【2】喧騒の廊下から #2

 網場あみばには、昔からそういう所があった。

 土生ときのことをなにかにつけ気にかけ、世話を焼いてくれた。

 人が一人死んでいる現実に対し、土生は迷いはしたが、網場の勢いに流された。


 それから数年が過ぎたが、夫辺人の「治療」は遅々として進まぬ日々。

 わかったことと言えば『Deep Ones』が呪いではなく、人間の遺伝子に混ざり込んだ未知のナニカであること……そこ止まり。

 夫辺人は「発作」防止のため、自ら檻に閉じこもることを望んだ。

 今度の檻は、網場が別荘を建てる際に最初から造り込ませた頑丈なもの。

 そこならば不要な人付き合いをせずに済み、かといって孤独でもなければ衣食住に困るわけでもない。

 夫辺人の母に対しての仕送りも、網場が「給料」と称して出していた。

 実験に付き合うようになってから、夫辺人は「発作」の発生回数が減ったと言っていた。

 これは夫辺人本人が望んでいることなのだ……土生は自分自身にそう言い聞かせ、彼らの動向を見守り続けた……あの日までは。


 あの日。

 網場が土生にこう告げた。


「彼がね、子どもを欲しいって言うんだよ」


 土生はぎょっとした。

 土生が夫辺人に最後に会ったのは一週間前。

 彼はもう半魚半人ではなく、二足歩行の形を保った魚のような両生類のような、もはや人と呼ぶのをためらってしまうくらいの状態だった。

 それだけではない。

 網場は夫辺人から取得した細胞情報をもとに様々な実験が進んでいることを、動物を『Deep Ones』化する実験は段階的に成功しているという事実を、土生に告げる。

 土生は網場達を監視しているつもりで、肝心な部分は何も把握できていなかったのだ。

 夫辺人の子に対する可能性を嬉々として語る網場に対し、狂気を感じた土生は、自分の無力さを感じ、逃げ出した。

 かねてより誘われていたオーストラリアの海洋生物研究所への転職、という手段によって。


 土生はオーストラリアで三十七年の月日を過ごした。

 それだけの長い期間が、彼の走馬灯の中では一瞬だった。

 ちらりと、現地では同僚の間宮まみやという学者の顔が浮かんだが、土生は結局、羽布木や夫辺人に対する罪悪感により、彼女と一緒になることを選べなかった。


 土生が職も恋人も捨て、日本へ帰国したのは、父の死がきっかけだった。

 兄弟の居ない土生は、老いた母が独りきりになるのを心配して戻ってきたのだ。

 その父の葬儀で、懐かしい再会があった。

 網場が現れたのだ。しかも娘を連れて。

 網場は、医療と宿泊とを結びつけたプランで実家の業績を伸ばし、もうすっかり地元の名士となっていた。


 網場は何十年ぶりかで再会した土生を自宅へと招く。

 土生も網場ももう古稀がそう遠くない年齢。

 別々に歩んできた人生のことを、穏やかな雪解けのように話し出す。

 網場の妻が娘……明日架あすかを出産した際に亡くなったこと。

 夫辺人も既に亡くなってしまったこと。

 明日架が大学を出て医師となり、今は網場の仕事を手伝っているということ。そして妊娠もしているということ。

 祝福の言葉を贈った土生に対し、網場はとんでもないことを言い出した。


「明日架の出産に、土生、お前も立ち会ってほしいんだ」


 人は忘れる生き物だ。

 それは、心を守るため。

 忘却は傷ついた心を癒やすための治療薬なのだ。

 三十七年という歳月をかけ、ようやく忘れかけていた旧友の狂気を、土生は改めて思い出すことになる。


 網場は、明日架の父が夫辺人であることを告げた。

 網場の妻が、借金の肩代わりを条件に妻となり、そして夫辺人の精子を体外受精し代理母となった事実を。

 そして明日架自身が濃い血統を望み、夫辺人の冷凍精子によって妊娠したということをも。


「明日架の母は、俺一人では救うことができなかった。今、研究は明日架が手伝ってくれてはいるが、明日架の出産時はさすがに手を借りるわけにはいかない。頼む土生。お前しかいないんだ。明日架の出産は母子ともに健康なまま乗り越えたいんだ」


 網場の狂気を育てたのは自分だ。

 土生は責任を感じた。

 だからこそ覚悟を決め、明日架の出産に手を貸すことにした。


 出産の準備は、病院ではなく網場が建てていた研究所で整えられていた。

 その研究所こそが『土生海洋資源研究所』。

 土生が承諾する前から、彼が所長となることは網場によって決められていたのだ。




 次のシーンは、明日架の出産シーン……それはとても異常なものであった。

 四十八つ子。

 人間としては考えられない数。

 そしてその姿も、とんでもないものであった。

 胎児というものは、受精卵から人間の形へと変わってゆく過程で、様々な姿となる。

 魚のような姿、両生類のような姿、爬虫類のような姿、尻尾さえもある……そんな、地球上での人類の進化をなぞる変化のごく初期で止まった……そうとしか思えないモノを、明日架は産み落とした。

 ほとんど魚のような姿の子どもらを、明日架の指示で生理食塩水へと漬けると、元気にエラ呼吸で泳ぎだす。

 それぞれが異なる魚の稚魚に似た形をしていた。

 土生はその形から魚の種類を特定し、それぞれの魚が生育しやすい環境を必死に用意する。

 土生は今度は逃げなかった。

 網場父娘の暴走をどこかで止められるとしたら、それができるのは自分だけだと思ったから。




 シーンはスライドのように次々と変わってゆく。


 最初の一年で、子らは二十人まで減った。

 彼らは魚として育っていた。


 翌年、さらに数が減り、十人まで減った。

 彼らは話しかけると、まるで聞いているかのように反応する。

 土生は彼らの育つ水槽の前に大きなモニターを設置。

 幼児番組を繰り返し流すようにした。

 網場は残った子らを二つのグループに分け、片方には彼が作った「栄養剤」という名の試薬を与えた。


 そしてその翌年、とんでもないことが起きた。

 試薬を与えた方の五人が、ある朝、人間の姿になっていたのだ。

 レ号、ラ号、フ号、キ号、ミ号の五人。

 驚いている土生たちに対し、彼らは話しかけてきた。会話が成立したのだ。

 生まれてから三年ほどだが、知能は5歳児ほどだと判明した。

 土生は奮い立つ。

 明日架がモラルを無くしたのは網場が育てたから。

 この子らには、正しいことを教えなければならない、と。


 土生は大学時代の友人を呼び出した。

 網場以外で唯一友人と呼べる湯多ゆだという男を。

 湯多は、学生時代から熱い男だった。

 ただ、さすがに真実を話すわけにはいかない。


「なあ、友人の孫に正義を教えたいのだが、どうしたらよいか」


「いいものがあるぜ」


 湯多はニヤリと笑みを浮かべた。


『昭和特撮ヒーローセレクション』


 湯多が土生に貸してくれた大量のBDブルーレイディスクには、熱い字でそう書かれていた。

 全部で二十五枚。

 土生は幼児番組の間にそれらの作品を混ぜてゆく。

 特に反応したのはラ号だった。

 彼女はヒーローに憧れ、土生の望んだ正義を、倫理を、人としての生き様を学んでゆく。

 残りの四人にも、それぞれに特徴が出始めた。


 レ号はハマトビウオから人の姿になった、兄弟の中では十七番目の男子。

 マイペースで、海への回帰の想いが強い。


 ラ号はイシダイから人の姿になった、兄弟の中では二十二番目の女子。

 正義に熱く、兄弟の中では唯一この子だけ、様々な魚に変身できる。残念ながら魚種はランダムであるようだが。


 フ号はマハゼから人の姿になった、兄弟の中では三十二番目の男子。

 臆病で、周囲の兄弟たちの様子をうかがってばかりいる。


 キ号はロングノーズデンキナマズから人の姿になった、兄弟の中では三十八番目の男子。

 感情を表に出さず、道具の仕組みを理解するのが好きな様子。


 ミ号はホオジロザメから人の姿になった、兄弟の中では四十一番目の女子。

 強さへ執着し、最も年下であるにも関わらず、兄弟たちの中で一番上位に居るようだ。


 五人は魚の姿と人の姿とを自在に変化させることが可能だが、変身すると「心が疲れる」らしく、短い間に何度もはできないらしい。

 身体能力は人よりも高く、あと特に目立つ差異は毛が生えていないという点。

 髪も眉もまつ毛も全身の産毛すらない。

 網場は、この五人に対し『Hybrid Deep One』と命名した。


 『Hybrid Deep One』の五人は、六歳頃から十一歳までの五年間に、驚異的なスピードで成長する。

 実年齢的には十一歳だが、その肉体はもはや十六歳ほどに見える。

 精神年齢はそれよりもさらに高い年齢と評しても問題ないほどに。

 戸籍を取得していない彼らには、土生を中心に三人が、初等教育から高等教育までを教えていった。


 一方、人の姿にならなかった五人は、その五年間に次々と死んでいった。

 ある程度のコミュニケーションを取れはしたものの、最期まで魚の姿のままだった。


 普段は水着で室内プールに入り浸っている彼らを、土生は時々、人の世界へ連れ出すようになった。

 その際は人間の服を着せ、帽子やカツラを被せ、女子にはつけまつげすらつけさせて外見を整えた。

 土生は彼らが人の世界に馴染めるように必死だった。

 しかし、それは網場親子……特に明日架の方針とは真っ向から対立した。

 明日架は、彼ら五人を「選ばれた子」として、どこかの海神を祀る宗教的な集団へ合流させようと考えているようだった。

 網場は土生の側についたが、彼らと明日架との溝は埋まらず、今日という日を迎えることになる。

 今日という日。

 走馬灯のラストシーン。




 土生はいつものように、子どもたちの一人を連れて街へ出た。

 今回の順番はラ号。

 車で伊豆半島の先端、下田の街まで出かけて一緒に街を歩き、本屋でラ号の好きな本を買い、帰路では途中、海へ降りられる場所で車を止め、波打ち際で遊ばせたりもした。


「お昼ごはん、なにか食べたいものはあるかい?」


「海鮮丼!」


 店の予約をしようと携帯電話を取り出した土生は、網場からメッセージが入っていたことに気づく。


『反乱。レ号致命傷。逃げろ』


 状況が飲み込めない土生はとりあえずラ号を連れて研究所近くまで戻る……だが、その途中で病院前に止まる救急車を見て、その病院へと駆け込んだ。

 土生は気が動転していた。

 救急車で運ばれてきた人たちを確かめ、ようやく我へと返る。

 あの子達がどんなに深い傷を負おうとも、網場が彼らを一般の病院へなど運ぶはずなんてないのに。


 傷を負ったレ号は、明日架の掲げる理想に以前から賛同していた。

 明日架と対立したままの網場が危険を訴えているということは、反乱を起こしたのは残りのミ号たちか。

 そのとき、ふと土生は思い出した。

 ちょっと前に、子どもらに個別に勉強を教えているとき、キ号が土生に告げた言葉を。


『死んだ五人は、キ号たちの栄養になったのは本当ですか?』






●主な登場人物


渋沢しぶさわ 宇智也うちや

 臨海学校に向かう途中のバスで事故に遭った高校一年生。

 『土生海洋資源研究所』の中で血溜まりの中に手をつき、傍らに倒れている老人(土生)の走馬灯を見ている途中。


土生とき 保功刀ほくと

 小さい頃から人魚に会いたかった海洋学者。

 網場の暴走を止めるため『土生海洋資源研究所』の所長として、ラ号たちを育てた。


網場あみば 典斎のりなり

 土生の幼馴染。地元有力者の次男で、医者。

 借金の肩代わりを条件に妻にした女に、夫辺人の子を孕ませた。


網場あみば 明日架あすか

 網場典斎の戸籍上の娘だが、その父親は実は夫辺人。医者。

 夫辺人の冷凍精子を使用して妊娠し、四十八つ子を産んだ。

 どこかの海神を祀る宗教的な集団へ、生き残りの五つ子を合流させたがっている。


ぬま 夫辺人おべと

 アメリカ人の父より『Deep Ones』の呪いを受け継いだハーフ。母は日本人。

 その呪いは既に「発症」しており、外観が半魚半人の様相に。

 精神的なストレスにより「発作」が起きると、周囲に対してとても攻撃的になる。

 既に死亡している。


羽布木はぶぎ 勇旗ゆうき

 地元で嫌われている一匹狼漁師。密漁もする。

 夫辺人を見世物にしようと企み捕獲後、網場へ連絡したが、夫辺人の「発作」に巻き込まれて死亡。


間宮まみや

 土生がオーストラリアの海洋生物研究所に勤めていたときの同僚学者。

 恋仲だったが、土生が罪悪感から幸せになることを拒んだため別れた。


網場あみばごう

 網場明日架の四十八つ子の中から生き残った十七番目の男子。

 ハマトビウオの姿から「栄養剤」などのおかげで人の姿となった。

 マイペースで、海への回帰の想いが強く、明日架に懐いている。


網場あみばごう

 網場明日架の四十八つ子の中から生き残った二十二番目の女子。

 イシダイの姿から「栄養剤」などのおかげで人の姿となった。

 兄弟の中では唯一、様々な魚に変身できるが、変身後の魚種はコントロールできていない。

 土生との外出後、フ号を探しているうちに宇智也達と出会った。


網場あみばごう

 網場明日架の四十八つ子の中から生き残った三十二番目の男子。

 マハゼの姿から「栄養剤」などのおかげで人の姿となった。

 臆病で、周囲の兄弟たちの様子をうかがってばかりいる。


網場あみばごう

 網場明日架の四十八つ子の中から生き残った三十八番目の男子。

 ロングノーズデンキナマズの姿から「栄養剤」などのおかげで人の姿となった。

 感情を表に出さず、道具の仕組みを理解するのが好きな様子。


網場あみばごう

 網場明日架の四十八つ子の中から生き残った四十一番目の女子。

 ホオジロザメの姿から「栄養剤」などのおかげで人の姿となった。

 強さへの執着がある。


湯多ゆだ

 土生の、網場以外では希少な友人。

 「正義を教えたい」という土生の申し出に応え『昭和特撮ヒーローセレクション』を渡した。


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