第9話 お弁当箱

「よ! よっこいしょ……って」


「……お前、よっこいしょって今言ったよな」



 ここはJR名古屋駅――

 14時48分発のワイドビューひだ13号富山行の車内である。


「よっこいしょって言って、それが何か? トケルンさん」

 ちょっとムッとしている深田池マリサ。

 彼女は自分のリュックを棚の上に乗せようと……それはそれは担当教授からお預かりした書籍見本と、膨大な資料の数々で、重いのだ。

「お前、そのリュック電車が揺れて落ちてきたらどうするんだ」

 グイグイっと、そのリュック! という具合に指さしながら杉原ムツキが聞く。

「どうするんだって? 落ちるわけないじゃん」

 あっけらかんに深田池マリサが言った。

 それを聞くなり、

「お前、JRの高山本線なんだぞ」

「……どういうこと? トケルン」


 はあ~。杉原ムツキが頭を抱えた。

「あのなあ、お前。高山本線は名古屋駅から美濃太田駅までは平地が続いて、乗り心地も快適だけれど……。そこから山沿いを線路は続くよどこまでもなんだから……」

「意味分かんない……」

 深田池マリサが首を傾げる。


「山奥をひた走るJRの特急を甘く見るなよ。どれだけ左右に揺れると思ってるんだ。新幹線のぞみのような快適さなんて期待するな! テーブルにドリンク置いてると、電車の揺れで床に落ちるんだから」

「えっ! ホントなのトケルン??」

 右手を口元に当てて驚く深田池マリサさん。


 その時―― ズズッ ズッ


「お、お前! リュックが!!」

 それそれ! と杉原ムツキはグイグイと指さす先には、棚から今にもずれ落ちそうな深田池マリサのリュックである。

「わわ!」

「ほら、言わんこっちゃない。そんな重い物を棚の上に置いたら、ぜーたいに電車の揺れで落ちちゃうから足元に置いとけってば!」

 と言うと、杉原ムツキが座席から立ち上がり、ずれ落ちそうだったリュックを片手で止めた。


「わあ、ありがとトケルン」

「……どういたしま・し・て。チウネルさん」

 

 杉原ムツキが片手で止めたリュック、今度は片手でそれをグッと引っ張り出して持つなり、スッと床に置いたのだった。

「ふう~」

 そして、彼は着席した。

 彼の席は窓際、彼女の席は通路側である。



 ――今回の目的地は岐阜県の高山の山奥。また山奥である。でも、白川郷のちょい手前。

 JR名古屋駅からワイドビューひだに乗って3時間で高山駅に到着して、そこから車を使って宮川の川沿いを進むこと数十分のとある作家の自宅である。


 プルルルル……


 駅のベルが鳴った。

「ワイドビューひだ13号富山行、発射します」

 続いて車内アナウンス。ちなみに、JR高山駅には17時14分に到着する。



「あ~あ。また山奥だね」

 リュックを足元に置いて、深田池マリサも着席した。

「あの教授の関係者って、どうしてこうも山奥に住んでいるんだ」

 窓枠に肩肘ついて名古屋駅のホームを眺めながら、杉原ムツキはボヤいた。

「あ、ほんと! そうだよね? トケルン」

 ああ、そういえば! という感じで深田池マリサは新鮮なトリビアに気が付いた。


 プチュー


 特急電車のドアが閉まる音である。

「大体さ、チウネル。お前が英語の試験で、赤点さえ取らなければこんなことに……」

 肩を揺らしてため息をつく杉原ムツキ。その息が少し窓に掛かって、白くなる。

「……わ、私だって一生懸命勉強したんだよ」

 深田池マリサは頬を赤らめて、

「でもね……。限界だわ、私は」


「でもねぇ。お前は、その成績でよく大学に入学できたよな」

「そ、それ、どういうこと」

 ムクッと窓際に座る杉原ムツキの方を向く。

「お前、卒業できるのかってことだ」

 はあ~。とまたまたため息。


「……………そんな先のこと、分かんないから言わないでちょうだい」

「言わずにはいられなかったトケルンだ」


「……あと、さっきから『お前』っていうのやめてよね」

 深田池マリサは、話題を変えようと思った。

「なんで?」

 今度は杉原ムツキが、彼女の方にムクッと顔を向けて言う。

「トケルン、お前って英語で『Hey!』でしょ。そこは『Dear』に変えましょう」


「嫌です」

「嫌じゃない!」



 これっくらいの…… おべんとばこに……


 おにぎりおにぎり ちょいとつめて……



「……………あの、深田池さん。杉原くん」


「え?」「なに?」


 ――さっきから2人のイチャイチャ感全開なラブラブ旅行を、間近に見つめていた人物がいた。

「……お取込み中悪いんだけれど。電車のしゃ、車内では、その静かにしましょうね」

 ごもっともなアドバイスである。

 そのアドバイスを聞いて、深田池マリサは、しばらく硬直。


「わっ! ご、ごめんなさいカナッチ!!」


 わわわって、あたふたし出した深田池マリサ。なんだか、よく考えたら恥ずかしい。

『観客』の目の前で何夫婦漫才してるんだって、冷静になって気が付いて(いやいや夫婦じゃないじゃん……)ササーっと自分の体をできるだけ通路寄りに寄せた。


「……分かってくれて、そのありがとう」

 見ていた方も、なんだか恥ずかしいよね。



 今回のお仕置き旅には、2人以外に同行者がいる。


 彼女は佐倉川カナン。武藏谷文芸大学理数学部3年生である。

 理数学部だから2人とは違う学部だけれど、深田池マリサの親友である。杉原ムツキとは……どうなのだろう? 

 佐倉川カナンと言えば、学内で数学の成績が常にトップであることは周知である。いわゆる、天才肌というやつだ。たまにネイチャーにも寄稿している!

 まあ、数学の話になったら彼女には誰も勝てないと思って間違いない。


 深田池マリサは前回の反省から、杉原ムツキとの2人旅を拒否して、親友の佐倉川カナンの同行を担当教授に懇願した。

 彼女にしてみれば、いつも彼に何事も論破されてしまうから、これではパワーバランスがアンバランスだと考えた。佐倉川カナンとタッグを組んで、2対1の多数決作戦を思いついたのだ。

 とにかく、脳裏に過るのはゴーレム等の悪夢……。


 担当教授はそれを快諾。


 ――つまり、指定席に前席を180度くるっと向きを変えて、進行方向の窓際に杉原ムツキ、隣の通路側に深田池マリサ、その向かいの席には佐倉川カナンが着席している。



 そして、杉原ムツキの向いの席には……ナザリベス??



「ねえ、チウネルさん。さっきから気になっていたんだけれど、この子、誰?」

 と、佐倉川カナンが深田池マリサに尋ねた。

「ねえ? お姉ちゃん。このツンツンした性格のお姉ちゃん、誰?」

 同じくナザリベスも、深田池マリサに聞く。


「誰がツンツンした性格かな? お嬢ちゃん」

 眉間に怒りマークを出して、隣の窓際に座っているナザリベスを見下げた。

「あたしはナザリベスだよ」

 軽快に応えるナザリベス。

「ナザリベス? ということは外国人? それともハーフ」



 ――ここでおさらい。


 ナザリベス、本名は田中トモミ。7歳のなぞなぞ好きの幽霊である。

 幽霊? と読者は驚かれることでしょう。これは、初回の物語を読んでもらえれば理解できると思います。

 杉原ムツキと深田池マリサとは、山奥の山荘で出合ったんでしたね。


「ううん。日本人だよ~」

 足をバタバタさせて、これも軽快に応えたナザリベス。

「?? どゆこと」

 佐倉川カナンの頭が混乱しかかっている。


「こ、こういうことよ、カナッチ」

 佐倉川カナンのことをカナッチと愛称で呼ぶ、深田池マリサ。

「ナザリベスは私が、前回、教授のお使いで山口県に行った時に知り合った女の子で――その幽霊なの」


 幽霊??


「あ、あはっ」

 深田池マリサの笑顔が引きつる……。

「まあ、その幽霊なの。ふ、不思議でしょ。この子幽霊なんだから」


「じゃじゃーん!! あたし、幽霊のナザリベスだよ」

 両手を大きく上に掲げて、ナザリベスが言った。

「こら! 車内で大きな声を出すんじゃない、ナザリベス」

 杉原ムツキがナザリベスを見つめて言った。


「……は~い。お兄ちゃん」

 ショボンとしちゃったナザリベス、まだ(ずっと)7歳の女の子の茶目っ気。



「あの……カナッチ。驚かないの? 幽霊のこと」

 深田池マリサは、目の前に向かい合っている佐倉川カナンに、恐るおそる顔を近づけて聞いた。

 電車はすでに美濃太田駅を越えた、ここから高山本線は山深くなっていく。

「……………ま、虚数みたいなものかな」

 そう言うと、佐倉川カナンは、車内の天井を仰ぎ見た。


「虚数?」

 今度は杉原ムツキが彼女に聞く。


「ええ、虚数。実態は見えないけれど、見えないからって、そんなことは問題じゃない。虚数があることでありとあらゆる数学の難問は解決することができたんだから……」

「だから?」

 深田池マリサ。

「だから、いいんじゃない。幽霊がいても」

 佐倉川カナンはそう言って、隣のナザリベスを見つめた。

「えへへ……」

 ナザリベスも佐倉川カナンを見上げて、そして笑った。



 嬉しいよね。自分の存在を認めてくれる人がいてくれるということはさ――


 

「さっすが、天才数学少女さまは、理解力も神がかり的だな」

 窓の外の流れる山々を見つめながら、杉原ムツキはボソッとそう言った。

「それは、どーも。トケルンさん。まあ、全部の科目の成績については、あなたには勝らないけれどね」

 斜め向かいに座っている彼に、佐倉川カナンがちょっと皮肉を込めて返した。


「そりゃ、どーも。カナッチ」

 窓の外を見つめたまま、杉原ムツキはそう呆気なく返事をした。


「……まあまあ、2人。仲良く旅しましょうね…………」

 まだ旅が始まったばかりだというのに、この嫌悪感……。

 深田池マリサがそれを察知するなり、両者の顔を左右に交互に見て、なんとかこの重い空気を一掃しようとあたふた。


「カナッチお姉ちゃん。もう、ダメだよ。空気読まないと!」

 ナザリベスが大きな声で隣に座っている佐倉川カナンに言った。

 だから、車内ではお静かに。というよりも、ナザリベスよ、君が空気読もうよね。

(……7歳にはむずかしいかな?)


「そんなカナッチお姉ちゃんに、なぞなぞ~」

 でた! ナザリベスの十八番。

「なぞなぞ? 私と」

 クイッとナザリベスを見る。

「うん。あたしのなぞなぞはムズイよ~」

 うんうんっと、首を上下に振ってナザリベス、なんだか楽しそう。


「……いいわよ」

「やったー!!」


「こ……こら! ナザリベスちゃん。もう少し声を小さくしましょうね」

 慌てて車内の他の乗客を見渡しながら、深田池マリサはナザリベスを諭す。

「……はーい。ごめんなさい。お姉ちゃん」

「……うん。そうだね」

 深田池マリサは、ナザリベスの頭をなでなでしながら優しくそう言った。


 ワイドビューひだは、右に左に蛇行を繰り返しながら、山沿いを縫うように目的地高山へと向かっている。


「あらためて、カナッチお姉ちゃんにもんだーい!! あたし、訳あって旅に出るよ。だから23334353は素数でーす。あたしはウソしかつかなーい!!」

 これがナザリベスからのなぞなぞだった。

「ブブー!」

 しかし、すかさず佐倉川カナンが。

「素数じゃないよ。因数分解すると7 × 17× 196087だから」

 さすが天才肌の数学者佐倉川カナン。秒殺で因数分解してみせた。


 しかし、

「ブブブー!」

 今度はナザリベスが茶目っ気たっぷりに、不正解であることを口をとんがらせて示す。


「だから、これなぞなぞ~だよ。カナッチお姉ちゃん」

「なぞなぞ……だったか」


 ――しばらく沈黙が続いたこの4人。ワイドビューひだはガタンゴトンと音を鳴らしている。

 また、それが心地良い音色だ。なんていうか、JRの山奥を行く特急電車あるあるの醍醐味。


「わからん。まいった。降参だ」

 佐倉川カナンが両手を挙げて言った。

「わーい!! あたしの勝ちー」

 足をバタバタさせて、ナザリベスは嬉しそうだ。


 と思ったら……である。



「お弁当箱」


「へ? 何トケルン??」

「だから、答えはお弁当箱」

 ボソッと……窓の外を見つめながら杉原ムツキが、ナザリベスのなぞなぞに答えを返した。


「お、お弁当箱? トケルンさん」

「トケルン。どういうこと?」



「せいかーい!! さっすが、お兄ちゃん。やるー!!!」

 ナザリベスが向かいに座っている杉原ムツキの両膝に両手を当てて、彼の顔を覗き見て言った。それもとびっきりの笑顔でである。

 ナザリベスは、自分のなぞなぞを答えてくれた杉原ムツキが、大好きなのだ!!


「ねえ? トケルンどういう意味?」

 隣に座っている深田池マリサは、勿論のことチンプンカンプン。

 だから、気になる。このなぞなぞの答えがどうして『お弁当箱』なのか。

「チウネル。今のお前の気持ちを、ナザリベスはなぞなぞにしたんだって」

「……どういう」

 やっぱし深田池マリサにはチンプンカンプンである。


 ふう~。杉原ムツキがクルッと隣の深田池マリサを見た。

「お前、どうして英語の赤点のために、こんな山奥までお仕置きで重い荷物を運んでんだろって、そうは思わないか?」


「……そりゃ」

 コクりと自分の内心で少し考えた後、そう頷く深田池マリサ。


「……どうして、こんな山奥に都心の出版社と関係がある作家が暮らしているんだと思う?」

「……どういうこと、トケルンさん」

 今度は佐倉川カナンが聞いてきた。


「お前ら……。ほんとに」

 頭をかきかきする杉原ムツキ。そして、

「[アマゾン]のネットサービスってさ、あれすべて送料無料なのを知っているか?」

「そうなの? トケルン……」(たぶんです)

「で? だから? それとナザリベスのなぞなぞの答えのお弁当箱と、どう繋がるの?」

 佐倉川カナンが、至極論理的質問をする。


「……地獄の沙汰も金次第っていうだろ。音楽教室に支払いを請求する例もあったし、[ゆうパック]の方が安いですとか…………。あの英語の担当教授だって送料をケチりたいくらいだしさ」

 杉原ムツキは流れる山々の景色を眺めながら、ボソッとそう言った。


「……つまり、お金の話ってこと? トケルン」

 深田池マリサは彼の背中を見て、聞いた。



「山奥に住む作家か……。誰にだって『割り切りたい』エピソードがあるんだって」

 杉原ムツキはそう言うと、また窓枠に肘をついて車窓を眺めた。



 まもなく、下呂に到着します。

 お降りの方は、お忘れ物の無いようご注意ください。


 車内アナウンスが車内に響き渡った――




 続く


 この物語は、フィクションです。また、[ ]の内容は引用です。

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