第8話

 オスカーはちょこちょこ会いに来てくれた。

 オスカーの仕事を手伝っていた時とは、会える頻度が段違いに少なかったけれど、それでも嬉しかった。オスカーは既に一人前の魔術師としてお城で働いているので忙しい。そのことは助手をしていたからよく分かる。暇を見つけるのが本当に大変だって言うことも。

「何か欲しいものはある?」

 オスカーに足りないものはないかと聞かれても、まったく思いつかない。オスカーから贈られてくるドレスやら宝石やら花やらで部屋はいっぱいだ。あ、でも……。

「オスカーは人捜しが得意?」

 そう聞いてみた。どうしても、どうしてもメリルの事が頭から離れない。あれから三年もたつけど、彼女の事を忘れたことはなかった。自分が家出をする直前に解雇されてしまった仲の良かったメイドの話をすると、

「ああ、その子の勤め先が気になるのか。いいよ、調べてあげる」

 オスカーが気軽に引き受けてくれてから僅か数日後。

 部屋の扉を開けると、メリルがそこに立っていて、本当にびっくりした。夢をみているようで、あんぐりと口を開けてしまう。

「お嬢様!」

 感極まったようにメリルが両手を広げて走り寄ってきて、抱きしめてくれた。そこでようやく我に返ったように思う。

「立派になられて。お綺麗になられました。メリルは嬉しゅうございます」

 メリル、泣いてる?

「あ、あの……どうしてここにいるのか聞いてもいい?」

「はい! オスカー殿下が私を雇ってくださいました! お嬢様専用のメイドでございます! 精一杯、お世話をさせていただきますわ!」

 オスカーが……また、迷惑かけちゃったな……。申し訳ない気持ちになったけれど、メリルがこうして元気でいてくれた事は素直に嬉しい。おまけにこれからずっと一緒にいられるなんて夢みたいだった。

「まあまあまあ。髪はつやつや、ほっぺはバラ色。お手入れのし甲斐がありますわ!」

 今の状況をメリルは私以上に喜んでくれ、髪は日に何回もくしけずってくれるし、爪のお手入れにも余念がない。そこまでしなくてもいいのにと言うと、

「何を言っているのですか。お嬢様は本当にお綺麗なんです。お手入れをすればどんな美姫もお嬢様には敵いません!」

 大げさだと思ったけど、メリルは本当にそう思ってくれているらしく、お手入れの合間合間に鼻歌が混じり、本当に楽しそうだった。あ、この歌、知ってる。

「メリルは本当に歌が上手だね。この歌も小さい頃よく歌ってくれたでしょう?」

 メリルは驚いたようで、

「覚えていらっしゃったのですか?」

「え? うん。覚えてるよ? 子守歌だよね?」

 小さな子供に歌う歌としては定番で、特別珍しくはないけれど、メリルの柔らかな歌声はちゃんと覚えている。

「メリル?」

 見るとメリルは泣いていて、どうしたんだろう、と不安になった。

「も、申し訳ありません。感激してしまって」

 感激?

「覚えていてくださったことが嬉しいのです。お嬢様がまだ本当にお小さい時の事でしたから……」

 小さい時から……そうだ、赤ん坊だった私を世話してくれたのはメリルだった。

「メリルは結婚しないの?」

「え? いえ……何故でしょう?」

 私がそう聞くと、何だろう、不安そうな顔をされてしまった。

「だって、メリルは子供が好きでしょう? 結婚すれば、好きな子供達に囲まれて暮らせると思ったんだけど……興味ない?」

 メリルはほっとしたように言った。

「いえいえ、まだまだですわね。お嬢様がちゃんとお嫁に行って、一人前になったら考えますわ」

「それじゃあ、婚期を逃しちゃわない?」

「一生独り身の女性も多いですよ、お嬢様。特に手に職を持っている女性はね。さ、ほら、出来ましたよ。どうです? お綺麗になりました」

 鏡の向こうから長い黒髪を結い上げた女性が見つめ返している。綺麗、かなぁ? オスカーもそう思ってくれるかな?

 さっそくオスカーに見せに行けば、

「綺麗だよ、ビー」

 そう言って褒めてくれた。嬉しくて嬉しくて、

「本当?」

 確認すれば頷いてくれる。

「じゃあ、私が求婚したらオスカーは喜んでくれる?」

 そう言うと、オスカーの顔が曇った、ような気がした。

「ビー、そういう台詞は大人になってからにしようね?」

 いつもの台詞だった。やっぱり駄目か。

「ね、ビー……ちょっといい?」

 いつもより真剣な顔(多分)でオスカーが言う。

「僕のこの呪いね。一生解けないものなんだ。僕は生まれてから死ぬまでずっとこの姿のままなんだよ? お願いだからこれを忘れないで。いいかい? 僕と結婚なんかしたら、女としての幸せの殆どを失うことになる。これをちゃんと理解出来る年齢になったら、もう少し真剣に考えるよ。だから、それまではもう口にしないで?」

 オスカーの表情は変わらない。でもなんだか辛そうで……私はいけない事をしていたんだと思い知らされてしまう。オスカーが悲しむと私も悲しい。私が頷くと、ようようオスカーは笑ってくれた(ような気がした)。

 社交デビューする十六才になるまで、私はひたすら淑女教育に身を入れた。

 十六才になればもう大人だ。その時になって求婚すれば、きっとオスカーも今度は真剣に聞いてくれるはず。

 そう考えて、お父様との面談も嫌がらずに引き受けた。

 社交性は必要とのオスカーの考えを受け入れて、怖かったけれども、努力したかいあって、何とかお父様の目を見て話せるようになった。淑女としての相応しい挨拶をすると、意外な事に褒めてもくれ、びっくりした事を覚えている。

 笑ったり褒めてくれたり……自分の想像だにしなかった父親の姿だ。多分、オスカーのおかげなんだろうけれど、意外すぎて未だにしっくりこない。

「お嬢様、如何なさいました?」

「あ、うん……」

 部屋に戻ってから、父親の姿が違和感だらけだとメリルに伝えると、

「そりゃあ、そうでございましょうとも。作り笑いですもの」

 メリルが憤慨したように言う。

「作り笑い?」

「お嬢様、ああいう風に笑いかけられて、嬉しかったですか?」

 正直言って嬉しくない……どころか、何か怖かった。

 怖いと素直に伝えると、メリルは吹き出した。

「怖い、ですか。お嬢様の感性は鋭いですねぇ。そうそう、そうでございましょうとも。下心ありまくりの怖い笑顔ですよ、あれは」

 下心?

「殿下の婚約者の地位にいるお嬢様を利用しようとしているお顔です。仲良くなさるのはかまいませんが、利用されないように注意してくださいまし。このメリルも十分注意しますとも」

 利用、利用かぁ……。じゃあ、オスカーと婚約を解消したら、元のお父様に戻るってことだよね? やっぱり無理なのかな? お父様に愛してもらうのは……。

 ずんっと気持ちが重くなる。

 本当はちょっぴり期待していた。もしかしたらって思ってた。一生懸命頑張れば、いつかは二人のお姉様と同じように愛してもらえるんじゃないかって……。

 リンデル家の恥さらし、いらない子……。

「申し訳ありません、お嬢様! 痛かったですか?」

 髪をくしけずってくれていたメリルの声ではっとなる。どうやら泣いていたようで、

「ううん、大丈夫。何でもない。気にしないで?」

 無理矢理笑った。そうだ、気にしない方がいい。ここには優しい人達ばかりがいるのだから。

「最近、ビーは付き合い悪いよな?」

 すっかり遊ばなくなった私に対して、ジョージがふてくされたように言う。

 私は文机に腰掛け、手紙を書いていたのだが、その部屋の窓の外にジョージがいる。窓の外に広がる大きな木の枝に座り、そこから私に話しかけているのだ。外で遊ばなくなった私に、ジョージはこうやって会いに来る。うん、ごめんね? 社交デビューまでもう時間がないから。そう言うと、不承不承頷いてくれた。

「お前まだあの根暗殿下が好きなのか?」

「うん、好きだよ?」

 根暗殿下もすっかり慣れてしまった。だって、人の噂話に耳を傾けていると、確かにそういった言葉が聞こえてくる。酷いと憤慨しても、こればかりはどうにもならず、まぁ、いいや、中身美人で、そう思うことにした。

 実際、オスカーはまったく気にしていない。どころか、

「根暗殿下最高じゃん?」

 そう言って楽しそうに笑う。どうもこの渾名がお気に入りらしい。オスカーは気が付いていないんじゃなくて、面白がって放置していたようだ。よくよく聞いてみると、自分の怪談話を作って、盛り上げていたんだとか。煽っていた張本人がオスカー……怒るのも馬鹿馬鹿しくなった。


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