第2話 1番ホール :社会人スタートホールに立つ②
何人かの先輩社員らしき人たちが、「おはようございます」「お疲れ様です」と挨拶していた。そこにはトレーを持った児玉社長が、列に並んでいた。
千夏が「へえ〜。社長も社員と一緒にお昼食べるんだ。やっぱりうちの会社は
アットホーム的でいいね」
テレビで社長の人柄を垣間見たオレも、やっぱりそう言う会社なんだと安心した。
「そうだね。社員と気軽に話ししてる姿を見ると嬉しくなるね」
ずっとおとなしくしていた田之倉が、「仕事になるとまた別だと思うけど」と一言ポロリ。
全くこの男にロマンとかないのか。でもその気弱そうな物言いがなんとなく憎めない。
「みんな、お疲れさん。今日から新人も入社してきたから、みんな頼むよ!」
オレも時間が経てば、あの社長と仕事の話をする事があるのだろうかと思いながら、社員食堂にしてはかなり上等な昼食を取り終え、大講堂に戻った。
半日しか経っていないが、みんなで食事を取ったせいかあちこちで人の輪ができ世間話で盛り上がっていた。
1時5分前になると、司会をする人事課社員が全員を着席させ児玉建設幹部が来場するのを静かに待った。
「只今より平成29年児玉建設入社式を開催いたします。
最初に当社代表取締役児玉社長より祝辞を頂きます。児玉社長お願いいたします。」
「新入写真の皆さん、入社おめでとう。私が社長の児玉です。
本日この日に53名の皆さんを児玉建設に迎えることができ、大変嬉しく思います。
毎年、新しい仲間を迎えるたびに、会社が新鮮になっていく気持ちになります。」
どうやらこの社長は原稿なしで挨拶するようだ。あとは短めの挨拶にしていただけると助かる。
「我々の属する建設業界を取り巻く環境は年々厳しくなっており、当社も安泰ではありません。皆さんには社会人としての自覚と責任を持って、これからの生活を送ってください。
ところで、皆さんの中でゴルフをする人はいるかな?」
途端に砕けた話になった。これからどんな話になるか楽しみだ。
唯一1人の新人が手をあげた。
「そうですか。それではスポーツをやっている人は?」
今度は、10人ちょっとの者が手をあげた。
児玉社長は頷きながら、
「スポーツだけでなく、それぞれ持っている趣味を大事にして下さい。決して仕事だけの生活は送らないでください。
仕事を通じてできた仲間、趣味と通してできた仲間、皆さんにとって一生を共にする友人にしてください。仕事やプライベートで躓くことは必ずあります。その時助けてくれるのは仲間であり友人です。」
オレは大学時代野球でできた仲間のことを思い出していた。あいつらも今日明日が入社式だよな。今頃、社長から何言われてるんだろ。なかなかこんなこと言う社長はいない。
児玉社長は最後に、“体心技”+“感情・社交性”を強くするよう言った。
通常は“心技体”だが、“体”が健康でなければ“心”も穏やかになならない。“体心”が整っていなければ、“技”も発揮できない。更に、“感情・社交性”をコントロールすることによって、“体心技”を生かすことになる、と。
これは初めて聞いた話だ。野球に置き換えると、なんとなくこの重要性が想像できた。
どうせなら野球をしてる時に聞いておきたかった。おそらく、仕事をする上でも大事なことなのだろう。その後、取締役の方々の挨拶が思っていたより簡単に済まされた。おそらく児玉社長の影響なのだろう。
入社式が終わって休憩時間に入ると、社長の言葉をほとんどの者が評価していた。
業界だの経済だのといった話よりも、よっぽどインパクトがあって現実の社会のことをほとんど知らない新入社員にとってはよほど有益だ。
2日目以降はスケジュール通り、会社組織、社内規則の説明、各部署の紹介が行われた。
オレが希望する営業の紹介は2日目に行われた。紹介に立ったのは、営業第1部の巽部長。物静かな冷静沈着といった雰囲気を持つ人だった。こういう人の部下は、仕事のし甲斐があるのかなあと勝手に考えていた。
そういえば、隣の席の如月さんも営業希望と言っていた。頭の回転はいいし、容姿端麗だから営業をすればさぞお客の評判は良いだろう。オレは体力で勝負するか頭で勝負するか、これからの課題だな。ちなみに田之倉は経理希望だそうだ。やはりお金に関する相談は田之倉にすることにしよう。
4日目は面談が予定されていた。面談は別室に待機している部長クラスと一人
15分位だ。
「沢田大樹さん。こちらへどうぞ」人事課の担当者から名前を呼ばれた。
オレを面談してくれたのは、部署紹介をされた巽部長だった。
「はじめまして。沢田大樹です。よろしくお願いいたします。」
「お疲れ様。営業部の巽です。会社はどうですか。少しは慣れましたか?」
「ハイ。話をできる友人もできました。これから楽しみです。」
「そう。それは良かった。沢田くんは性格的に前向きなようで、営業にはもってこいの性格かな。希望は営業ということで良かったかな?」
「ハイ。全く問題ありません。私は営業で決定ですか?」
「そう焦りなさんな。まだ最終決定ではないから言えないけど、出切るだけ本人の希望に沿う人事を行うのが社の方針だからね。それより大学では野球部だったよね。社長も言っていたけど、仕事の許す範囲で是非続けて欲しいな」
「ハイ。私もそのつもりです。地元の野球チームもあるので、落ち着いたら入ろうと思っています。まずは仕事を頑張ります。」
「それでいいよ。ところでゴルフはやった事ないんだよね。」社長も言っていたが、この会社は妙にゴルフにこだわる。
「ハイ。やったとは言えるものではないです。打ちっ放しは何度か。一度だけ大学のゴルフ部の友人に誘われてコースに行きました。」
「どうだった?」
「楽しかったのと、空が綺麗でした。それとドライバーで打ったボールが一度だけ真っ直ぐ飛んで行きまして、空に吸い込まれるような感覚が今でも忘れられません。」
「そうかあ。楽しくて何よりだ。私が初めてラウンドした時はボールを20個用意したのに全て無くしてしまって、先輩から貰ったよ。でも沢田くんの身体付きで野球をやっていたとなると、さぞ飛ぶんだろうねえ」
「その時回った友人から、300ヤード以上飛んでると驚かれました。
バットはずっと振り込んできましたから同じ要領で振ってましたが、如何せん真っ直ぐ飛ばすことの難しさを感じました。」
「そりゃあ楽しみだ。沢田くんにもぜひゴルフをやって欲しいな。」
「機会がありましたらぜひお願いします。ところで営業ではお客様と接待ゴルフとかあるんですか?」
「もちろんあるよ。最近ではめっきり減ったけど、ゴルフ好きのお客様は多いからね。まあ、接待するにしてもそれなりの腕前にならないとね。」
「おっと、もうこんな時間か。」
もうすぐ15分が経とうとしていた。
「何か聞いておきたいことはあるかな?」
「部署紹介で一通り伺いましたので、特にありません。
是非営業部で採用いただきますよう、よろしくお願いいたします!」
「ハハハ。それは発表までのお楽しみにしておきなさい。それではお疲れ様。」
「ハイ。有り難うございました。」
席に戻ると、田之倉とちなっちゃんが何話したと聞いてきた。三日目になると千夏は苗字で呼ぶのは好きじゃないと、田之倉のことは“爽くん”、俺のことはなぜか“大樹”と呼ぶようになった。俺たちも千夏のことを“ちなっちゃん”と呼ぶようにした。
オレは、目新しい話として「ゴルフの話」しか覚えていなかったので正直に二人に答えると、大樹は能天気だとか、全く参考にならないとか好き勝手なことを言って、自分の手帳を見始めてしまった。聞いてきたから折角答えてやったのに失礼な奴らだと思いながらも、改めて考えるとあの15分の意味はなんだろうと考えてしまった。とは言え、大したことはないと考えることはやめた。
それ以外は机上の勉強で、業界の話やら建築基準法、住宅関連法などなど法律についてレクチャーを受けた。ほとんど概要ばかりであったが、実際の業務には欠かせないものばかりだから、各部署配属後しっかり勉強することになると大半の講師が言っていた。
この間、面談を除いてオレは睡魔との戦いであった。千夏の冷たい視線を感じていたもの大半の勝負に負けたが、それでも大学時代会得した勉強のフリは役に立った、と思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます