていた矢先、成人の儀の場でエレーヌが兄上との婚約を拒否したと聞いて喜んだ。そりゃあそうだろう。兄上にあの綺麗なエレーヌは不釣り合いだもの、当然だ。

「なら、エメットはどうかしら?」

 ある日の事だ。三人だけのお茶会の場で、何でも無いことのように母上がそう提案してくれた。薔薇が咲き誇る庭園でのお茶会だ。美しいエレーヌには、美しい薔薇がよく似合う。僕はエレーヌの反応を想像して緊張するも、それは杞憂だったようで、エレーヌは顔をほころばせ、喜んでくれた。素敵だわと言って頬を染めてくれる。

 でも僕は王太子じゃないけどいいのかな? エメットが遠慮がちにそう言うと、

「あら、あなたが王になればいいのよ」

 エレーヌがさも当然のように言う。あんな醜い王様なんて目も当てられないと言って、あざ笑った。そうかも、うん、そうだよ。この僕が王座を継げばいいんだ。僕が王様になってエレーヌを幸せにして上げる! 僕がそう言うと、エレーヌは嬉しいと言って僕に抱きついてきた。天にも昇る気持ちだった。

「陛下! どういうことですか!」

 僕が立太子した後、城内で父上と兄上が言い争っているのを目撃した。いや、一方的に兄上が詰め寄っていたって感じかな? 笑いが込み上げた。

 そりゃあ、悔しいよね。第一王子で、次期国王って肩書きだけが、兄上の存在のよりどころだったんだろうから。良い気味だ。これで少しは大人しくなるかな。あの偉そうな態度を改めるといい。美しいエレーヌにも毛嫌いされていて、本当に可哀想。でも、しょうがないよね。何もかもこの僕よりも劣っているんだもの。

 口元が緩みそうになるも慌てて引き締める。ああ、駄目駄目。人の不幸を笑ったりするのはよくないな。だって僕は心も美しいんだから、ちゃんと悲しんであげないと。エメットはそう考え、真面目な顔を作って見せた。

「良き兄として弟をささえよ」

 父上がそう言って立ち去った。

 でも、これはちょっと遠慮したい。エメットはそう考え、顔をしかめてしまう。

 僕は兄上の助けなんかいらないんだ。だって、意地悪だし、口やかましいし、僕の事やっかんでいろいろ邪魔してくるんだもの。国王になったら、五月蠅くない場所に行ってもらおうかな。そうした方が良い。エレーヌと一緒に国を治めていくのが一番だ。


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