第49話

「何て顔してるんだよ」

 そう声をかけられても、オスカーは振り向かなかった。誰がやってきたのか直ぐに分かったからだ。一人屋根の上で酒を飲んでいたら、夕闇の魔女が現れた。たくさんのカラスと一緒に。けど流石に今は相手をする気になれない。一人にして欲しいんだけどなぁ。オスカーは心の中でそう愚痴る。

 空になったグラスにワインを注ぐ。血の色だな、そんな風に思った。

「そんな顔するんなら、あんな真似しなきゃいい」

 スカーレットがそんな事を言い出して、

「……エレーヌ王女を幻術で痛めつけたことを言っているんなら、後悔してないよ」

 オスカーはそう言い返す。

 そう、王太子妃に対する敵意をそぎ落とし、自分に対する恋慕を失わせるにはあれが一番効果的だったとオスカーは思う。屈強な戦士でも、敵意が恐怖にすり替わる。エレーヌ王女があれに耐えられるわけがない。千年の恋も冷めるはずだ。

「あれは必要だったと判断してる。痛かったのはもっと別のところ」

「嬢ちゃんの目の前でやっちまったからか?」

 オスカーは言葉に詰まった。

 図星を突かないで欲しい。見せたくなかったんだけど、咄嗟だったから取り繕えなかった。ビーは怖がりだからなぁ。あれはちょっと……。

 スカーレットがため息交じりに言う。

「戻ってやんなよ。嬢ちゃんのところへ。待ってるよ?」

「もうちょっとしたらね?」

「今すぐだ! 残りの酒はあたしがもらってやるから!」

 スカーレットが強引に酒瓶を奪い取る。

「……ヴィンテージワインなんだけどな、それ」

「だからもらってやるんだ。安酒なんかごめんだよ」

 にやりとスカーレットが笑う。惚れ惚れするほど妖艶な微笑みを浮かべて。

「ちゃっかりしてる」

 苦笑が浮かんだ。オスカーは立ち去りがてら、

「ありがとう」

 そう礼を言った。

 しかし、やっぱり戻りにくい。自然と足取りも重くなる。

 絶対、ビーを怖がらせたよな、あれ……。

 そうっと寝室に入ると、ベアトリスが待っていたように抱きついてきた。いつもと変わりない彼女の反応に、オスカーはほっとする。よかった。怖がられたらどうしようかと思ってた。

「大丈夫?」

 そんなベアトリスの台詞を耳にして、オスカーは首を捻ってしまう。

 今度は何の心配をされたんだろう?

「オスカーが何か辛そうに見えたから心配したの……」

 流石に直ぐには答えられなくて、

「陛下の裁定が下された後、急にいなくなるんだもの、本当に心配した。一生懸命探したんだけど、どうしても見つけられなくて……スカーレットさんが探してきてくれるって約束してくれたから、ここで大人しく待ってたの。もう、大丈夫? 辛くない?」

 ああ、そうだ……彼女はこういう娘だった。

 オスカーの胸の内から何とも言いようのない気持ちが込み上げる。

 喜びと切なさと……それから感謝だろうか? 涙が出そうになるも、もちろん泣きはしない。ビーはどんな時もこうなんだ。この僕を温かく包み込んでくれる。怖がりなのに、いつだってこうやって両手を広げてくれるんだ。

 オスカーはそっと宝物を扱うようにベアトリスを抱きしめ、彼女の黒髪を撫ですいた。

「大丈夫。君がいてくれるからね?」

 オスカーは目を閉じ、抱きしめる温かな感触を味わった。こうして抱きしめるだけで幸せな気持ちになれる。最良の贈り物は、きっと彼女だろう。人生最良の出会いだ。何を失っても彼女だけは失いたくないと、そう思う。


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