【1】田舎ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト #3

「俺に……混沌の血……」


「そう。普通の人は、混沌混じりの混沌部分を見てしまったとき、気絶したり錯乱したりってのが当たり前なの。少なくとも、たじろぐくらいはするし、変身する人なんてリアルに見てそんなあっさりと受け入れたりはできないもの。それに……そうじゃなきゃ、混沌混じりの血で強化された血魔術に、何度も抵抗できていることへの理由がつかないもの」


「なぁなぁ。オレの中にも、入っているのか? コントンってやつ」


「恐らくね。変身なんて、普通の人にはできないもの」


「コントンのヒーローか……なんだかカッコイイな! ウチヤは嬉しくないのか? コントン」


 しかし宇智也は口を閉ざしたまま。


「ウチヤ? どうしたんだ?」


「ラゴウちゃん、自分が混沌混じりだと知ってしまった人の反応には少なくないのよ。そのことに向き合えないこと。受け入れるには時間がかかるものだし、ずっと受け入れないままの人も居るから」


「……いや、受け入れて……いないわけじゃない。天城さん、バスの方はどんな状況だったんだ? どうして予知ではないってわかったんだ?」


「あー……えーと。バスに乗り込んで最初に、あなたを見つけたの。乗降口入って一番手前の席に一人で座っていたでしょ。鍵の人だってすぐにわかった。しかも割れた窓ガラスが腕にささって出血していたから、とっさに治療して……でもね、私、そこで気付いたの。他の人達はほとんど軽傷だって。宇智也が一番、傷が深かったくらい」


「改めて、ありがとう……治療してくれて」


「どういたしまして。でね。この事故が予知じゃないってことは……大流血の惨事は……これから起きるってことだから……鍵であるあなたのそばに居るには、クラスメイトでいるしか、あなたとそれなりの距離感でいるしか、なかった」


「大流血の惨事?」


「そう。予知が教えてくれるのは、大量に血が流れる事件とか事故とか、そういう類のものなの。特に今回のは、少なくとも人が二、三人死ぬくらいの大きなもの」


「それが……これから?」


「恐らくね」


「その……予知は……覆せるものか?」


「防げたことは……あるよ。毎回ってわけじゃないけれど……時間的には、そろそろ起きていておかしくない頃なんだけど」


「そうか、それで急いでたんだね……じゃあ」


 宇智也が言葉を区切ったのは、遠くにパトカーのサイレンが響くのが聞こえたから。


「助けられるものならば、俺だって助けたい。俺にできることがあるのなら、一緒に行こう」


「やった! 三人で行こうぜ!」


 ラ号は、宇智也の左手と敬子の右手をぎゅっと握りしめる。

 手をつないだまま病室の出口へと向かう三人の、正確には敬子と宇智也の足を止めたのは、廊下の向こうから近づいてくる複数の足音だった。


「行かないのか?」


「非合法な手段で潜り込んでいるから、なるべく目立ちたくないの。遭遇する人だって少なくしたい。バスの中で大人数相手に錯覚を起こせたのも、フゴウさんの血のおかげかもしれない……でも、その血はもう尽きるから」


「じゃあ、オレの血を使いなよ!」


「え、いいの?」


「ちょ、ちょっと待って……血を回収って、まさか首筋から吸う、とか?」


「な、何と間違えてるのよっ。血魔術は吸血鬼とは違むぐっ」


 宇智也が敬子の口を押さえたのと同時に、足音が病室の入り口まで到達した。


「だ、大丈夫ですかっ! あっ、ベ、ベッドが!」


 最初に声をかけたのは、整った顔の若い男性医師。

 その横には体格の良い女性看護師と、短髪の小柄な女性看護師。

 三人ともモップやバケツ等の掃除用具を身を守るように構えてはいるが、その手は震えている。


 敬子は二人に目配せすると、すかさず医師たちの元へ駆け寄った。血の臭いをさせながら。

 少し間を置いて、医師たちは掃除用具を床へ下ろす。


「……院内にイノシシが入り込みました! 皆さん、僕たちが誘導しますので、ついてきてください!」


 医師は非常口へと走り、ドアを開けて押さえる。

 看護師逹は廊下を走って戻り、近くの病室の患者の誘導を始める。


「さ、とりあえずはここを離れましょ」


 敬子は非常口へ向かい、宇智也とラ号もそれに続く。


 白く塗られた非常階段。

 大粒の雨がトン、トン、と落ち始め、透明な模様の数を次第に増やしてゆく。


「降ってきたね」


 敬子は一瞬だけ空を見上げ、それから階段を駆け下りる。

 三人の足音が、雨音と雨音との間に忙しなく割り込んでゆく。


 一階まではすぐに降りきった。

 そこから目と鼻の先に停車している白いワンボックスカーを敬子が指差すと、側面のスライドドアがのったりと開く。

 敬子が車へと乗り込み、二人も後に続くと、スライドドアがまたのったりと閉まった。


「一人増えたの?」


 運転席に座っている女性が切れ長の鋭い目で、バックミラーごしに後部座席の三人を見つめた。

 黒髪のショートカット。凛々しい顔立ちは二十代に見える。


「うん。説明は後で……さっき言ったとこまでお願いします」


 女性は返事もせずに発車させる。

 ワンボックスカーの後部座席は三人がけシートが一列だけ設置されており、その座席は個々に倒すことが出来るタイプ。

 一番奥に乗り込んだ敬子は自分のシートをフラットまで倒し、座席後ろの広いスペースへと移動する。

 そこには折りたたみ自転車や工具箱、小型のキャリーケースが二つ、それ以外にも幾つかのボストンバッグが置かれていた。

 敬子は近くのキャリーケースを開けると、ラ号を呼んだ。


「ラゴウちゃん、こっち来て」


「わかった」


 三人がけの真ん中に座っていたラ号は四つん這いになり、宇智也の膝の上を経由して、敬子の席まで移動した。

 宇智也は頬を赤らめつつも慌てて天井を見上げる。

 ラ号はそんな宇智也を気にするでもなく、敬子の倒したシート部分から後部座席の後ろ側へと移動する。


「それから宇智也くん」


「は、はい」


 反射的に振り向こうとした宇智也の頬を、敬子の手のひらがむぎゅうと押し止める。


「ラゴウちゃんがこれから生着替えするから、後ろ、向かないでね」


「あ、当たり前だろ」


 そう答えた声は若干上ずっている。


「ラゴウちゃんはこっちね、はい。パンツくらい履いてちょうだい。私の予備着替えだけど。それからこのサンダル。簡単に脱げるから、これくらいならいいでしょ?」


 敬子はラ号へ女性用下着を手渡す。ラ号はそれを両手で軽く伸ばして弄ぶ。


「変身するとき邪魔なんだけどなぁ」


「ダーメ。ヒーローはだいたいコスチュームに身を包んでいるでしょ?」


「あっ、そうだね! ……オレも変身後に着られる服、欲しいなぁ」


「ね、大丈夫なのよね?」


 運転席の女性はトゲついた声を出しながら、ギアをファーストからセカンドへと入れた。

 エンジンがわずかに唸ると、車は急に減速する。


「はい……大丈夫です」


 答えた敬子の声からは、さっきまでのような明るさが若干減っている。


「……そう。6年前のこと、あなたはその場に居なかったからわから」


「わかっています。私だって母さんが……」


「わかっているならいいの」


 車内の空気が急激に重くなる。

 その沈黙を、それから一分も経たないうちに破ったのは、運転席の女性だった。


「降りて」


 宇智也のすぐ左のスライドドアが開き、入ってきた風が宇智也の頬を撫でる。

 ハザードランプの点滅。時折、追い越して行く車。


「ありがとうございます」


 宇智也が素直に降りると、ラ号は身を縮こまらせながらセカンドシートを跳び越える。


「ありがとう!」


 ラ号が礼を言ってから車外へと跳び出すと、敬子もセカンドシート側へ戻った。


「あの……ありがとうございます」


 敬子は運転席に向かって頭を下げ、小さなバッグを持って車から降りる。

 車はすぐにスライドドアを閉め、出発した。


 上下一車線ずつの道路。

 道路に沿って向こう岸までの見晴らしが良い川は、道路と同じくらいの幅がある。

 歩道と車道との間には古びた境界ブロックが延々と設置されているだけだが、道路向こうの川側にはしっかりガードレールがある。

 ガードレールの向こうに生い茂る雑草の幅は一メートルもなく、すぐに川になっていた。


 歩道側は明るい水色の壁……と、宇智也が勘違いしたくらい大きな建物があった。

 道路側から見えている部分だけでも、学校の体育館ほどの大きさがある。

 ただその大きさに対し、窓が極端に少ないせいか、一見して工場を思わせる。


「……どうして」


 ラ号は突然、駆け出す。

 人間離れした速さで、明るい水色の壁沿いに。

 すぐに角を曲がり、見えなくなる。

 建物には扉の類も見当たらず、道路を背にした建物の右側に車が通れるほどの道があるだけ。

 ラ号が曲がって行ったのは、その道だった。


「予知でね、宇智也の背景にあった水色、この色なの」


「ラ号を追いかけよう」


 宇智也と敬子は頷き合い、すぐに走り出した。


 角を曲がり、建物横の道に入ってすぐに、建物の奥行きが見た目以上にあると二人は気づく。

 十数メートル走ると建物が引っ込み、宇智也は迷わず、そこへ回り込んだ。


 上空から見ると巨大なL字型になっている建物。

 その出っ張り部分の、道路側からは完全に死角となる部分に、両開きの大きなガラス戸があった。

 玄関脇には木製の看板が据え付けてあり、『土生海洋資源研究所』と書かれている。

 そしてガラス戸は片方が開いたまま。

 宇智也は躊躇いもなく中へ入り、敬子も続いた。






●主な登場人物


渋沢しぶさわ 宇智也うちや

 臨海学校に向かう途中のバスで事故に遭った高校一年生。

 血の臭いに敏感で、それが死んでいる者の血かどうかが分かる。

 敬子は「混沌の血が混ざっている」と感じている。


天城あまぎ敬子けいこ

 病院のベッドで目覚めた宇智也の手を握っていたハーフっぽい謎の美少女。

 血の臭いをさせて超常的な現象を起こしたり予知もできる血魔術を使える。


・ラごう

 鮫頭の以外全裸という変質者のような姿で、病院に突如として現れた無毛少女。

 体の一部へ鮫へ変身させることができる。ヒーローを目指している。


土生とき先生

 ラ号逹の関係者っぽい人。

 『土生海洋資源研究所』に関係がありそう


・フごう

 ラ号の兄弟。上半身が魚で下半身が全裸の男。

 バス事故の原因となり、軽自動車に轢かれて、道路脇の川へと逃げ込んだ。


・運転手の女性

 切れ長の目に黒髪のショートカット。凛々しい顔立ちは二十代に見える。

 天城敬子の関係者っぽい。

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