第37話
「可愛い~~~~~」
天竜さんは大人気だった。
翌日、天竜さんが食べられる物がないか、お城の台所まで足を運ぶと、あっという間に女性調理士さん達に取り囲まれてしまう。正体が天竜さんだって知らないと、単なるふわふわもこもこの子犬にしか見えないからなぁ。角あるけど。
「妃殿下、これ、飼うんですか?」
女性調理士のジャスミンが言う。
いや、天竜さんを飼うとか、ちょっと無理だと思う……。
ジャスミンは二十代前半と若いけど、実は副調理士長さん。調理士長さんの次に偉い人。だから味にはすっごくこだわる。甘い物大好きで、美味しいものには目がない。でもスリム。痩せの大食いかな?
「何か食べられるものありそう?」
「ああ、良いですよ。ミルクとかどうですか?」
ジャスミンがそう提案してくれたけど、うーん、何か違う、かなぁ……。感覚で分かる。いらないって言ってる。動物系じゃなくて、植物系? ああ、果物とか、か。
「果物? ああ、ありますよ。今朝手に入ったばかりの新鮮なオレンジが。これでどうですか?」
うん、大丈夫みたい。尻尾も揺れてる。
「ああ、でも……この良い香りが分からなくて残念だわ」
オレンジを切り分けながら、ジャスミンがそう言った。良い香りが分からない?
「殿下から頂いた飴を食べていますからね。鼻が利かないんです。料理人にはこれ、きついんですけどねぇ、仕方ないですね」
私が首を捻ると、ジャスミンが説明してくれた。
「エレーヌ王女は魅惑の香り持ちですからね。魔力がないと防御出来ずに、彼女に傾倒してしまうんです」
え?
「つまり、彼女に恋をするような感覚に陥るんですよ。だもんだから、あれにやられると仕事になりません。彼女の腰巾着みたいになって、始終彼女の顔色をうかがうような情けないことになるようです」
「魅惑の香りって……魅了魔法?」
「そう、そんな感じですかね?」
多分、エレーヌ王女から香るあの甘い香り、だよね? 花のような良い香りだと思っていたのに、何だか急に怖くなって、
「私、大丈夫かな?」
そう言うと、
「妃殿下は心配いらないかと。何せ天竜様の祝福持ちですから」
ジャスミンがそう言って笑った。え?
「天竜様の力に守られています。そういった邪な魔法の一切を弾くはずですよ? お聞きになってませんか?」
――ビーに影響はまったくないから気にしなくていいよ? 君は天竜の意志と直結してるから、ああいったものに惑わされる心配はないしさ。
そう言えば、オスカーがそんな事を言っていたっけ。このことだったのか。
「ああ、私も天竜様の加護があればねぇ……オレンジ、良い香りなんですよ。悲しいです。これだと庭に咲く花の香りも分からないし、はぁ……」
天竜さんの体がほわっと光った。雪の結晶のようにキラキラとした輝きがジャスミンを包み込む。途端、ジャスミンが目を丸くした。
「え? あ、あれ? 香り……分かる?」
オレンジの匂いをくんくん嗅ぎ、次いで、ざあっと顔が青ざめて、
「あああ! まずい! 飴! 飴の効果が切れた! 持ってる人いる?」
ジャスミンが慌てて他の調理士さんに聞いて回る。でも、これって……。
「ジャスミン、あのう、多分、飴食べなくても大丈夫かも」
私がそう言うと、ジャスミンが首を横にぶんぶん振った。
「いやいや、まずいですよ、妃殿下! あの我が儘王女に、こびへつらうなんて私、嫌ですよ! エレーヌ王女殿下、焼きたてのアップルパイは如何です? なんて笑顔で言っちゃうんですよ? とっておきのアップルパイ! 何であんなのに差し出さなくちゃならないんですか! 無理です、嫌です! 悪夢です!」
何かあった?
「天竜さんが祝福してくれたみたい」
「はえ?」
ジャスミンが目を丸くする。
「一ヶ月くらい効果持続するって言ってる」
「マジ?」
私がこくんと頷くと、
「妃殿下が祝福してくださったってことですか?」
ふるふる首を横に振る。私に出来るわけがない。
「天竜さんがジャスミンの願いを叶えてくれたみたい。さっき祝福して欲しいって言ったから」
「いや、そんな簡単に……天竜様がどうやって私の願いを知ったんですか?」
私はひょいっと天竜さんをジャスミンの目の前に掲げてみせる。
天竜さんの愛らしい姿に、ジャスミンは一瞬、ふにゃあと幸せそうな蕩けそうな顔になるも、ふっと気が付いたらしく、
「角、あるね?」
うん、ある。今気が付いた?
「さっき光った?」
うん、多分。
「もしかしてこの子……」
「そう、天竜さん」
私がそう言うと、ジャスミンは後ろへもの凄い勢いで下がった。
「平に平にお許しを~!」
土下座せんばかりの勢いだ。
「天竜様とは露知らず、撫で回しました! 可愛いとか言っちゃいました! 家にも一匹欲しいとか不敬です! あああ!」
いや、あの、そんな……。
「気にしないでって言ってるよ?」
「でもでも、あああ!」
「撫でてもいいって」
「え? 本当ですか?」
ジャスミンががばっと伏せていた顔を上げる。変わり身が早い。本当に好きなんだなぁ、ワンコ。恐る恐る手を伸ばし、天竜さんの頭を撫で回す。大丈夫だと分かると、ふにゃあと顔が幸せそうにゆがむ。何か、ジャスミンの表情でも癒やされそう。
「いいなぁ、ジャスミン……」
「俺も欲しい、祝福……」
「そうそう、料理の匂いが分からないって辛すぎる」
うわっ! 気が付けば、白い調理服に身を包んだ、たくさんの調理士さん達に取り囲まれていた。手に包丁やらフライパンやらを握りしめたままだ。調理中だもんね。
それに応えるように、天竜さんがほわりと輝き、その場にいた全員が、キラキラとした輝きに包まれる。どうやら効果あったようで、天竜さんの大盤振る舞いに皆大喜びだ。ありがとう、ありがとうと口々に言ってくる。
皆が喜んでくれると私も嬉しい。ありがとうと私が心の中でいうと、天竜さんからどういたしましてと、そんな思いが返ってくる。言葉じゃないところが不思議。感覚でそうだと分かる。
「えー、ビーってすげぇ、そんな真似出来るんだ!」
先程の出来事を耳にしたジョージが、目をキラキラさせた。
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