第28話 第二章最終話
「あの、跳ねっ返りが大人しくなったそうじゃないか。事実を全部洗いざらい話して、犯人逮捕に協力したって……たまげたね」
「そう、なの?」
あの後、マリエッタお姉様には会っていないから分からない。
「あんたの姉の横柄な態度は有名だからね。取り調べをした警邏の連中が驚いていたよ。どういう風の吹き回しだって」
私にも分からない。けど、未だに思うのは、オスカーやメリルお母様がくれた無償の愛が、お姉様にも届くといいなという思いだけ。今回の件は、お姉様は単純に利用されただけなので、罪には問われないそう。どうやらスケープゴートにされたらしい。
「結婚出来るように頼んでみようかな……」
マリエッタお姉様が幸せになれるように。お父様は私を愛してはいないけれど、臣下としての礼は尽くす人だ。王太子妃という立場の自分が口添えすれば、きっと動いてくれるだろう。スカーレットさんがあきれたように言った。
「お人好しすぎるよ、あんた。自分を散々虐げてきた相手にそこまでするか?」
「だって、同じだって思ったの」
「はぁ? 同じ?」
「お姉様も私も愛されていなかった。その事に気が付いたの」
そう、愛されていなかった。だって、愛のない家だもの。あそこで愛された人は誰もいない。スカーレットさんは首を横に振る。
「いいや、全然違うね。あんたの姉は甘やかされて育った。虐待されて育ったあんたとはまったく違うよ」
「うん、そうかも。でも、いいの。不幸な人を見るより、幸せな人を見る方が嬉しいから」
そう言って笑うと、スカーレットさんが目を細めた。
「本物の聖女だね、あんたは」
「え?」
「何でもないよ、じゃ、あたしはもう行くよ。小説も大詰めだ。一気に書き上げないと」
「がんばって」
私がそう言って見送ってから、一ヶ月程たった頃、町中はスカーレットさんが書いた小説の話で持ちきりとなった。どうやらスカーレットさんが書いた小説は、大人気になったらしく、増版が決定しているとか。
私も楽しみにしていたので、送られてきた本を手に取り、中を読んだものの、恥ずかしすぎて卒倒しそうになった。甘いやりとりの連続である。
誰、これ? そう思ったものだ。口にする台詞がいちいち詩的で、背景にバラでも散っていそう。そういったやりとりが、全部実名である。
あの、違う、これ、私じゃない……そういった言い訳は一切通用しないらしく、王太子妃殿下、ロマンチストですのね、幸せそうで羨ましいですわ、などと言われてしまう。小説を読んだ貴婦人方に取り囲まれ、あちこちで祝福される結果になったが、どうすればいいのか分からない。恋の手解きなど頼まれても、無理である。
「妃殿下、お幸せそうで何よりです」
メリルお母様にまで、笑顔で祝福されてしまった。
あの、違うの、あれ、私じゃなくて……と言うも、分かってますよ、妃殿下と流されてしまう。本当に分かっているのか、それとも照れているだけだと思われたのか分からないけれど、心から祝福してくれているのが分かるだけに困った。どうしよう……。
「麗しの殿下って、何それ!」
オスカーの悲鳴だ。どうやら小説を読んだ人達の間でついた渾名らしく、ひそひそ囁かれるオスカーの渾名が、麗しの殿下で定着してしまったらしい。
その渾名が心底嫌だったらしく、オスカーは本の回収を要求したけれど、
「知らないね。許可したのはあんただろ?」
しれっとスカーレットさんが、美女の姿となって言い切った。浮かべる微笑みはやっぱり妖艶で、うっとりするほど綺麗である。本の売り上げから得られる収入で、懐はうっはうはらしい。豪邸が建つ勢いだとかなんとか。
「一体何を書いたの!?」
「だから、あんたをイメージした創作だよ。美辞麗句を平気で口にして、砂糖を吐く男を書いたんだ。そのまんま書くと、確かにお笑いになっちまうからね」
スカーレットさんは、蠱惑的な微笑みを浮かべて、
「そうそう、あんたが妖精姫と美しさを競って勝ったって、あの場面も書いたからね? 人気だよ、あのエピソード」
そう言ってとどめを刺してくれた。
一番知られたくない事実を、小説にして国中に配る……相当へこんだようだ。しばらくはあの根暗殿下と言われていた当時の幻術を自分にかけていたほどである。
「……あれなら、こっちの方が良かったな」
しおれているオスカーをきゅうっと抱きしめる。
「私はどっちも好き」
「本当?」
「オスカーは中身美人なの。だからどんな姿でも愛してる」
そう言うと、ふっと根暗殿下の幻影が消えて、麗しの殿下が現れる。しかも、その笑顔が正視できないほど眩しい。
「僕も愛してる」
オスカーの優しい口づけと熱い抱擁に酔ってしまいそう。何度も何度も口づけられて、幸せ色に包まれる。オスカーの微笑みと優しい眼差しが、私にとっての宝物。
「ケーキを食べに行きたい」
「いいよ。ビーは甘いものが好きだよね?」
くすくすと笑われてしまう。今大人気の店の名を口にすると、
「大騒ぎになるから、幻術を使おうね?」
別人になりすますと言う。オスカーが王都を闊歩する時によく使う手だ。そうだねと私は頷く。どうせ私にはいつものオスカーが見えるのだから同じだ。
ふと、ケーキを食べさせあうシーンが、スカーレットさんが書いた小説にあったことを思い出し、頬が熱を持つ。あれやったら、オスカーどんな反応をするんだろう? やってみたいような、恥ずかしいような……でも、何だろう、甘ったるい笑顔を返してくれたら嬉しいと思う自分もいて、そわそわと落ち着かない。
――はい、あーん。
そう言って、取り分けたケーキを、私がオスカーに差し出すのだ。
――美味しい?
――美味しいよ。
微笑んで見つめ合う二人………駄目だ、思い出すだけで、赤面してしまう。スカーレットさん、一体どんな顔してあのシーンを書いたんだろう? 本当に彼女は乙女チックだとそう思う。
「お手をどうぞ」
差し出されたオスカーの手を取り、私は馬車を降りた。恋人同士のように腕を組んで町中を歩く。自分に向けられるオスカーの微笑みは独り占め。いつもだったら、女性達の視線が集中しているところだけど、幻術を使っているのでそれもない。何だか嬉しい。
ケーキは評判通りとても美味しかった。切り分けたケーキを見て、散々迷ったけれど、やっぱりあのシーンを再現する勇気はなくて、自分の口へ運んだけれど、
「クリームついてるよ?」
オスカーの指が私の口元をぬぐい、彼はそれを笑いながら舐めとった。顔が自然と赤くなる。そういやオスカーって、こういうこと自然にやっちゃうんだよね。
こういうシーンが、スカーレットさんが書いた小説の中にあったって言ったら、どんな顔をするんだろう? え? これが甘ったるいシーン? 何で? そんな風に言われそうな気もするけど……。乙女チックな感性が、オスカーにはないからなぁ。これだと、差し出したケーキも普通に食べてくれそうな気がしてしまう。私が出来ないから無理だけど……。
ふと藍色の瞳と目が合う。
優しい眼差しは、糖蜜のように甘い。
「美味しい?」
そう言って笑うオスカーの笑顔が眩しくて、頬が熱を持つ。心臓はどきどきしっぱなしだ。やっぱり、オスカーはそのままで、ロマンス小説を地で行ってるような気がする。小説のような甘ったるい言葉は口にしないけれど、私に対する行動が、包み込むような眼差しが、もの凄く甘ったるいんだもの。
嬉しいけど、恥ずかしい。
恥ずかしいけど、嬉しい……困る……。
「ビー、ほら、おいで?」
行商人から買った髪飾りを贈られる。今日の記念だと言う。
その夜、私はいつものようにオスカーの腕に抱かれて、眠りについた。髪を撫でられる感触が心地いい。甘えるように身を寄せれば、額に口づけられる。
きっと明日の朝は、いつものようにオスカーが、私に向かってこう言うの。
おはよう、ビー。起きて?
何気ない日常。でも、かけがえのない一時。大切に大切に育んでいこう。
あなたと歩む道だから。手を取り合って生きていこう。病める時も健やかなる時も共に、あの言葉通りに。
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