第31話 ……いろんな生き返り方があると思うんだよ。

「……ねえ? トケルン」

 後ろから深田池マリサが、杉原ムツキのジャケットの裾をグイグイと引っ張る。

「なんですか? チウネル」

 別に振り返ろうとはせずに、彼女の自宅近所に住んでいる幼馴染の彼――杉原ムツキは淡々とそう返事をした。

「……トケルン? あんた、怖くないの」

「何が?」

「私、この瑞槍邸って苦手なんだよね……」

 身体をすくめる深田池マリサが、彼にぶっちゃける。

 ……否、彼の背中を盾代わりにしているだけだった。

「……幽霊出てきそうじゃない。ここって」

 それを聞くなり杉原ムツキが、

「アホか? チウネルさんよ――」

 入口から入って来たて、玄関の中央で歩みを止める。


「だから……、ナザリベスは7歳の幽霊でしょが?」

「そ、そだけど……そういうことじゃなくってさ……」

「じゃあ、どういうことですか?」

 いつもじゃないけど、このナザリベスシリーズでチウネルよ……何度もナザリベスという“幽霊”と気軽にコミュニケーションしてたじゃないですか?

 JRの特急電車でも軽快に話を――今更、何をそんなに怖がるのか?

「……ああ、分かったぞ、チウネル!」

 クルリと180度向きを変え、玄関入り口に向けた杉原ムツキ――

 真ん前に立つは、枯れ尾花を幽霊と見間違っている通行人と、同じ感情を現在共有中の深田池マリサである。


「あれか! ゴーレムが怖いんだ。トラウマだな」

「もう! ゴーレムを思い出させないでよ……まあ、そうなんだけど。私、思い出しちゃうんだよ」

 少しブルブルと身体が震えているのが、いまだ掴んでいるジャケットの裾伝いから分かった。

「ゴーレムより、ナザリベスの幽霊の方がある意味怖いだろ? 普通に現れては消えるし……」

「ナザリベスちゃんは……可愛いからいいのよ」


 それを聞いて、杉原ムツキは――

「それ、お前の主観じゃん……。ただのさ……」


「……私達って、ナザリベスちゃんの命日だから……、そのさ、手を合わせに来ただけなのに」

「ああ……。それと忘れるなよ、お前の赤点のお仕置きも兼ねてるんだぞ! 俺まで巻き込んでくれて!!」

 ここで、杉原ムツキがしたり顔を見せる!

 その理由は、どうやら初回のゴーレム登場の時と同じみたいだ。

 怯えている深田池マリサに、今がチャンスとばかりに、日頃自分を雑に扱ってくる幼馴染チウネルへの反撃だった。

「もう! トケルン。そう言う意地悪なこと、言わないであげてよね」

 初めて瑞槍邸に来た佐倉川カナンが、天井を見上げながらそう言い放った。

 深田池マリサとは対照的にビクビクすることもなくて、まるで高級ホテルに一泊、宿泊しに来たかのようにフロントでチャックインする勢いで、スタスタと中に歩いて入って。

 流石に、瑞槍邸にフロントはないけれど――


 ――入ると、玄関はホテルのロビーのような、広いホールになっていることは初回で書いただろう。

 とても広くて天井が高く、ずっと上に見える天井のシャンデリアには、蝋燭よりは明るいオレンジ色の照明が輝いている。

 ということは、当屋敷の主人――今は1人暮らしのエルサスさんが屋内にいることを意味している。


「うわ~。綺麗ね」

 しばらく瑞槍邸のリッチな内装を見渡しては……見惚れる佐倉川カナンだ――


 左側には2階へ上がるための階段がある。

 その階段が、ホールをぐるっと囲むように螺旋状になっている。

 右側を見ると、壁の柱のところにある置時計が、


 カチッ…… カチッ…… カチッ……


 と、鈍い音で時を刻んでいた。前回来た時と同じように――

 ちなみに、時刻は――午後4時44分である。

 もしかしたら、このスロットビンゴな時刻もナザリベスの仕業なのかもしれない……。



「……でもさ俺達なんで、またこんな目に?」

「そうそう!」

 彼のジャケットから手を放して、深田池マリサが屈んでいた姿勢から直立に、

「私達って、大体あの時に道に迷って、ここに来ただけなんだからね」

 あの時とは、勿論、初回の瑞槍邸のエピソードの事である。

「でもさ……。エルサスさんに道を教えてもらって、次の日にもナザリベスが現れたけどな……妹夫婦の女の子に乗り移ったナザリベスが……。チウネルよ! ゴーレムでビュンビュンでトランプ使って、そのゴーレムを……」

「だからもう!! それはもう言わないことにしようね……トケルンって」

 次に手を当てた場所は、彼の肩の上で……。やっぱし、まだ怖いのだろう。

「いやいや! 大体さ……お前が赤点を取ってばっかりだから」

「それもさ! もう言わなーい!!」

「そうよ! トケルンさん」

 天井のシャンデリアをスマホでパシャリと記念に撮っていた佐倉川カナンが、怯える深田池マリサを気に掛け、振り返って、

「あんた、サディストなの? 女の子を怖がらせて――」

 左手を腰に当てて、やれやれといった具合に彼女が吐露する。

「女の子って、チウネルは女の子か?」

「バカ! トケルンそれセクハラ発言、問題発言なんだからね!」

「どこが?」

「だってトケルンは、そうやってさ、私にいつもいつも――」



「あっ!」


 ♬♪~ ♬♬♪~ ♪~



 またも、チウネルが持つスマホに着信音が鳴った――


「これ、やっぱしナザリベスちゃんだよね?」

「そうだろうな……」

 深田池マリサが杉原ムツキの顔を見た――

 そして、2人は『うん』と同じタイミングで頷いたのだった。

 こういうところが、幼馴染なんでしょうねぇ。


 ガチャ


「もしもし……。ナザリベスちゃん……だよね?」

「ボンジュール! お姉ちゃん、瑞槍邸へウエルカムだよ!」

 どうしてフランス語で挨拶したのか? そんでもって、その後すかさず英語でも――

 というより! どーして7歳の女の子がフランス語と英語を知っているのか?

 もはや、ナザリベスという幽霊の存在自体を超えて、謎々をベースにする女の子自身の思考回路自体が『謎』である。

「もう、ナザリベスちゃん! あなた何処にいるの?」

「ここにいるよー」

 深田池マリサのナザリベスに対して心配する気持ちもなんのその、7歳の幽霊の女の子は軽快にそう答えたのだった。

「んもうって! ……ナザリベスちゃん! ここじゃ分かんないよ、だから何処に――」

 スマホに正面を向けて会話をしているその姿、貴重な彼女の姿だと思う。

 なんだか、『なんとかノート』の天才少年のスマホの持ち方に似ている……。

 けれども深田池マリサ自身にとっては、至って自然体にスマホで会話をしているだけだ。


「そうだよね……。お姉ちゃん、分かんないよね? じゃ、もんだーい! ……を出すから、これに答えたらお姉ちゃんにあたしの居場所を教えてあげるね♡」

 何? この逆ギレ誘拐バージョンのような展開は――

「もう、そんなお遊びいいってば……、私達ちゃんと瑞槍邸の中に無事に入れたのだから、あとはあなたのお父さんのエルサスさんにご挨拶して……ね? いい加減出てらっしゃい。ナザリベスちゃんは良い子なんだからね?」

 少しムッと怒った様子で、深田池マリサが淡々とナザリベスを説得。

 杉原ムツキにゴーレムの話題を吹っ掛けられてから、彼女の恐怖心――もといイライラ感はマックスなのだろう。

 でも、良い子だからと言ってナザリベスをおびき出そうとするそれって、家を飛び出した飼い猫を探す母親のような……。


 困る母親に対して、さらに困らせる女の子――

 やっぱし、この2人は傍からは親子のように見えてしまう(くどいようですけれど、ナザリベスは幽霊です……)。


「私達さ、みんなあなたの命日――4月4日に来て、あなたに手を合わせるために、ここに来ているんだから……」

「それって……、今お前が話をしているナザリベスに言うことか? 仏様になった人物に、あなたのために手を合わせに来たって釈迦に説法だろ?」

 杉原ムツキがすぐにツッコミを入れた。

「……ああ、そっか! ……じゃあ、どう言えばいいのか……そっか、あなたの仏壇に手を、いや、神社の境内の後ろにあるあなたのお墓に手を……」

 亡くなった故人に対して『あなたのために……』というのは、恩着せがましいというか、手を合わせたところで生き返るわけでもないし――

 そもそも、この大学仲間の3人にとってナザリベス――田中トモミが7歳で亡くなったこと自体が無関係なのだけれど……。

 じゃあ、仏壇にお墓に……どう言うべきなのか?


 何をどう言おうと、結局は幽霊であるナザリベス自体に対しては、変な話になる――


「……手を合わせて来いってことだから、来たんだし。……じゃあ、どうすればいいのだろ?」

 あーでもない、こーでもない……。

 深田池マリサが首を左右にクネクネと傾けてシンキングタイムを始め――


「でもさ……。あたしがさ、もんだーい! を出さないと、このナザリベスシリーズって終わらないと思うんだけど」

「それは違うぞ。ナザリベス――お前は始めたいんだろ?」

 彼女が手に持っているスマホに顔を近付けて、話し掛けた杉原ムツキである。


 ――ちなみに、ナザリベスシリーズが終わらない……のくだりは正しいのだけれど。

 それを、何故だか当物語の主人公――トケルンが『始めたいんだろ?』と言い放って。

 作者としては、もう十分だと思っています。


 それは置いといて、

「……お兄ちゃん? どーして、そう思うの??」

 ナザリベスは杉原ムツキが言い放った『始めたいんだろ?』の言葉を気にした。

「だって、お前は……最後の最期で、これに掛けたいんだろ? そうだろ?」


「……何を? お兄ちゃん??」

 スマホ越しから聞こえてくる、7歳の女の子の疑問形のセリフ――

 最初に出会った時に見た君の姿は、西洋のドレスを着た……まるでフランス人形だったっけ?

 その姿を想像して、スマホの向こうで腕組をして杉原ムツキが言い放ったその言葉に“謎々”を感じて、困った表情だけれど心は楽しい――

 そういうワクワクドキドキの、年頃の女の子が見せる無垢な姿が見えてきそうだ。



「――生き返ることをだ。ナザリベスよ」

 そのナザリベスの可愛い姿を、突如、杉原ムツキが掻き消す。



「えっ、えーー!! ナザリベスちゃんが、生き返るって……」

「……トケルンさん。そんなことできるの? この文明大国日本で、先進国で科学国の現代社会で」

 深田池マリサが両目をパチパチと瞬きして、彼の大胆不敵な言葉に対して驚きを隠そうとはせず。

 佐倉川カナンも彼女らしく数学的な論理的解釈で、彼が言った言葉に対して非論理性をぶつけた。

「ああ、できる!!」

 杉原ムツキがしっかりと分かり易く頷いた。

 その自信過剰で……どう考えてもできないだろ?

「たった1人の人間であるナザリベスを、人と思わず幽霊として思ってきた自分達に、俺は問題があると思うんだ」



「あー! それ、あたしのもんだーい!! だったんだよ。お兄ちゃん――」



 スマホから聞こえるナザリベスの声が、大きく響いた。

「……ど、どういうこと? トケルン?」

 今の彼女の表情は――さしずめ幽霊じゃなくて枯れ尾花でしょ? ……と思っていたら本当に幽霊でしたというオチのようである。キョトンだ……。

 唇を半開きにして、『開いた口が塞がらない』と例えればいいだろうか?

「つまり……こういうことよ。チウネルさん」

 そこへ、佐倉川カナンがフォローに来た。

「私はトケルンさんの言葉で思いつくのが、『シュレーディンガーの猫』って話だと思うの……」

 天才数学少女が口にした言葉は、数学の話題に出てくるものではなく、

「……あの物理の授業の思考実験?」

「ええ……。実在するか否かは、実際に観察者が見て実在を確認することで、実在は実在できるということ」

 珍しく深田池マリサが大学の成績不振を払拭するかのように、物理に登場する思考実験のそれを口にした。

「――ナザリベスちゃんも幽霊でなく人間と……7歳の人間として皆がそう思えば……、ナザリベスちゃんは人間になれるということ」

「……でも、皆がナザリベスちゃんを人間と、生きている人間と思うって……どうすれば?」

「そんなの簡単よ。ナザリベスちゃんが幽霊のように、立ち振る舞いをしなければいいだけの話なのだから……」

 すると、佐倉川カナンは少しの間目を閉じる――

 どうやら頭の中で思考実験をしている様子だ。


「虚数から実数へか……まあ、なんとかなるよ!」


 彼女がナザリベスと出会った時に言ったのが『虚数』だった。

 佐倉川カナンはナザリベスという7歳の幽霊を、数学の世界にある虚数で例えた。

 実在はしない数字であるけれど、数学や物理の方程式で虚数を使用すれば、とても計算が楽になるという――

 虚数に虚数を掛ければ、それは実数になるけれど、しかし、その数字は『-1』となってしまい、マイナスの人間という概念が誕生してしまう。


 このことに関しても、初回のナザリベスシリーズで書き残している(作者自身も難解だったけれど……)。

 天才数学少女の佐倉川カナンがなんとかなると言うのだから……それを信じてみよう。



「カナッチお姉ちゃん、だいせいかーい!!」

 きゃははははは――

 スマホの向こうでナザリベスが、凄くはしゃぎまくっている姿が目に浮かぶ。



 けれど、1人――

 トケルン――杉原ムツキは少し表情を曇らせた。

「なあ……ナザリベス。お前は生き返りたくはないって言ってたっけ……三途の川で?」

 トケルンがナザリベスに尋ねた。

 ――それは、彼が滑り台の上から落ちて、大怪我して、入院して生死を彷徨い……辿り着いた先の場所。

 ナザリベスと再会した時の場面だった。

「うん。よく覚えていてくれたね、お兄ちゃん。あたし、あの時にお兄ちゃんに言ったかな? ……早く成仏して須弥山を目指そうって」

「いや……それを進言したのは、確か俺だったと思う……」

「そうだっけ……」


「……………」

 ナザリベスは彼の言葉を聞いてから、話し出そうとはしない。


 なんだか、慌てたのは深田池マリサだった。

「……トケルンって。私、代わりに何か話そうか?」

 彼女が頼ったのは、なんでも解ける男のトケルンである。

 電話越しに無言が続くと、誰でも不安な心持になるもので、

「……………」

 そのトケルン――杉原ムツキも、黙り込んで深田池マリサに返事を返さない。


 その間、十数秒の電波事故だった。

 話を始めたのは、意外にもナザリベスの方からだった――

「……お兄ちゃん? ……いろんな生き返り方があると思うんだよ」

「いろんな生き返り方か……。ああ……そうだったな。幽霊という素性を隠して“生きる”こともまた、生き返るってことになるか……。でもさ、ナザリベスは本当にそういう“生き返り方”でいいのか?」

 杉原ムツキの表情は、いつの間にか力も抜けて素に戻っている。

 チウネルにゴーレムの話題で仕返ししてやろうと思ってそれを実行していた、ついさっきまでのしたり顔の気配は全く消えていて――


「トケルンさんって……?」


 そんな彼の珍しい表情を、目の前で見つめているのは佐倉川カナン。

 彼が言う『三途の川』でナザリベスと何があったのか……、それは彼と幽霊の間にしかわかる由もないだろう。

 そうは思っているのだけれど、彼女は気になった。

 何に気になったのか――彼の重くなった表情? それは違う。

 佐倉川カナンが気になったこと、それは『本当にそういう“生き返り方”でいいのか?』というセリフにであった。


 彼女は瞬間的にこんなことを考えた。

 杉原ムツキ――彼って意外と子煩悩な節があるんだなって。

 今まで、彼と7歳の幽霊との間にどんなことがあったのだろう? どんな会話があったのだろう?

 それは自分には分からないけれど、彼のナザリベスに対して見せてくれる子煩悩な姿を――血縁的に全くの無関係であるにも関わらず、幽霊になってしまったナザリベスに、生き返った後の心配をするなんて。


「あんた、かわいいね……」

 と、カナッチは誰にも聞こえない小声で呟いたのだった――


「……ねえ? カナッチお姉ちゃん?」

「あっ! ……はいはい。代わりましたよ」

 ナザリベスが突如、佐倉川カナンに話し掛ける。

 彼女はというと、深田池マリサが手に持っていたスマホをちょいと拝借した。

 そのスマホを自分の耳元へとすぐに当てて、至って現代人が電話を持って会話をする時の姿で――

「カナッチお姉ちゃんは、シュレーディンガーの猫の気持ちが分かるかな?」

「猫の気持ち……?」

「……そう、箱の中にずっと入っていて、よく分からない機械に囲まれて、それが外部からの一存で生死が決定してしまう状況の密室で……。カナッチお姉ちゃんには想像できるかな?」

「あの……どういうこと?」

 佐倉川カナンとナザリベスの会話は、トケルンとチウネルには聞こえなかった。


 2人はカナッチの電話のやり取りを、じーと見つめていた――


「それが、ナザリベスだったってね……。だから、あたしは箱の中から飛び出したいんだよ。箱の中にいる猫は、実験体は、みーんな本心では、あたしと同じ気持ちを持っているんじゃないかな?」

「……私には正直言って、あなたがどうして生き返りたいのか、本当にそういう気持ちがあるのか無いのかは……分からないけれど。でも、7歳で亡くなったという事実は悲劇だったと思うよ」

 佐倉川カナンはナザリベスに、そう話を送った。

 数学を志してきた人物らしく、その解答は客観的事実に基づく一般論だ――


「カナッチお姉ちゃん! 正解したから……向かって左に見えるエレベーターからさ、地下の倉庫まで来てくれない? あたしはそこにいるからね」



 ガチャン……



 ナザリベスは一方的に電話を切ってしまった。


「……カナッチ。何話したの?」

 彼女が耳元からスマホを話すなり、すぐさま駆け寄って尋ねたのは深田池マリサである。

「……………」

 杉原ムツキはというと……、これ以上何も聞こうとはしない。

 彼はそのまま、顔を下に向けて俯いている。

「その……7歳で亡くなったという事実は悲劇だったと……って?」

「……うん、チウネルさん。そういう話をしたの……。私達は実験体の猫の気持ちを、少しは考えてほしいって――」

「私達……? どういう意味かな……」

 会話の全てを聞いたわけではないので、深田池マリサにはどういう意味でナザリベスが言ったのかは分からない。

 それでも、彼女は上を見上げて――天井のシャンデリアを見つめて考えてみた。



「私達……ねぇ」





 続く


 この物語は、フィクションです。

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