第12話 同級生によるLGBTプレゼンを聞いていた話10/20

 

 作ってあった下書きを参考にひさびさに書いてみる。

このエッセイを書くのは自分自身の整理も兼ねている。まだ受け止めきれていないこともあるのかな。

自意識が過剰になると、ついつい親知らずのことなんて長々書いて誤魔化してしまう笑 それも別に悪いことではないんだけど。



去年度、すなわち2019年度の冬、大学の少人数授業で同級生がLGBTQ+に関するプレゼンをしていた。僕はそれをぼんやりと見ていた。


「自分の発表はついさっき終わって力が抜けた。さて、この人はこのプレゼンで何を言いたいんだろう?」


 その授業は、僕自身特に受けたかった訳でもなく、人気もなく、受講生が12人という元々の少なさに加えて、およそ過半数の生徒が不在というありさまで毎週僕含め5人と先生のみが集う、こじんまり真骨頂といった様子のものだった。


 これは課題として、各自自由なテーマに関してプレゼンをすることとなった時のことである。(僕のテーマは循環型社会についてであった。)


同級生は説明をした。

LGBTのなんたるか、QIA+のなんたるか、性自認と性指向のなんたるか。スペクトラム、そして人権。

僕はと言うと少し緊張をしつつも、なんだか少し冷めた気持ちでそれをみていた。


その時プレゼンを聞きながら自分がしていたことといえば、もっぱら観察であった。「この人らが自分が当事者だと気づいている事は少しでも有り得るだろうか?自分へのいつもの態度は気を使って男子学生として扱っているだけかもしれない。何かしらの気まずさのサインはあるだろうか?」と先生を含めた4人とプレゼンをする同級生を見ていた。

みな平然として聞いている。初耳なのだろうか、ここまで詳しい話を聞く機会はレアなのかもしれない。

結果としては、サインは見つからず僕は自分の男子学生としての社会への溶け込みの成功への信頼と安心感を高めることになった。


当時の僕は”男性歴”も浅く、毎日を過ごすことで精一杯だったので、その発表内容と自分自身とは切り離し難く、自意識も今以上に過剰(笑)、個人プレゼンテーションでそのテーマを取り上げる人とその勇気への興味、などなどとても他人事ではなかった。


でも同時に、同級生の発表内容は殆ど僕が既に知っていることだったし、僕はLGBTとしての自己認識はあれども人からLGBTとして見られ扱われた経験は皆無に等しく、そしてそう見られ扱われることは「努力して避けたいこと、気まずいこと、嫌なこと」と感じている自分がいた。端的に言えばマジョリティに紛れるのが何よりも直近で重要なゴール、と思っていたということなのかもしれない。男性として社会にまぎれること、紛れられていると実感すること、は僕の自己肯定感に直結した。


だからこそ、冷めていた。こんなに当事者意識があっても、自分は素知らぬふりをして、さながら「世の中にはこんな人たちもいるのか」といった顔で同級生の話を聞いていた。



その後、その子に話しかけてみようか、話したら何が起こるだろう、どういう話ができるだろうか、まさかこんな所に当事者がと驚かれるだろうかとも思いつつ、

わざわざ言ってどうするのか、そんなこと言われても相手も困るのではなどとも思いつつ、話さないまま

その授業は終わりを迎え、授業の初めに作成されたLINEグループも動かなくなってすっかり久しい。


ただ、自分の頑なな秘密主義、カミングアウトをしない方向性に対して、この経験が1つ、刺さるものとなったのは間違いない。

「なぜ自分は話さないのか」と考えさせられられた。

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秘密主義 ここのつ @kokonotu36

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