第5話 4番ホール:ゴルフって難しい、でも楽しい!
テレビのインタビューでみた児玉社長の人柄に憧れ、入社した大樹であったが、
先日の食堂での出来事は思わぬものであった。
児玉社長の上下関係を気にしない、ざっくばらんな人柄は社内でも評判が良かった。
世間一般の企業では、このようなことは珍しいかもしれないと思いながら、
隣に座っている榊原さんに聞いてみた。
「榊原さん、児玉社長と仕事の話とかするんですか?」
「たまに巽部長のお供で社長室や会議室で話をしたことはあるわ。
当たり前だけど、仕事では厳しいわよ。でないとたった一代でここまで会社を
大きくすることなんてできないわ」
「そりゃそうですよね。どんな方なんですか?」
「私の口から聞くより、実際に自分の目で見て、触れて感じた方がいいわ。
人の話なんて、意外と当てにならないことが多いから。でもよく仰っているのは、何事にも興味を持て!一度やり始めたらとことんやり抜け!っていうことね。とっても、熱い気持ちを持たれているのは確かだと思うわよ」
榊原さんは、何となく嬉しそうに話してくれた。
“とことん”って、オレの爺ちゃんと同じこと言うんだ。年代的にそうなのか?。
「そう言えば、明日巽部長からクラブもらうんですって?」
「え、誰から聞いたんですか?」
「誰ってあなたの彼女よ!キ・サ・ラ・ギさん!!」
「はい??ち、ち、違いますよ!怒りますよ!!そんなんじゃないですから」
千夏の席を見たらいなかったので、ホッとした。榊原さんもまったく人が悪い。
「昨日ロッカーで偶然一緒になってコンペの話をしてたら、如月さんが嬉しそうに話してくれたから知ってるのよ」
「明日目黒駅の近くの練習場まで、部長がクラブを持ってきてくれるんです。
全く恐縮しちゃいます」
「部長もゴルフが大好きだから、自分の部下がゴルフ始めるとか聞くと嬉しいのよ!お年寄りは喜ばしてあげないと!!」榊原さんは悪戯っぽく笑った。
「折角だから、ゴルフ教えて貰えばいいんじゃない。きっと喜ぶと思うわ」
「そうですかあ。榊原さんもとてもお上手だと聞きましたけど、よく練習に行
かれるんですか?」
「週に1回は行くようにしているわ。お客さんのコンペに参加したりすることも
あるから、あまりにスコアー悪いと一緒に回った人に迷惑かけちゃうから。
ま、100切れれば御の字ね」
「100を切るって凄いんでしょうね。僕の初めてのゴルフは、170くらいでした。あまりに回数振るもんだから、途中でわからなくなりました」
「最初は誰だってそうよ。沢田くんは野球やっててパワーがありそうだし、遠くに飛ばす人はどうしても曲がっちゃうのよね。その点、女性は飛ばないからO Bも
少なくて、結果スコアーが少なくなるという訳」
そうかあ。ゴルフでボールを飛ばすということはもしかしたらデメリットなのかも知れない。逆に遠くにまっすぐ飛ばすことができれば、間違いなくメリットになる。まあ前回のゴルフはデメリットしかなかったけど・・・。
「まずは巽部長に色々ゴルフのことを聞いてみます。自分でやってみないと前に
進まないですから」
「そういうこと。その調子で無駄口叩いて無いで仕事も頑張ってね!」
ポンと肩を叩かれ、榊原さんもオレも仕事を再開した。
今日土曜日は、巽部長からクラブをもらえる日だ。
昨日部長から、目黒ゴルフ練習場に10時待ち合わせの連絡をもらっていたので、15分位前には行こうといつもの休日より早起きした。
練習場までは歩いて10分ほどなので9時半に出ればよかったが、特にやることがなかったので早めに出ることにした。9時半前にはついたので、カウンターにいたちょっと愛想の悪いオヤジさんに待ち合わせの話をして、ロビーで部長を待つことにした。
俺はこの間買った“ビジョン54”を持ってきていた。既に一度読んではいたが、
2度目もやっぱり面白かった。15分ほどすると巽部長がゴルフバックを2つ
抱えてやってきた。
「おはようございます」
「おお、おはよう。お、ゴルフの勉強かい?」
「勉強というほどではありませんが、面白い本を見つけたので読んでいます」
「“ビジョン54”かあ。その本僕も持っているよ!僕は社長から紹介されて買ったんだ」
思ってもみなかったことを聞いた。
「沢田くんは誰かから勧められたのかな?」
「いえ、代官山のTotayaに行った時に、何となく目についたので買っただけです。
とても勉強になります」
「そうかあ。その本を買うとは目の付け所がいいね。それ第2巻も出てるからかってみるといいよ」
思わぬところで褒められたようで、照れてしまった。それにしても第2巻のことは知らなかった。またTotayaに行って買ってこよう!
「ところで、社長お久しぶりです。ちょっとご無沙汰してしまってすいませんね」
カウンターにいた愛想の無いおじさんに、部長が話しかけた。
「久しぶりだね〜。3年ぶりぐらいか?元気してたの。」
「家を引っ越してから遠のいてしまって。お陰様で元気にゴルフはやってます。
社長もお変わりなくて良かったです」
「こっちは歳食ったよ。ゴルフも思うようにいかなくなってな。まあ仕方ねえーけど、この年でゴルフができるんだから、文句言っちゃあいけねえな」
「社長、この青年は今年うちの会社に入社した沢田くんです。この近くに住んで
いるんで、よろしくお願いしますよ。うちのホープです!」
「沢田くん、こちらこの練習場の社長の天野さんだ」
「おおよ。巽さんとこのホープじゃ邪険にはできねえな。沢田くんって言ったっけ。なんかあったらオレにいいな」相変わらずぶっきらぼうに言った。
「ありがとうございます。これからお世話になります」このおじさん、社長だったんだ。意外といい人かも知れないと思いながら、受付を済ませ2,000円の
プリペードカードを買ってから、巽部長の後をついて指定された1階の打席に
向かった。既に満席に近い状況だった。
この練習場は、打席数が1階、2階各20打席あって計40打席。
奥行きはレイアウトの図を見るかぎり70ヤード。テレビでよく出てくる練習場
とは違って、かなりこじんまりしている。巽部長とオレの打席は19番と20番。オレは一番端っこだ。
内心真ん中じゃなくて良かったとホッとした。
部長が、
「こっちのバックに入っているのが沢田くんのね。ドライバー、
フェアウェイウッド、アイアン、パターと一通り揃ってるから。4年前まで僕が
使っていたものだから、まだまだしっかりしてるよ。シャフトは沢田くんには少し柔らかいかも知れ無いけど、まずはこれで少し打ってから、新しいのを買った方がいいと思う」
「本当に何から何まで有難うございます。このクラブでしっかり練習させて
頂きます!」
ここまでしてくれる上司がいるだろうか?オレは、本当恵まれてるなあ。
「さあ、打ってみようか。まずは7番アイアンでいいかな」
「この“7”と書いてあるクラブですね」オレはクラブを確認して言った。
当たり前だが、バットより遥かに軽い。
プリペードカードを装置に挿入すると、自動でボールが上がって来た。
ちょっと汚いボールで、かなり使いこまれているようだった。
クラブでボールをマットのセンターに移動し、アドレスに入った。
部長がこっちを見ている、そう思った瞬間に緊張が体を走った。
「ブン!」クラブが空気を裂く音がなった!?
「あら?」
「力入りすぎだよ。最初から上手く当たることの方が少ないから、気にせず
2、3球打ってみて」
「はい」その後、3球打ったが結果は、空振り、トップ、トップ。野球でいえば、
3打席凡退といったところか。最初のを入れれば4打席か。ジャイアンツの長嶋と一緒だ!?
部長を前にして妙な汗が出て来た。
「よし。分かった。沢田くんのヘッドスピードは、おそらくドライバーなら
50m /s以上出ているかもしれない。これは凄いことだよ」
褒められているんだろうが、全く嬉しくなかった。
「沢村くん“ビジョン54”を読んでたよね。そこにも書いてあったと思うけど、
まずは小さいスイング、ゆっくりしたスイングを練習した方がいい」
そう言えばそんなことが書いてあったな。やっぱりゴルフも基本練習というのが
あるんだ。
「分かりました。すみませんが、小さいスイングを教えていただけますか?」
その後約2時間、グリップの握り方からアドレスの取り方・作り方、そして小さいスイング(いわゆるハーフスイング)をご教授いただいた。
戸惑ったのがグリップだ。バットの握り方と同じベースボールグリップというのもあるそうだが、左手人差し指と右手小指を絡めるインターロッキングという握り方が最後まで違和感がまとわりついた。それでも、小さいスイングで最後の方は4、5球に1球は芯で当たるようになった。
「どうだった?」
「想像以上に難しかったです。でも練習も面白いです」
「そうか、それは良かった。ゴルフはうまく行くと凄い快感を得られる。
例え練習場でもね、逆にうまくいかないと自分が嫌になってしまう。
でもそれが、ゴルフの面白いところなんだよ。野球のバッティングも7割は失敗
するだろう。ゴルフも1ラウンドして納得できるナイスショットなんて数回しかない。それでもスコアーがいい時もあるんだ」
「野球で打ち取られた時の気持ちとゴルフで空振りした時の気持ちは違うように
思います。ゴルフの方がショックが大きいです」
「そこなんだよ。野球は投手が打者を抑えようと投げているから、抑えられた
打者は投手のせいにできる。いいコースに投げられたとか、もの凄い変化球だったとかね。ところがゴルフは、ボールは止まっているんだよ。
ナイスショットができるかどうかは、プレイヤーに全て預けられているんだ。もう少し言うとゴルフは屋外のスポーツで、雨もあれば風の中でプレイすることがある。
ナイスショットしても、風でO Bになってしまうこともある。それで風のせいにしても何も変わら無い。全てはプレイヤーの責任になるから、うまくいかない時に自分に嫌気が差してしまうんだよ」
「ゴルフって奥が深いんですね。そんな事考えた事なかったです」
「それでもゴルフをするのは、今のようなことを克服した時の喜びが想像以上に
大きいからなんだ。もちろん楽しみ方は人それぞれ。競技会に出て成績を競うも良し、仲間と楽しくやるのもいいし、健康維持のための運動でやるも良しだ」
「自分はこれまで野球をやって来て、勝った負けたという勝負が好きでした。
ゴルフをやるならスコアーはもちろんですが、やっぱり勝負したいです!」
「いいじゃないか。沢田くんが求めるゴルフを続けてもらえれば、クラブを提供した私も嬉しい限りだよ。今度ぜひ一緒にラウンドしよう!」
「有難うございます。喜んでお供させていただきます。それまでに、ご迷惑をおかけしない程度の力をつけておきます!」
部長をお見送りして、自分の打席に戻った。
改めて部長からいただいたクラブを見た。ドライバーにはP I N G、アイアンには
M I Z U N O、パターにもP I N Gと刻印されてあった。ネットで調べた限り、
有名ブランドばかりだ。まだ物足りなかったので、プリペードカードを買い足し
小さいスイングの練習を再開した。
さっきよりは、少しは当たるようになり、
何球かは奥のネットに当たるまでになった。クラブの芯で当たった時の感触が
たまらなく良い。これはクセになりそうだ。
帰り際にカウンターにいた社長に丁重に挨拶して、帰る頃には2時を回っていた。
野球で振り込んだ掌がヒリヒリした。部長も言っていたが、力の入れすぎなのか・・。
力を抜くとちゃんと当たらない気がするけど、まあ力を入れても当たらないんだからやってみる価値はありそうだ。
まずはコンペまでにどういう練習をするのか考えとかなくちゃな。
それから“ビジョン54”にも色々と練習方法も書いてあったから、試してみるか。
自宅に着くまで、バックを担ぎながらそんなことを考えながら歩いていた。
それにしてもゴルフバックは重い・・・。
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