第14話 さくらんぼ!!! がな~い!!!!
「トケルンさんは、レディーの寝室に何がなんでも入ろうと試みる……不埒な男だったのですね」
「……いやいや! ここって書斎です。まあ入ったことに関しては、ちょっと失礼だったかなって、でもドアが開いていたし」
杉原ムツキ、必死の弁明である。
シャキーン!!
天野の包丁が月明かりに照らされて……トケルン殺されるぞ!?
「ほーお。ということは、トケルンさんは女風呂の垣根がのれん一枚ヒラヒラだったら、問答無用でそこのれんを通り抜けても問題ないと仰るのかぞへ」
「……あの、なんのことでしょうか。書斎に入ったことは謝りますから」
トケルン、逃げ場がないぞ。
これって、ホラー映画あるあるじゃ……目が覚めて最初の浴槽でカギを流した時点でとか、ああ、最初っからこの密室ゲームに参加せずに、じっとしておきゃ助かったんだとか、そういうあるある」
つまり、トケルン危機一髪でゲームオーバーじゃん??
「いやいや!? 謝ったって」
「女のシークレットな写真を覗いた事実を、僕が許せと? 本当にそう思って……」
シャキーンーー!!?
時折、雲の合間から照らされる月明かりに、天野が左手に握っている包丁の刃が反射して、それが不気味な様相を見せながら杉原ムツキの目に入る。
「あの、話し合いませんか……?」
一瞬、目をそらした杉原ムツキだった。
だって、怖いんだもん……。
(でもね、今目を背けたら、それこそホラー映画あるあるで、まっしぐらでゲームオーバーだよ、お兄ちゃん)
「ねえ? 杉原ムツキ君。知ってるかな? ブリってね、魚へんに師匠の師って書くんだよ」
ススーっと、天野さんが杉原ムツキに向かってゆっくりと歩いてくる。
ちなみに、左手には包丁、右手には鰤の切り身を持っている。
「ねえ、知ってるかな? 鰤大根ってね、知ってるかな? おいしいよね?」
「な、何の話だ!」
杉原ムツキが後ずさりしながら叫んだ。でも、後ろはもう壁だぞ。
「大根ってさ……大根役者って言葉があることを、ねえ? 杉原ムツキ君。知ってるかな?」
大根役者というのは……まあ、ネットで検索して調べてください。
ゴロロロロ……
ゴロロロロ…… ガガガガ……
ピカン!!
「あはは、世知がないものよね~人生って」
ぶんぶん左手で包丁を振り回して、天野が言う。
「あ、危ないですって天野さん。包丁をそんなふうに持っちゃ……」
杉原ムツキが変な汗を額に流しながら、必死に叫んだ。
あ、必死ってかいたら必ず死ぬって?
「私の唯一のベストセラー『代々木の杜のレシピ』のねぇ。印税がさ~。いつまでたっても、私の口座に振り込まれないんだけど。ねえ? どうしてかな??」
「知るか!!」
「私、信じてきたんだけどさ~。振り込まれないし。振り込まれないしさ~」
どうして2回言う?
と、鰤を机にドサ!! すかさず!
サッ サー
サッ ササッ サー
サーー
なんと、天野は包丁でサーッと、見事に鰤を切り身にして分けたのだった。
ゴロロロロ…… ガガガガ……
ピカン!!
それを目前で見てしまった杉原ムツキ。
(今度は、俺の番だぞ……)
「あの、天野さん。落ち着いて……」
ホモサピエンスの動物的直観は、常に正しい。
天野が手にしている包丁に対して、こちらは無防備、いくら彼が男性で天野が女性だとしても、力ずくであの包丁を掃けることはできるかもしれないけれど、あの包丁……痛いぞ、絶対に。
「ねえ? 杉原ムツキ君。君もさ~早く。みんなのもとに行きたいよね。そう! 行かなくっちゃね」
「え……? もしかして、すでにチウネル一行が……」
「ええ……。深田池マリサさんも佐倉川カナンさんも、今頃、とっくに僕が用意したおもてなしで、悔いなく昇天しちゃってるでしょうね……」
「悔いなく……ってな具合に。でもさ、ご心配なさらずに……。杉原ムツキさんも、これから僕のおもてなしをしっかりと味わってください」
絶対に嫌です。
そう、おっしゃらずに……
シャキーン!!?
天野の左手の包丁が、また月明かりに反射した。
「そうおっしゃらずに、僕のおもてなしは、僕にとって客人への感謝の気持ちの表現行為ですから……。まあ、泥棒猫な輩もいますけれどね…………」
と天野は写真立てを見つめて、しばし無言になる。
あ、これ本気じゃん。
トケルンは悟った……
「さー、さあ!! はじめますか?」
「な、なにを!!」
「何をって、盛りにもった広島焼のキャベツなんて、食いたくないでしょーーーがっ!! あいつら……、どいつもこいつも僕をバカにしやがって」
(あのう……。ノベルでグチるのはやめましょうよ。三流作家じゃないんだから。 ← 担当編集)
「い、意味が分からない。あ、これやばい。……殺されるぞ、これ絶対に。包丁でめった刺しだな、これ……」
次のニュースです
昨日深夜、岐阜県高山市の山奥に住む、作家の天野〇〇さんの自宅で
武藏谷文芸大学3年生の杉原ムツキさんが書斎で血を流して倒れているのを
天野さんが発見、警察に通報しました。
自宅には、彼の他に武藏谷文芸大学3年生で杉原ムツキさんと幼馴染の深田池マリサさん
それに、深田池マリサさんの親友で同じく武藏谷文芸大学3年生の佐倉川カナンさんが
ダイニングで血を流して倒れているのを警察が発見しました――
(こんなの嫌だ) 誰だってそう思う。
「そうだよ。だから、君もね早く行かせて、あ・げ・る」
天野、包丁を彼に向けてそう断言した。だから、危ないって。
「やっぱ! 殺される!?」
杉原ムツキが思わず! 思っていたことを言ってしまう。
それは、まるでオーストラリアの大地に咲く花が、野火に囲まれてしまい、最後の力を振り絞って種子を飛ばす植物の如く、ああ神様、俺ここで殺されます……としっかりと天に対しての自己弁護のように、俺死にたくてしぬんじゃないからねと言いたかったのだ。
誰だって、そうなるって!!
「じゃじゃーん!!」
ナザリベス、幽霊だからボワンと書斎の上空からいきなり登場してきた。
「天野さん、落ち着いてね!」
ナザリベスはそう言うと、静かに床に着地する。
「天野さん、死んだら生き返んないんだからね。人間はフィクションじゃないんだからね。キャラクターのように再利用も使い回しもできない、掛け替えのない存在なんだからね」
「……もちろん。私も理解している」
幽霊に諭される天野――
「理解しているんだったら、もう、こんな物騒なものはね――」
ナザリベスは天野が左手に握っていた包丁を両手で、その手をほぐしてつかんだ。
はっ!?
すると――天野が我に帰った。
「ぼ……僕は??」
ヘナヘナとソファーに座り込んだ。
そして、杉原ムツキを見つめて、
「もしかして僕は、また夢遊病になってしまったのか?」
「夢遊病??」
杉原ムツキ。
「……そう、僕は代々木の杜のレシピのお金の問題のことを、ずっと心の傷として抱えていて、もう20年くらい前の企画なのにね……。たまに無意識に腹が立っちゃうみたいで、こうしてキレちゃうんだ」
天野はそう言って一呼吸ついて、肩の力を落とした。
「まあ独身だから、病んでも被害影響は最小限だけれどね」
そこに、ススッとナザリベスが飛んできて――
「天野さん」
そっと天野の肩に手を当てた。
「天野さん。天野さんが書いた代々木の杜のレシピ、出版社の人達もアニメ会社の人達も、とっても天野さんに感謝していると思うよ」
「……そうかな。ナザリベスちゃん」
天野がナザリベスの頭をさわる。
「うん! そうだって」
「そうかな?」
「……うん!!」
ナザリベスはハキハキと返事をした。そして、
「版権問題で揉めたくないのは、みんな、そうだと思う。有名出版社だものね。いろんな人が働いていて、いろんな思惑なんかが飛び交っているのだって。日々、リアルタイムで連載マンガとかテレビアニメとか、ライバル会社とやっていかなきゃいけない都心の会社なんだから、はっきり言って忙しいんだって。
――天野さんのような気持ちを持つ作家なんて、もっと多くいるって!!
だから、自分の大切な思い出の作品をどうか、自暴自棄になることなく、温かく優しく見守ろうね」
この世界に作品を残せたという奇跡を大切にね。
「……だよね。ナザリベスちゃん 僕は運が良かっただけなんだ」
天野はそう言うと、ナザリベスの頭をなでなでした。
――いつの間にか、暴風雨は過ぎていったようだ。
雲はまだ速く流れているけれど、その隙間からは、月明かりがさしてくれてる。
この書斎にもである。
ふっ~と我に返った天野。ソファーに着席。
「この写真を見ると、どうしても忘れられない思い出が蘇ってきて」
月が室内を……彼女を照らす。
語り出す――
「その写真の両側にいるのは、琺文社の担当編集の折笠さん。挿絵を描いてくれたアニメ会社の高田君。私達は3人4脚で『代々木の杜のレシピ』を完成させたんだ」
天野は窓際に飾っている写真立てを見つめて、
「……あの頃は楽しかったんだけどな。折笠さんも高田君も、今では東京で活躍しているっていうし。それに引き換え、私はと言うと……こんな田舎でね」
俯いた。
「あのダイニングに飾ってあった絵」
杉原ムツキが聞く。
「スプーンを右手で持っていましたよね。でも、天野さんは左利き……」
「ああ、僕は左利きだよ。君、よく気が付いたね……」
「お兄ちゃん? どういうこと」
ナザリベスが杉原ムツキに聞いた。
「トモさんに描いてもらったんだ……。この写真をもとにしたイラストを、でも、中央にいる私のスプーンを持っている手は右手にして描いてほしいと」
「どうして、そんなお願いをしたの?」
ナザリベスが率直に思ったこと天野に聞いた。
「なんでだろう」
天野は俯いたまま、
「たぶん、割り切りたかったんだと思う。自分とは違うんだって。この『代々木の杜のレシピ』という作品を」
親しい者同士で版権争いなんて、哀しいからね……
「でも、当然の権利なんじゃないですか」
杉原ムツキはそう言うと、
「……ふふっ」
天野は笑顔になった。
「――まあ、食べようじゃないか。今宵は」
ソファーからスッと立ち上がった天野。
「もしかして、鰤大根をですか?」
杉原ムツキが見つめた先には、机の上に見事に切り身にされている鰤だ。
「あはは、違うよ。これはね、私の明日のお弁当用だ!!」
「お弁当用??」
「ああ、僕は、明日奈良県に取材に行くからね。そのランチ用だよ」
ふふっ 天野がまた笑顔になる。
「ああ、さあ! みんなダイニングで待っているよ! お風呂上がりのおやつ『宇治金時』をね!」
――みんなが待っていた。深田池マリサ、佐倉川カナン、そして先回り? のナザリベス。
「トケルン! 私達屋上の露天風呂入っちゃったよ」
深田池マリサが宇治金時を、スプーンですくいながら、
「トケルンさん。いいお湯だったよ。ここの露天風呂! 天然温泉なんだって」
同じく、佐倉川カナンも宇治金時を美味しそうに食べている。
「じゃじゃーん!! お兄ちゃんになぞなぞ~」
すっかり食べ終わっていたナザリベス。杉原ムツキを見つめ、お約束の謎々を出してくる。
「今はそんな気分じゃない。って、お前さっきまで!!」
「なぞなぞ~! もんだ~い」
話を聞いていない。7歳の幽霊の女の子は勇ましいね。
「何かが足りない宇治金時。な~んだ!」
「え? ナザリベスちゃん。それがなぞなぞなの??」
深田池マリサの、お約束の突っ込み。
「うん! そうだよ」
ナザリベスが深く頷いた。
『さくらんぼ』
トケルン――杉原ムツキはあっさりと回答した。
「さくらんぼ? トケルン、どうして??」
深田池マリサが聞いてくる。
「……いやいや! いやいやって!!」
杉原ムツキが興奮?
「宇治金時ってさ『小豆』に『宇治茶』に『さくらんぼ』がセオリーじゃん! 3種そろって、はい宇治金時。……だろ」
「……そうなの? トケルン」
「……そうなの? トケルンさん」
深田池マリサと佐倉川カナン、お互い見つめ合って頭の上にはクエスチョンマークが浮かんで、
「いやいや!! さくらんぼが乗っていない宇治金時なんて、東京駅の新幹線ホーム内で販売されていない[東京バナナ]じゃん!!!」
――意味が分からん。
次の日――
JR高山駅まで天野さんの自家用車で送ってくれて、みんな、これで無事に東京まで帰れることになりました。ああ、今回は4時間の電車待ちも無く……
「じゃ みんな、達者でね」
どこまでも明るい天野さんが、見送ってくれた。
「どうも……お世話になりました」
「宇治金時、美味しかったです。それに天然温泉もありがとうございました」
「んじゃーね! 天野お姉さん」
「ん? あはは君は少し大人になったね」
天野はナザリベスの頭をなでなでしてそう言った。
「どうも、ありがとうございました」
杉原ムツキも、塩らしく礼儀正しく挨拶くらいしなければね。
「ああ、ありがとう。僕も話を聞いてもらってなんだかスッとしたからね」
笑顔の天野さん。なんだか本当にすっきりしたんだろう。
「……それは、来たかいがありました」
そう思っておこう……。杉原ムツキは心の中にしまうことにした。
プルルルル……
プシュー
ワイドビューひだのドアが閉まった。
ホームで自分たちに向かって手を振ってくれている天野がいる。
それを、杉原ムツキ、深田池マリサと佐倉川カナン、ナザリベスも手を振って応える。
なんか、いろんな意味で来て良かった――
「なんか『大人の事情』ってやつを、私達は聞いちゃったのかな?」深田池マリサ。
「割り切れない思いは、誰にでもあるものね」佐倉川カナン。
「あたしは7歳だから、わかんなーい」ナザリベス。
一方、当物語の主人公である杉原ムツキはと言うと……
「……………」
来た時同様に、窓枠に肘をついて、ずっと流れる車窓の景色を見つめていた。
「……トケルン?」
「……チウネルさん。今はいいんじゃない?」
深田池マリサが彼の肩に手を掛けようとした時、佐倉川カナンが彼女の手を取って言った。
トケルンは流れる車窓の中で、こんなことを思っていました。
――書斎の窓際に飾ってある写真と、ダイニングに飾ってある絵
左手でスプーンを持つ自分と、右手でスプーンを持つ自分
せっかく、完成させることができたのだからという自分なりの達成感と
それに見合う正当な対価ももらえていない自分
必死で割り切ろうとした自分――
「なあ、ナザリベス?」
「な~に? お兄ちゃん」
席順は来た時と同じ、向かいの席に座っているナザリベスに杉原ムツキが聞いた。
「お前は幽霊だけど、生き返りたいって思ったことはないのか?」
「……ないよ。お兄ちゃん」
ナザリベスは、意外にあっさりと答えた。
子供らしく、足をバタバタと動かしながら。
「どうして?」
「もう幽霊の方が長いんだもの、お兄ちゃん」
「そんなものか」
「そんなものだよ、お兄ちゃん」
「悔しくないのか?」
「……………」
ナザリベスはバタバタした足を止めた。そして、
「だって、あたしが幽霊になったから、こうしてお兄ちゃんに出逢えたんだよ」
――教授に一連のことを話したら、大笑いされました。
教授曰く、
大人の事情って、それって、出版社が忘れているだけじゃないか?
立場上、言えないんだって彼女はさ。作家業だもの。出版社あってのだし。
まあ、焦らずにやっていきなよって、先生から伝えておくから。
生徒たちが不安がってるってこともね。
だって……
そういうものですか? とチウネル。
そういうものだよ。 と教授。
それにさ!
それに??
彼女は、別に作家業で挫折して帰郷したんじゃない。
え? そうなのですか! 私てっきり。
もともと、彼女は喘息もちで身体が弱かった。
高山の山奥は、それはそれは冬になるとアルプスの雪景色が見れて……。
空気も綺麗だしね。
な~んか、チウネル取り越し苦労みたいですね。
そうそう!
この前の補習。深田池さんも後から受けて……で、その採点結果を。
それに杉原ムツキ君も同じく。
君達! よく勉強しなおしたね。と教授から褒められました。
先生から、ご褒美を上げます。美味しいよ。
わざわざ、国分寺駅前のスイーツショップで、2時間待ちで買ってきたんだからね。
はあ、ありがとうございます。
見ると、宇治金時……だった。
「ねえ……トケルン。これ」
「ああ、チウネルさん。たりない」
「やっぱたりないよね? トケルン」
「ああ、そーだ。たりないな」
教授……きょとん…………
だから、トケルンとチウネル! 2人そろって言っちゃいました!!
「これ……、さくらんぼ!!! がな~い!!!!」
お兄ちゃん!
お姉ちゃん!
それ、あたしがつまみ食いしたからだよ……………てへっ!?
終わり
この物語はフィクションです。また、[ ]の内容は引用です。
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