第47話

「もう一度言うね? 僕は君が嫌いなんだ。君を妻にするなんてありえない」

「嘘!」

「嘘じゃないんだけどなぁ」

 困ったようにオスカーが笑う。

「どう言えば納得するんだろうね? 分からないな。だって、君は魅了の異能ギフト持ちだものね? 君を愛する人間はいても嫌う人間はいない。これが普通だったでしょ? 愛されて当然の人間だから、僕の言葉はありえない現実になっちゃう。僕が何を言っても嘘って言われるのなら、もう、どうしようもないかな」

 エレーヌが縋るような眼差しを向けた。

「……わたくしを愛しているでしょう?」

「愛してないよ?」

「好きよね?」

「だから嫌いだって言ってる」

「嘘!」

「嘘じゃない。どうして嘘をつく必要があるの」

「エレーヌ、もうやめよう」

 エメットが止めに入った。

「君は愛されなかった。しょうがないよ。僕にも君がどうして愛されなかったのか分からないけど、オスカー殿下が本気で言っているのは分かる。だから、もう、やめよう、エレーヌ。僕は君が傷つくのを見たくない」

「嫌よ! こんなの認めない!」

 そうよ、認めないわ! このわたくしが! 最高に美しいこのわたくしが愛されないわけがないもの! エレーヌの憎悪にゆがんだ目が、ベアトリスの姿をとらえた。ベアトリスの体がびくりとふるえる。こんな、こんな女に負けるわけがない……。ほんの少し可愛らしいだけの雑草じゃないの! このくらいの器量の女なら掃いて捨てるほどいるわ! 道ばたの石ころと何ら変わらないじゃないの!

 あの女も!

 あの女も!

 あの女も!

 ええ、そうよ、このわたくしにはかなわなかった! いつだって勝つのはわたくしだったわ! 勝利者はこのわたくし、わたくしなの! わたくしを愛さない男なんかいやしないんだから! オスカーに一体何をしたの! この売女が!

 エレーヌはエメットの手を振り払い、ベアトリスにつかみかかろうと手を伸ばした。

「この女よ! この女が何かしたのよ! でなければ、このわたくしが愛されない筈がないもの!」

「エレーヌ!」

 エメットが止める間もあらばこそ、悲鳴を上げてその場に頽れたのは何と、エレーヌだった。見えない何かから逃げ惑うように、奇声を上げ、転げ回った。エメットは唖然となる。エレーヌの奇行が理解出来ない。一体何が起こっているというのか。

「助けて! エメット!」

「エレーヌ、一体どうし……」

 エメットはぎくりとなった。王太子妃の前に立ちはだかったオスカーを見て、腰を抜かしそうになる。怒り心頭とはこのことを言うのだろうか、猛獣ですら射殺しそうな目線だ。

「幻惑の魔術師を舐めてる?」

 漏れ聞こえたのは底冷えのする声で、エメットは震え上がった。

 知らない……こんな彼は知らない。

 後ずさろうとしてもエメットは体が動かないことを知る。エメットが知っているオスカーは、いつだって穏やかで、良くも悪くも人畜無害、そんな言葉が思い浮かぶほどだった。それなのに……カチカチと歯の根が合わない。

 エメットは自分が震えているのだと後から自覚する。

 オスカーの底冷えのする声が続いた。

「僕の使う幻術に殺傷能力はないとでも思ったの? だとしたら勘違いも良いとこだよ。身をもって味わうといい。精神を幻術で攻撃されるとどうなるか……殺すことなんか簡単だよ。心臓が止まるほどのショックを与えてやれば良いだけだもの。ほら、彼女、どうなった? もう一押しすれば心臓、止まるんじゃない?」

 ひきつけを起こしたようなエレーヌの様子を目にして、エメットは顔面蒼白だ。

「た、助けください! お願いします!」

 エメットが助命を懇願すると、奇声を上げていたエレーヌから、ふっと力が抜ける。どうやら気絶したようだった。

「……もう一度、王太子妃に危害を加えようとしてごらん? 今度こそ容赦しないから」

 オスカーの声にエメットはびくりと体を震わせる。

 次いで、恐る恐るオスカーを見上げれば、既に先程の怒気は跡形もない。エメットは幾分ほっとしたものの、感じた恐怖心はまだ拭えない。彼を怒らせるとどうなるか、身をもって知ってしまい、居心地が悪かった。

 自分を落ち着かせるように額の汗を拭う。

「も、申し訳ありませんでした」

 謝罪する声もまた、どうしても震えてしまう。

 オスカーが先を続けた。

「ね、答えてもらえるかな? 王太子妃の十年分の記憶を奪おうとしたのは何故? 僕に横恋慕したって理由なら、この僕に盛ろうとした薬だけで十分だと思うけど?」

「その、分かりません」

 後でエレーヌに聞いておきますと、エメットはそう口にする。

「魔法薬はどこから手に入れたの?」

 クリムト王国に魔術師は存在しない。いるのは妖術師だ。けれども、今回使用された薬は、妖術師が作る秘薬ではないと言う。どうやら魔術師の手によるものだったらしい。エメットはオスカーにその入手経路を問われるも、彼には答えようがなかった。エレーヌの企みには一切関与していなかったからだ。

 エメットが首を横に振ると、オスカーはため息をついた。

「……エレーヌ王女を気絶させちゃったの失敗だったかな。気付け薬かなんかある?」

 治癒術士が持ってきた薬で、エレーヌはようよう意識を取り戻すも、

「虫! 虫が! いやあ! 助けて! 助けて!」

 目を覚ました途端、錯乱状態だ。


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