山野フウカの仕事

業務開始と同時にアポ無しで人事部へ向かう。アポを取るのが面倒というのもあるが、私が行くと知らせると、余計な気を使わせるので、敢えてアポは取らない。

それに、今の人事部部長は私が育て上げたので、門前払いということはないだろう。


懐かしさに浸りながら、部屋を見渡すと、人事部部長と書かれたプレートが見当たらなかったため、彼女の本名、森田 早苗のプレートを探す。早苗は部下達に混じって仕事をしたいと言って、他の社員と同じ場所にデスクを並べているため、見つけにくかった。


早苗は昔と違って、ブルーライトカット用のメガネをかけており、昔では考えられない速さでタイピングしていたが、特徴的な猫背が変わらないままだったので、注意深く探していると、すぐ見つかった。


「森田さん、久しぶり」

私が話しかけると、森田は目をパチパチさせてから、ゆっくりと深呼吸をした。


「急に来ないでください、心臓に悪いんで」


「ひどいなー、あんなに丁寧に仕事を教えてあげたのに」


「ひどいのはどっちですか、1日で処理してって言われた量、死ぬ気でやっても3日かかって、落ち込んで提出したら、本当は1週間分だって分かった時の私の気持ち分かります?」

懐かしいな。あれは手っ取り早く本当の実力を見るために言ったつもりだ。


けれど、新人教育にトラウマがあったので、無意識に厳しくし過ぎた可能性は否定できない。

「あれって厳し過ぎた?」


「どこに迷う要素があるんですか?」

結構な声量だったので、周りから避難の目で見られる。


森田はゲフンゲフンと咳払いをすると

「さっさと要件話して帰ってください、あなたは思い出話をしに来るような人じゃないでしょ」


「わかった。単刀直入に言う。とても優秀な人を見つけたから、次の中途採用の採用予定人数、1人減らして空きを作っといて」


「まあ、できなくはないですが、その工作をするのに、山野さんの見込んだ人は釣り合うんですか?」


「釣り合うどころかお釣りがくる」


「なるほど、分かりました。


と言いたい所ですが、人の話を信用するなと、あなたに教わったもので」


いい感じに厄介に育ったなー。

「さすが、私が育てた人材だ」

そう言って、カバンからクリアファイルを渡す。中にはミヅキのまとめた書類が入っている。ミヅキが見ていない隙を狙ってコピーして保管していた。


「これは、ほしいですね」


「でしょ」



準備は整った。次にミヅキが来たら、ヘッドハントの交渉をしよう。

ミヅキの今の職場のことはよく分からないが、まともじゃないのは確かだ。ミヅキが社員割引が効くからと予約した清掃業者は盗聴器のスペシャリストだったし。



転職にあたっての条件をまとめた書類を作成し、ミヅキを駅前のカフェに呼び出す。

ヘッドハンティングは秘密裏に進めた方がいい。相手の会社にバレると、引き止めるためにいろいろと手を回してくる可能性がある。盗聴器まみれの自宅だと話せない。










しかし、約束の時間になってもミヅキは来なかった。


何度電話を掛けても、ミヅキが出ることはなかった。


部屋に戻ると盗聴器は全て外されていた。

ありとあらゆるものが、ミヅキが来る前に戻されていた。

まるで、原田ミヅキなんて初めからいなかったみたいに。


私はミヅキのことを何も知らない。

職場も知らないし、住所も知らない。

原田ミヅキというのが本名も分からない。


こうなってしまったら、私に彼女を探す手段はない。


ミヅキのいない部屋は静かだ。

私は静かなこの部屋が気に入っていた。

誰にも邪魔されず、仕事に没頭できる、前の環境に戻っただけだ。

なのに、こんなに仕事が捗らないのはなぜだろう。


ミヅキは口数が多いタイプじゃない。

静かな空間には、作業する上で最低限の音だけが響いていた。


ガサガサと本を探す音、

ペラペラと紙をめくる音、

さらさらと書類を埋める音、

カタカタとタイピングする音、


そんな日々がしばらく続いた頃、

ミヅキは「なんだか、会社みたいですね」

と笑っていた。


「あー、だから落ち着くのかな」

なんて返したら、


ミヅキはクスクス笑って

「フウカさんは、本当に仕事が大好きですね」

とすこしだけ寂しそうに言った。


私は、どうしていいか分からなくて、

「うん、大好きだよ」

とだけ答えた。


たぶん、ミヅキは今の仕事が好きではない。むしろ、極端に毛嫌いしているのだろう。私はそれがどんな仕事なのか知らないし、ミヅキの事情も知らない。だから、簡単に転職を勧めたり、仕事を好きになれと言うのはおかしい。

それはわかっていた。


だけど、一緒に過ごしてるうちに、どうしても、楽しんで働いてほしいと思った。自分の仕事に自信を持って、正当に評価されて、やりがいを感じてほしいと思った。


そうして、結局私の考えを押し付けた。

私が身勝手に転職を勧めたせいだ。

だから、ミヅキは居なくなったのだ。



静かな部屋はさみしい。


ミヅキの声が聞きたい。

ミヅキとご飯食べたい。

ミヅキと仕事したい。


ミヅキに会いたい。


これはわがままだ。

仕事を好きになってほしいからじゃない。

私が一緒に居たかっただけだ。


これでは大好きな仕事にも身が入らない。


あー、もう。

これだから、人と関わるのは嫌いなのだ。

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