【1】田舎ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト #2

 床に仰向けになっていた宇智也は、周囲にコインが散らばる音に驚き、自分の顔を覆っていた手を外す。

 またもや立ち込める血の臭い。

 宇智也は膝を胸元へ引き寄せ、いったん身を縮こまらせると、体の向きの上下裏表を素早く入れ替え、床に手をついた。


「身を、守るためだからなっ」


 改めて顔を上げた宇智也の視界の中央には、鮫頭少女。

 その少女めがけて、周囲から何かが一斉に発射された。

 それらは鮫頭少女の全身へ鋭い打擲音を与えた後、次々と自由落下する。

 床へ落ちた一枚が、宇智也の方へコロコロと転がってきて、彼の膝にぶつかって倒れた……血の付着した十円玉が。


 宇智也は十円玉を手に取り、彼の膝まで転がってきた血の跡を辿るように視線を床から鮫頭少女へと戻す。

 全身に痛々しい痣がついていて、そのうちの何箇所かからは出血している。

 とっさに頭をかばったのか、両手を顔の前でクロスしていて……その少女の頭が、鮫ではなく人の頭になっていた。

 綺麗な坊主頭。

 腕の隙間から敬子をまっすぐに見つめる瞳、まつ毛も眉毛もない……全身も同様に無毛状態だ。


「宇智也は下がってて」


 敬子の声と共に血の臭いが再び濃くなる。

 しかし、鮫頭だった無毛少女を睨みつける敬子の視界は、衝撃と共に強引に動かされた。

 立ち上がった宇智也が、敬子の頬を平手で打ったのであった。


「……え?」


「この子、敵意はないよ……どうして君は……天城さんは、そんなに攻撃的なんだ?」


「攻撃的? 私が? え? え? 待って待って。私が?」


「そうだよ。君だよ」


「鮫頭の怪しいのが襲ってきたら、普通は身を守るでしょっ? っていうか、今だって……なんで敵に背を向けているの?」


「あの子は敵じゃない。俺からしたら、君の方がもっと怪しい。さっき俺のクラスメイトたちに何か変なことしたろ?」


「それはっ……」


「お前、オレのこと、かばってくれたのか?」


 無毛少女が話に混ざってきた。

 宇智也は振り返り、反射的に顔を背ける。

 そして手近な空きベッドから無理やり掛けシーツを引き剥がすと、少女の体が隠れるようふわりと被せた。


「もしかして、変身すると服が破けてしまうのかい?」


「そうなんだ。土生トキ先生がせっかく買ってくれた服なのに」


 無毛少女は悔しそうな表情を浮かべる。

 その纏うシーツに点々と浮かぶ赤い染みを見た宇智也は、口をきゅっと結ぶ。


「ちょ、ちょっと待って。なんで宇智也は、人が変身するってことをそんなすんなり受け入れてるの? さっきだって、その子を最初に見たときもそうだったよね。普通の人は、怪異に遭遇したとき、もっと衝撃を受けるのに……」


 敬子は、再び血の臭いを纏う。


「フ号の匂いだ! ……まさかフ号、変身したのか? オレだよ。ラ号だ! わかるか?」


 ラ号と名乗った少女は、敬子に近寄ろうとする。

 敬子は表情を険しくさせたまま、数歩下がるがそこはもう窓際だ。


「待った! 待った待った!」


 宇智也は両手を広げて二人の間に割って入る……敬子の顔をじっと見つめながら。


 今度は敬子が顔に悔しさをにじませる。

 下唇を噛み、不服そうな瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。


「なんで? その子には優しくて……私はこんな扱いなの?」


 敬子は、涙と一緒に言葉をポロポロと零し始める。


「どうして? 私、宇智也の怪我、治したんだよ? 扱いにこんなにも差があるのはどうしてなの? もしかしてその子が裸だから? おっぱい大きいから? 欲情しているの? スケベ心を満たしてくれるなら体を張って守るわけ?」


「欲情というのは交尾のことか? お前……ウチヤが強いオスならば構わないぞ」


「ほらやっぱり! あんたたちデキてるんでしょっ!」


 宇智也はいったん敬子に背を向ける。


「ラ号さん、ちょっとだけ黙っててもらってもいいかな?」


「ああ、いいぞ」


 改めて敬子の方に向き直ると、静かに頭を下げた。


「ごめんなさい。怪我を……治してもらったというのは、わからなくて……まず最初に……ありがとう」


「……はい」


「俺が天城さんを信用できないって感じたのには理由がある。俺のクラスメイトたちを不思議な力で洗脳したからだ」


「……それは……」


「天城さんの行動を警戒したのは、俺に関わろうとする目的が見えないうえに、まず洗脳してから、まず攻撃してから……そういう態度が目立ったから」


「……し、仕方ないでしょ。フツーの人たちは、逃げてって言ってもすぐに逃げてくれないから。見ず知らずの人が自分を救おうとしてくれるだなんて、信じてくれない。説明してる暇がないときでも、理由とか自身の納得とかを優先しようとするの……だから相手の親しい存在を装う。あくまでもスムーズに避難してもらうため」


「……それなら、お熱いお二人さんである必要はないよね?」


「恋人を偽装するのは、フリーな美少女は無闇矢鱈に口説かれるからよ。それに、この術は洗脳なんかじゃない。単なる錯覚。記憶を軽く混乱させるだけ。人はさっき食べたものは覚えていても、昨日とか一昨日とか一週間前とかに食べたものは忘れちゃうこと多いでしょ。そういう部分に偽の記憶をそっと置くだけ。本物の記憶としては定着しないし、時間が経ったら忘れちゃうレベルのもの……あ、もしかして、恋人って設定にしたからそんなに怒ったの? 時々いるの。本当の恋人が他に居る人」


「そういうことを言いたいんじゃなく、恋人も居ないし、巨乳好きでもないっ」


「あ、じゃあ片思いだったんだ? どっちの子? 日本人形みたいな美人さん? それとも眼鏡の子のほう? あの子すっぴんだったけど、メイクしたら相当可愛くなりそうだものね……あっ! もしかして男子のうちのどちらか?」


「そういうことをっ」


「じゃあなんで怒り続けるのっ!」


 宇智也は、遮られた言葉を飲み込む。


「ちょっとした失敗が死につながることがあるの。そんな状況で、些末なことに煩わされていたら、守りたいものを守れないことだってあるの! それでも私、一生懸命やってるよ? ねぇ! なんで? なんで私はこんなに怒られなきゃいけないのっ?」


 宇智也は首を左右に振り、それから素直に頭を下げた。


「……ごめん。俺は……怒っていたか……ごめん。そういうつもりはなかった……でも、自分の気持を無視されるってことが、苦手ではある……それに……俺もあるよ。守りたかったのに、守れなかったこと」


 神妙な面持ちで見つめ合う宇智也と敬子。

 その沈黙に耐えきれなかったラ号が、二人の間に割って入った。


「なあ、もう喋っていいか?」


 そして二人の返事を待たずに続ける。


「ウチヤもアマギサンも二人とも、人を助けるために生きているんだな? じゃあ、オレの仲間にならないか? オレは、悪を倒す正義のヒーローになるんだ」


 宇智也と敬子はキョトンとした顔でお互いの顔を見合わせ、それから再びラ号の顔を見た。

 正義のヒーローを目指しているというその言葉に、欠片の嘘も迷いもないことを、宇智也はすぐに理解した。


「……天城さん、ラ号さんの怪我を治せる?」


 敬子は頷いて、ラ号に近づき、触れる。

 また広がる血の臭いに、ラ号が反応した。


「やっぱり……フ号の匂いがする……」


「天城さん。俺は……あなたを信用したい。そのために、答えてほしいことがある」


「いいけど……でも、それなら宇智也、あなたも腹を割って。あなたは普通の人じゃない。私が血魔術を使っているのを、あなたは感じ取っているみたいだし」


「チマジュツ?」


「血を使った魔術のこと」


「その血は……誰の血なんだい?」


「自分の血であることもあるし……自分のではない血を使うこともできる」


 宇智也はラ号と敬子との間に手を突き出し、ラ号を牽制する。


「今、使っている血は……どこで手に入れたものなんだ?」


「バス事故の現場よ。事故の原因になった人の」


「状況、もう少し詳しく教えてくれないか」


「……私がここへ来たのは、予知を追ってきたから。血魔術の予知は、予知をした時点からの距離と時間、方角をアバウトに知ることができてね、あともう一つ、鍵となるものも知ることができる。それはキーワードだったり、音だったり、画像だったり、いろんなパターンがあるんだけど、今回は宇智也、あなたが鍵だった。あなたの顔が浮かんだの」


「俺が……鍵……その鍵ってのは、どういうモノなんだ? 事件を起こす存在なのか?」


「そういう時もあるし、被害者の場合もある。そもそも鍵が人じゃないことも多いよ……事件や事故の現場にたどり着くために、必要な手がかり。だから鍵。予知を追う際はいつも、予知した時間が来るよりも前に、距離と方角から想定できる現場に行って、鍵を探すんだ。今回はあなたを探して、この病院前の道を何度も往復していた。そしたらバス事故を目撃して……てっきりそれが今回の予知だって思ったんだけど」


「なあ、フ号のことはいつ教えてくれるんだ?」


「バス事故の発端はね……道路にね、飛び出してきた人が居たの……上半身だけ魚で、下半身が全裸の人……状況的にフゴウって人だと思う」


「それでっ、フ号はどうしたんだ?」


「バスの運転手は、半魚人みたいなフゴウさんを見て驚いて、急ハンドルをきって、道路横のモルタル壁に車体をこすったのね。フゴウさんを轢いたのはバスじゃなく、反対車線の軽自動車。私達の前を走っていた車。軽の運転手もバスの運転手も一時的な錯乱状態になっていて、私は車を降りて近づいたの……フゴウさんは私を警戒したのか、川の中に飛び込んでしまった。道路に沿って流れる川……この病院からも道路側の窓なら見えると思うけど」


「天城さんは、その事故現場から血を拾った、というのか?」


「そう。地面に残っていた血溜まりからね。ラゴウさんやフゴウさんのように混沌混じりの人の血は、血魔術を使うとき、普通の人の血を使うより効果が上がるの。だから機会があるときは必ず回収するようにしている。今回も手早く回収だけして、すぐにバスの方へ移動した。だからフゴウさんのその後の行方はわからないの。ごめんね」


「そうか。それでフ号の匂いがしたのか。オレは……その匂いを追って階段を登ってきたんだ。鮫になったほうが、匂いを強く感じられるから」


「……混沌……混じり……」


「私たちはそう呼んでいる。人の血に、人じゃない存在の血が混ざっている人のことね。宇智也、あなたもきっとそういう血が混ざっていると思う」






●主な登場人物


渋沢しぶさわ 宇智也うちや

 臨海学校に向かう途中のバスで事故に遭った高校一年生。

 血の臭いに敏感で、それが死んでいる者の血かどうかが分かる。

 敬子は「混沌の血が混ざっている」と感じている。


天城あまぎ敬子けいこ

 病院のベッドで目覚めた宇智也の手を握っていたハーフっぽい謎の美少女。

 血の臭いをさせて超常的な現象を起こしたり予知もできる血魔術を使える。


・ラごう

 鮫頭の以外全裸という変質者のような姿で、病院に突如として現れた無毛少女。

 体の一部へ鮫へ変身させることができる。ヒーローを目指している。


土生とき先生

 ラ号逹の関係者っぽい人。


・フごう

 ラ号の兄弟。上半身が魚で下半身が全裸の男。

 バス事故の原因となり、軽自動車に轢かれて、道路脇の川へと逃げ込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る