血とLOVER

だんぞう

【1】田舎ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト #1

 むせ返るほどの血の臭いの中で、渋沢しぶさわ宇智也うちやは目を覚ました。


 彼の視界に入ったのはまず、病室らしき場所。

 カーテンが開け放たれているおかげで、四人部屋であること、他の三つのベッドは空いていることがわかる。

 そして心配そうに彼を見下ろすクラスメイトたち……彼とは臨海学校の同じ班の四人。

 他にもうひとり、彼が初めて見る女子が、あろうことか彼の右手を握りしめていた。


「良かった! 気がついたのね!」


 その女子は笑顔を浮かべる。

 宇智也が思わず照れてしまうほどの美少女。

 年齢的には彼らと同じ高校生ぐらい。

 ハーフを思わせる顔立ちに、透明感のある白い肌、栗色の瞳。

 瞳と同じ色の髪は背中まで伸びているが、サイドは編み込んで後ろで束ねている。

 黒いワンピースは肌の露出こそ少ないものの、宇智也の右手を両手で握りしめているせいか、その二の腕に挟まれた胸元はあざとく豊満さを主張していた。

 しかし、これほどまでの美少女ではあったが、宇智也の記憶の中には存在しなかった。


「誰?」


「良かった! 本当に良かった!」


 宇智也が思わず尋ねたその言葉を遮るように、少女は大きな声で喜びを表現する。

 その直後、また、濃い血の臭いがした。


「お二人さん、熱いねぇ!」


「じゃあ、俺たちは、先に宿に移動しているから!」


 普段は宇智也に対しておせっかいと言えるほどかまってくる菅田すがたなかの野郎コンビが、やけにあっさりと撤退を表明する。

 その脇に控えている、黒い長髪で日本人形のような女子、区埜保志くのほしと眼鏡女子の百武もぶもウンウンと頷きながら病室の入り口へと向かう。

 宇智也以外の残りの四名は、この美少女を宇智也の関係者として認識しているようにふるまっていた。


 宇智也が現実を受け入れ兼ねているうちに、四人は行ってしまう。


「……一緒に、行かないのかい?」


 もしかしたら、彼女のことを自分は忘れてしまっているだけなのかもしれない……自分がこの病室に居る経緯も覚えていないくらいだから……そう考えた宇智也は、彼女が自分の班の一員だと仮定して、そう問いかけてみた。


「うん。私は宇智也と一緒に居るよ?」


 距離感が不自然なだけならば、彼はこんなにも警戒していなかった。

 彼が気にしていたのは、血の臭い……それも、死んでいる者の血の。


 宇智也は美少女が握りしめる手の中から自分の右手を引き抜き、ベッドから降りようと起き上がる。

 自分の荷物を探す宇智也の視界に入ったのは、窓の外の景色。


 夏らしくはない曇天の下、広がるのは大半が緑。

 近くには疎らな民家と、その隙間を埋める畑や樹々、遠くには低い山々が深い緑色で描く歪んだ地平線。

 民家の二階建ての屋根が見えることから、この病室が三階以上だということも分かる。


「俺は、どうしてここに?」


「臨海学校の宿に向かう途中で、バスが事故を起こしたの。その現場がたまたまこの病院の近くだったから、私たちはここへ運ばれて……ほとんどの人は軽症だったから、他のクラスのバスがピストン輸送してくれたよ。宇智也の荷物ももう宿に運んでもらってるし」


 あくまでもクラスメイトであるかのように語る美少女。

 とりあえずはと宇智也は自分の体を確認したが、特に怪我の痕跡を見つけることはできなかった。

 次に頭に触れる……どこかにぶつけたような痛みも探し出せない。


 宇智也はゆっくりとした動作でベッドの脇に腰掛け、足先で自分のスニーカーを引き寄せる。

 靴紐は緩い状態で結んであり、宇智也の足はさほど抵抗を感じずにスニーカーの中へと収まった。右足のかかとを持ち上げ、つま先で数回、床を軽く蹴り、次は左足も同様にトントンと音を出す。


「もう行く?」


「いや……ちょっとトイレ」


 そう答えた宇智也だったが、彼はゆっくりと病室の入り口へと向かう。

 入り口のすぐ脇に「トイレ」と大きな字で書かれているドアはあったが、そこは通り過ぎて廊下へと出た。


 病室を背に右側……クラスメイト達が向かった方向は、両側に幾つかの病室、エレベーターの案内板を経て十字路となっており、その角はナースステーションとなっていた。

 左側は廊下がすぐに行き止まっており、非常口が設置されている。

 その重そうな金属扉には「外からは開けられません」というプレートが貼られていて、針金入り強化ガラス窓の向こうに見える白く塗られた非常階段の形状は、ここが建物の最上階であることを教えてくれる。


「ね、トイレは部屋についてるよ。何歩か戻って、ほらそこ。扉があるでしょ?」


 宇智也は振り返り、美少女の顔をじっと見つめた。

 彼のことを本当に心配しているように見える表情。


「君は……巫女なのか?」


「え、ミコ? 誰かと間違えてる? 私、敬子ケイコだよ。天城アマギ敬子、あなたの……」


 再び辺りに立ち込める血の臭い。


「幼馴染でしょ」


 宇智也は心の中で身構えていた。

 だから気づいた。自分の記憶に、見えない手が触れたような感覚に。

 そして確信する。

 クラスメイトたちがこの女のことを、彼の親しい幼馴染のような者だと思わされていたのは、この女が何か超常的な力を使ったからなのだ、と。


「嘘だ」


 宇智也はきっぱりと断言した。

 しかしその声は悲鳴にかき消されてしまう。


 悲鳴の聞こえる方を反射的に見た宇智也は、その幻覚じみた異常な光景をにわかには受け入れられず、敬子と名乗った女の方をもう一度見る。

 もしかしたら「それ」が女の作り出した幻か何かなのかだと思ったから。


 再び聞こえた悲鳴に、宇智也は視線を引っ張られるように戻す。

 ナースステーション付近は、阿鼻叫喚の巷と化していた。


「うっそ、何アレ!」


 敬子がいつの間にか、宇智也のすぐ隣まで近づいてきていた。

 しかし宇智也は、視線を廊下の向こうから外せないでいる。

 ナースステーションの前に立っている「それ」を、さっきまでは鮫頭のカブリモノをした変質者程度に考えていたから。

 しかし今まさにソレは、その胴体部分についても鮫へと姿を変え……胴体が膨らんで色も変え、わずかに人の形を残した脚で、床を蹴って跳んだ……宇智也たちの居る場所めがけて、廊下を滑るように突進してきたのだ。


「ちょっと! 何、ボケっとしてるのよ!」


 敬子は宇智也の腕を引っ張り、再び病室へと引き入れる。

 血の臭いがして、敬子が宇智也を引く腕力が急激に強くなる。

 宇智也はバランスを崩してつんのめり、敬子の額に自分の額をぶつけそうになった。

 なんとか自分の体を支えようと宙空に張り出した手が空きベッドの縁をつかんで踏みとどまった……までは良かったのだが、敬子が彼を引く力には抗いきれず、宇智也の顔は、図らずも敬子の胸の谷間へ勢いよく飛び込んだ。


「ご、ごめ」


 謝ろうと顔を上げた宇智也の頭を、敬子は力を入れて抱きかかえ、病室の更に奥へと下がってゆく……宇智也は為す術もなく、引きずられてゆく。

 宇智也は筋肉質というわけではなかったが、クラスの男子の中では運動が得意な方だった。

 対する敬子は、彼よりも明らかに小柄で手足も細い。

 それなのに宇智也は、抱きかかえられた自分の頭を敬子の腕の中から抜けないでいた……とにかく転ばないよう、顔を固定されたままの体勢でなんとかついて行く。


 その背後で、大きな衝撃音が響いた。

 病室の入り口まで廊下を滑ってきた鮫が、その尾で壁を叩いて減速したのだった。


「あなたね、予知の凶源は」


 敬子は左足でしっかりと床を踏みしめると、右足を伸ばして空きベッドの手すりへつま先を引っ掛ける。

 服には似合わない、走りやすそうな黒のスニーカー。

 膝までしか丈のないワンピースがめくれた下には黒のスパッツが覗く。

 フッと息を吸いながら、敬子は思い切りよく膝を曲げる。

 車輪が付いている移動式のベッドとはいえ、ストッパーが降りているせいでベッドは素直には動かない。

 それでも強引に、ゴッゴッゴッと床の上を跳ねるように引きずり寄せられたベッドが、宇智也にぶるかる直前で、敬子はベッドの手すりからつま先を外し、足の裏で受け止めた。

 その間、体勢は変えず、宇智也の頭を抱えたまま。

 さらに敬子は右足を床へ踏み降ろすと、つま先でベッドのストッパーを外す。

 病室の入り口で、鮫頭が胴体を鮫から人の形へと変えつつあるのをベッド越しに見据えながら。


 血の臭いが再び立ち込めた直後、空きベッドはその鮫の鼻面へ向けて、凄まじい勢いで撃ち出された。

 敬子の両足も、宇智也の両足も、病室の床にしっかりと着いている。

 しかし空きベッドはひとりでに、ミサイルのように突っ込んでゆく。


「いいかげん放せって!」


 宇智也はようやく、敬子の胸元から顔を引き剥がす。

 直後、金属が軋む異様な音を耳にした宇智也は、静かに振り返る。


 作り物とは思えないリアルな鮫の頭が、その幾重にも重なる歯でベッドの手すりを咬んでいた。

 鮫頭はベッドの手すりを咥えたまま、頭を回転させるように右へ振る。

 少しひしゃげたベッドは軽々と持ち上げられ、別の空きベッドの上へと放り投げられた。


 二人と鮫頭との間にあった障害物が消えたことで、宇智也は間近で目にすることになる。

 鮫頭の、人の姿に戻った胴体を、そしてその性別が、明らかに女性であることを。

 鮫頭は何も身につけていなかったから。


 鮫頭は鼻先を病室の天井へと向け、頭を左右に振りながら口をパクパクと動かしている。

 だが声は聞こえない。

 口の動きに合わせて周囲の皮膚も歪む。口内には鋭い牙が幾重にも並び、歯茎と喉の奥とは白に近い淡いピンク色。

 黒目がちなその眼球は、目が合っているのかどうかもよくわからない。

 それでいて、体つきは鮫頭の大きさには不釣り合いなほど華奢な少女……いや、胸元の双房だけは、敬子に負けないほどの豊かさを蓄えている……そんな観察をしていた宇智也の視界が突如閉ざされた。


「み、見ちゃダメでしょっ!」


 敬子は宇智也に目隠しをする手に力を入れすぎた……二人には身長差があったから。

 そのことが宇智也にバランスを崩させ、今度は宇智也の後頭部が敬子の胸元へとダイブした。

 宇智也の頭はそこで弾み、直後床へ、腰、背中、後頭部と次々に打ち付ける。

 状況を把握しようと開いた視界の上半分が、敬子のスカートの中だと気づいた宇智也は、慌てて自らの目を覆った。


 敬子はそんな宇智也を気にするでもなく、窓際に置いたハンドバッグからパンパンに膨らんだ小銭入れを取り出す。

 その間も鮫頭少女からは決して目を離さない。

 鮫頭少女を睨みつけながら、敬子は小銭入れの中身をばら撒いた。






●主な登場人物


渋沢しぶさわ 宇智也うちや

 臨海学校に向かう途中のバスで事故に遭った高校一年生。

 血の臭いに敏感で、それが死んでいる者の血かどうかが分かるっぽい。


天城あまぎ敬子けいこ

 病院のベッドで目覚めた宇智也の手を握っていたハーフっぽい謎の美少女。

 血の臭いをさせながら、何らかの超常的な力を発揮しているっぽい。


菅田すがた

 宇智也のクラスメイト。臨海学校では同じ班。宇智也に対しておせっかいと言えるほどかまってくる男子。


なか

 宇智也のクラスメイト。臨海学校では同じ班。宇智也に対しておせっかいと言えるほどかまってくる男子。


区埜保志くのほし

 宇智也のクラスメイト。臨海学校では同じ班。黒い長髪で日本人形のような女子。


百武もぶ

 宇智也のクラスメイト。臨海学校では同じ班。眼鏡女子。


・鮫頭の少女?

 鮫頭の以外全裸という変質者のような姿で、病院に突如として現れた。

 胴体を鮫のように変えたり、人のように変えたり、できるっぽい。

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