第3話

「ビー! あなた、こんなところで何やってるのよ!?」

 研究室へ持って行く資料を持って、城の廊下を歩いていた時の事だ。

 聞き慣れた声にびっくりして振り向けば、予想通り、そこには姉のマリエッタがいた。まさかこんなところで姉と鉢合わせするとは思わず、思考が停止してしまう。

 ど、どうしよう……。

 マリエッタは相も変わらず綺麗だったけれど、怒り心頭と言ったその表情はとても怖かった。足は動かない。まるで床に縫い止められたかのよう。

 マリエッタが詰め寄った。

「あなた、お城へどうやって入り込んだのよ? あんたみたいなのがね、出入り出来る場所じゃないのよ! さっさと、ほら、出て行きなさいよ!」

 腕を掴まれるも、誰かがそれを止めてくれた。

「ごめん、この子は僕の助手なんだ。勘弁して?」

 見ればオスカーが立っている。姉が目をむいた。

「殿下の助手!?」

 姉の叫びに、私はぽかんと突っ立った。殿下? え、じゃあ……もしかして、オスカーって、王子様だったってこと?

「そ、僕の助手。君のお父さんにも許可を取ってあるから、問題ないと思うよ?」

 しかもオスカーの言葉の内容に、さらにびっくりさせられて……。

 え? お父様に許可? いつの間に? 思考がうまく働かない。お父様に許可……ということは、このお仕事、公認だったって事だよね? ど、どうしよう。いろいろと失礼なことをしたような気がする。不敬罪って言葉が頭の中をぐるぐる回り、父親の怒り狂った顔が思い浮かんで、青ざめた。

 怒られる、叩かれる、そんな思いからオスカーの顔を見る勇気もなくて、

「オスカーって、王子様だったの? ご、ごめんなさい。私、全然知らなくて……」

 そう謝罪すると、オスカーよりも先にマリエッタに怒鳴られた。

「あっきれた! あなた、殿下の名前を呼び捨てにするってどういうことよ? ほんっと礼儀知らずのどうしようもない子ね。リンデル家の恥よ!」

「僕が許したの」

 オスカーが割って入ってくれたけど、心臓の鼓動はやんでくれなくて、

「ごめ、ごめんなさい。で、殿下……私、その……」

 かたかたと体が震えてしまう。

「ああ、ビー。ほら、泣かないで? 僕が許したって言ったろ? こういう場合はね、不敬にはあたらないんだよ?」

 ビー……オスカーの柔らかな声が耳朶を打つ。

 何だろう? 同じ愛称でも呼ぶ人によってこんなに印象が変わるなんて知らなかった。オスカーの呼び方は、ちゃんと親しみを感じる。

 自分の目線に会わせるようにオスカーがしゃがんでくれた。

「殿下じゃなくて、オスカーだよ。ほら呼んでごらん?」

 肩に触れたオスカーの手の感触が暖かくて、ようやく体の震えが止まってくれた。

「……オスカー?」

 おずおずと小さな声でそう呼べば、オスカーは満足してくれたようで、

「うん、それでいい。さ、ほら、ビー、もう行って? 仕事あるでしょ?」

 その場から立ち去ろうとするも、マリエッタは見逃してくれず、

「殿下! そんな役立たずのどこがいいんですか?」

 姉はオスカーに食ってかかっていた。

 マリエッタの怒鳴り声に思わず身がすくみ、足を止めてしまう。

「魔力はないし、顔は不細工だし、不器用でがさつで頭も悪い! いいところなんか一つもありません! 殿下には全然ふさわしくないじゃないですか!」

 オスカーはじっとマリエッタの顔を見て、

「あのね、君。ビーは君の妹でしょう? 酷いと思わないの?」

「そんな妹がいて恥ずかしいです」

 きっぱりと言い切ったマリエッタにオスカーはため息をつき、

「やっぱりねぇ……」

 そんな風に呟いた。

「ね、反論するようで悪いけど、ビーは頭がものすごくいいよ? 手先は器用だし、真面目で辛抱強い。心根の優しいいい子だ。それに、かわいいじゃない」

 え? これには姉だけでなく、私も驚いた。かわいいなんて言われたことない。

「君みたいに金髪の青い目の色白美人。そういったのがもてはやされてるけどさぁ、黒髪もいいと思うよ? 顔の作りは、そうだね、確かにリンデル家の特徴とは外れているけどさ、不細工ってわけじゃない。痩せすぎで栄養失調だったから、貧相に見えたかもしれないけど、きっと君とは違ったタイプの美人になる」

「そんな、ありえません!」

 姉がいつも通り食ってかかれば、ふっとオスカーの雰囲気が変わったような気がした。

「……あのね、怒るよ?」

 何だかひやりとした空気を感じる。

「僕、名ばかり王太子だからさ、特に礼儀作法とか気にしないけど、今のはないかな。ね、聞くけど、僕の意見ってそんなに軽い? 君に簡単に覆されるほど? 君はいつからそんなに偉くなったの?」

「そ、そんなつもりでは……」

 姉は目に見えてオロオロし始めて、

「じゃあ、もう行って。この子は僕の助手で、リンデル侯爵も了承済みなんだ。君が口を挟むことじゃない」

 睨まれでもしたのだろうか? 姉はびくりと身を縮ませ、申し訳ありませんと謝罪し、その場を立ち去った。姉の背を見送った後、

「……お父様、怒ってなかった?」

 私、家出したのと告白すると、

「さあ? 君が家出したことを、どう思っているかなんてのは知らないけど、この僕とつながりを持てて喜んでいたことは確かだね。だから心配しなくていいよ? リンデル侯爵がここへ怒鳴り込んでくるなんて事はないから」

 笑いながら背中を叩いてくれる。本当にオスカーは大らかで優しい。

 一緒に歩き始めるも、今度は別の人に呼び止められた。

「兄上!」

 見ると、身なりのいいハンサムな男の人が走ってくるところだった。兄上ってことは、彼も王子様ってことだよね? 彼と血がつながっているなら、やっぱりオスカーも本当はハンサムなのかもしれない。じっと骸骨顔を見上げてしまう。

「隣国の姫の婚約相手が僕ってどういうことですか!?」

 息を切らしつつ、ハンサムな男の人がオスカーに詰め寄った。

「ああ、うん。だって、僕、跡継ぎじゃないしさ、相応しいのは君でしょ?」

 オスカーの返答に、ハンサムな男の人は目をむいた。

「冗談言わないでください! 後を継ぐのは兄上に決まっているではありませんか!」

 オスカーがため息交じりに言う。

「あのね、何度も説明してるけど、僕、子供を作れないの。分かる? これ、跡継ぎにとって致命傷でしょう?」

「不能なんて、いくらでも治せます! 腕のいい治癒術士を探せばいい! 兄上は才ある魔術師のくせにどうしてそう諦めが早いんですか!」

 不能?

「不能って何?」

 私が口を挟むと、オスカーも彼も固まって、盛大な文句を言ったのはオスカーだ。

「ビンセント! 君ねぇ、こんな子にそんな下品なこと教えないでよ! っていうか、僕の立場ないでしょ? 男にとって致命的な事を大声で言わないで!」

「も、申し訳ありません!」

 冷や汗をかきそうな風体で謝ってる。でも不能の意味は教えてもらえない。

 オスカーにぽんっと肩を叩かれた。

「ビー、君、頭いいでしょ? そういうところも察しようね? 聞いちゃいけないこともあるんだって事、分かってくれるかな?」

 素直に頷けば、ようやくほっとしてくれたようだったけど、

「あ、待って。その子がベアトリス?」

 ビンセント殿下が私に興味を示し、呼び止めた。

「へえ? かわいいじゃない。リンデル侯爵の娘だって? 虐待されてたって本当?」

 虐待? オスカーが頷く。

「間違いないと思うよ。侯爵の態度も姉の態度も確認済み。極度の栄養失調だし、それにビーはしょっちゅう叩かれてるね。僕が頭を撫でようとして手を出すと、ビーは身をすくめるもの」

 あ……。

「ごめん。オスカーが怖いわけじゃなくて……」

「分かってる。男の人の手が怖いんでしょ? 僕そういうのたくさん見てきたからね。分かるんだ」

 そう言って優しく頭をなでてくれた。

 ビンセントが言う。

「兄上は本当、そういった事に鼻が利きますよね。一体どういうところから、こういう子を見つけてくるんですか? 町の孤児院には、親を亡くした子供達だけじゃなくて、虐待されていた子も多くいますよね?」

「……町の様子を把握するのも統治者の務めでしょ? 本来なら君の役目だよ、これ。本当、何やってるのさ?」

「ですから、跡継ぎは兄上ですってば」

「違うってば、もう……」

 お手上げ、というように立ち去りかけるも、

「ビンセント。僕の不能は絶対治らないから。君が考えているようなものとは根本的に違うんだよ。後を継ぐ覚悟だけはちゃんとしておいてよね?」

 そう言い捨てて、立ち去った。


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