第19話
夕闇の魔女が城の一室に居座ってから数日経ち、彼女が文机に向かってせっせと何かを書いている様子にすっかりなじんだ頃、
「夕闇の魔女さん、お茶にしませんか?」
そう声をかけると、
「スカーレット」
書き物から顔を上げることなく、そんな言葉が返ってくる。意味が分からず首を傾げると、
「あたしの名前だよ。いつまでも夕闇の魔女さんって呼び方もあれだからね。スカーレットって呼んどくれ」
「スカーレットさん?」
「そうそう、それでいい」
黄色い歯を見せて、にかっと笑う。
「スカーレットさんは、どうして交互に老婆と美女の姿になるんですか? ずっと美女のままでいればいいように思いますけど」
「出来ないからね」
「え?」
「ずっと美女の姿のままは無理なんだよ。交互にしてバランスがとれる。あんた、幻術じゃなく、本当に若さを保った魔術師を見たことがあるか?」
首を横にふるふる振る。そう言えば、ない。一時でも本当に若い姿に戻れる魔女を目にしたのは、スカーレットさんが初めてのような……。
「だろ? あたしのこの魔術も練りに練って、ようやく安定したのさ。一日の半分を美女の姿でいるために、残りの半分は老婆の姿でいなきゃならない。これが若さを保つ代償なんだよ」
「スカーレットさんの年はおいくつですか?」
「女性に年を聞くのかって言いたいけど、あの国王と恋仲だったんだから、分かるだろ? あの馬鹿王妃と同い年だよ」
同い年……。王妃様の見た目は四十代くらい……。美女の時のスカーレットさんの年齢は二十代に見える。ということは、若さを保っているということよね、これ。
「もしかして、美女の時の年齢は、ずっと同じでいられるってことですか?」
「そうだよ。そのための代償だからね」
「じゃあ、私がおばあさんになっても、スカーレットさんは若いままですね?」
私が笑うと、スカーレットさんもまた、にかっと笑った。
「そうそう、そういうこと」
何だか不思議だ。オスカーに呪いをかけた魔女だと聞かされた時は、もっと怖い魔女を想像していたのに、実際の彼女は妙に愛嬌がある。こうして一生懸命ロマンス小説を書いている老婆の姿でさえ、可愛いと思えてしまうほどだ。
「スカーレットさんは自分をモデルにしないんですか?」
お綺麗なのに、と言えば、ふんっと鼻を鳴らされる。
「しないね。あたしが書くのはハッピーエンドだけさ。悲恋なんか書きたかない」
スカーレットさんの言葉にはっとなる。悲恋……そうだ。寝取られたと言っていたから、当然別れたわけで……。他に恋人は作らなかったと言うことだろうか? だとしたら、スカーレットさんはもの凄く一途だったということになる。
何とも言えない気持ちになって押し黙ると、またまた鼻を鳴らされた。
「あたしは湿っぽいのは嫌いだよ。同情されるのはもっと嫌いだね。あたしは好きで一人でいるんだ。あんな浮気者をずっと思っているわけじゃない」
浮気者……。どうしてもそこがしっくりこなくて、
「陛下はどうして側室を作らなかったのでしょう?」
ほいほい浮気をする男だったら、当然、他の女の影がありそうなのに、陛下が相手にしたのは王妃様ただ一人だ。陛下の行動はどう見ても誠実である。ということは、単純に心変わりしただけ、ということなのだろうか? それはそれで悲しい気がする。
「さあ、知らないね。あっちが役立たずにでもなったんじゃないのか?」
スカーレットさんの言葉も結構乱暴だ。今では内容が理解出来るだけに、何とも言いようがなく、苦笑いが浮かんでしまう。
「ね、オスカー……。陛下はどうしてスカーレットさんと別れたのかな?」
夜になってそう聞いてみる。
「スカーレットさん?」
「夕闇の魔女さん」
そう言うと、驚いたような顔をされてしまう。
「名前、教えてくれたんだ?」
「え? うん……」
「君のことよっぽど気に入ったのかな? 普通は教えないんだけどね」
「どうして?」
「通り名を自分の名前として使ってる魔女って、名前を隠すことで魔力を増量してるから。自分の名前はある意味、弱点になるんだよ。だからね、ビー。その名前は他の人には教えない方がいいよ? 名前を呼ぶ時は二人だけの時にすること。大勢の人がいる前ではその名前は口にしない。それが自分の名を秘匿している魔女が、それを明かしてくれた時の最低限の礼儀だからね」
知らなかった。冷や汗が頬を伝う。
「僕と夫婦だから、知っていると思ったのかもね。よかったよ、今ここで聞いておいて。で、何? どうして別れたかって?」
「うん」
「子供が出来ない体だったからって聞いてる」
え?
「夕闇の魔女にはね、性細胞がなかったんだって。魔術でお互いの性細胞を結合させられても、元がないんじゃどうしようもないからね。そうなると、側室を作らなくちゃならなくなるだろ? それが嫌だったみたい」
オスカーが私の隣に座った。
「まぁ、気持ちは分からなくもないよ? 愛する女性と結婚しても、せっせと他の女性のところに行かなくちゃならなくなるでしょ? 国王だからね。跡継ぎを作らないってわけにはいかない。そうすると好きで結婚した相手を、どうしても不幸にしちゃう。僕も父上と同じ立場だったらそうするかも」
「でも、スカーレットさんは寝取られたって言ってなかった?」
「ああ、それね。多分、わざとじゃない?」
「わざと?」
「父上はわざと母上の誘惑に乗って、別れたってこと。自分が悪者になれば、彼女もほら、吹っ切れると思ったんじゃないかな? けど、そのおかげで僕は呪われた。父上ももうちょっと別れ方を考えて欲しかったよ、もう」
「じゃあ、心変わりをしたわけじゃなかった?」
「多分ね」
でも……スカーレットさんは未だに独り身だよね? そうすると、もしかして、未だに両思いって事? まさか、ね……。
「ビー、余計なお世話は焼かない方がいいよ?」
オスカーの声ではっと我に返る。
「父上には父上なりの考えがあってそうしたわけだから、そっとしておいてあげて?」
子供の時のように頭を撫でられて、何だか落ち込んでしまう。考えなしの子供だって言われたような気がして……。
「私って子供かな?」
「ビー?」
「だって頭をなでなでって……」
私がいじけると、オスカーが苦笑する。
「僕は子供を抱く趣味はないんだけどなぁ。慰めようとしたら自然とこうなっちゃっただけで。だったら、ほら、おいで?」
オスカーに優しく押し倒される。
藍色の瞳が吸い込まれそうなほど綺麗。魅せられて囚われて、心臓が早鐘を打つ。甘い口づけは媚薬のよう。幸せで幸せで申し訳ないくらいで……。みんなで幸せに、なんて思っても、うまくいかない現実にちくりと胸が痛む。スカーレットさんが幸せになりますように。そう思って目を閉じた。
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