第90話 太陽と月(トマス・カマユー視点)

 イザーク・メイアンが飛ぶより、少し前のバルビエ侯爵執務室――――。



「急げ。じきに突入してくるぞ—―」


 バルコニーから戻ったウェイン卿は、固い声で言った。


「陛下が見えなくなったら、廊下にいる青竜も動く。相当焦れているだろうからな」


 掃き出し窓は開けているから、外の声は届いていた。

 レディ・ブランシュが元気そうなのは何よりだし、レディ・マージョリーの婚約が決まったのもめでたい。陛下がディクソン公爵を引き留めたのには驚いた。

 しかし今、俺たちは時間との戦いに身を投じている。それどころじゃないのだ。


「分かってますけど、寝てる男に服を着せんのって大変なんですよ!――おいそこ、前後が逆だ!」

「うお、マジか。ちょっと、そっち持ち上げて――せーの」

 

 王宮に侵入し令嬢たちを襲った修道士《モンク》の手下と、アナベルの仲間を入れ替えて逃がす作戦は、まさに佳境に差し掛っていた。


 交換がスムーズに行なえるよう、修道士《モンク》の手下着用の偽制服は、前もって脱がしておいた。リーグたちが脱ぎ捨てた、いかにも労働者階級が履いていそうな薄茶のズボンを、気絶した男に履かせる。だが――


「サイズが! 前が締まらねえ! く……っ! この野郎! 王宮に侵入する前に、腹くらい引っ込めて来い!」


 気絶した男に向かって不毛に毒づく。


「なんなんだ、この腹……やる気あんのか?」



 ――『一言で言うと、激弱かったな』


 リーグ達は口を揃えてそう評した。


『ぎりぎりまで近付いても、振り向きもしない』

『手加減してやったのに、一撃で吹っ飛んで、しかも失神だ』

『訓練らしい訓練も受けてないんじゃないか』


 白目を剥き眠る男たちを、観察する。


 ――たるんだ全身。無精髭の中年。


「……なあ? 王宮騎士が守る王宮にこんな連中を侵入させて、一体何がしたかったんだろうな? 修道士モンクは」


 疑問が口をついて出る。


「これが噂に聞く、あの修道士モンクのやり口か? まるっきり素人じゃないか」


 そもそも――と俺は考える。


 ――最初の馬車襲撃事件からして、何かおかしくなかったか?



 俺たち、何か大事なことを見落としていないだろうか――――? 



「さあねえ。起きた後、本人たちに聞けばいい」


 キャリエールが肩を竦めて、不穏に目を細める。


「どうせ、ここに侵入した時点で、絞首台かシャトー・グリフ行き確定だ。その上、女性への暴行未遂……。せいぜい締め上げてやろうぜ」


「まあ……そうだな……――おい、着替え終わったならこっち手伝ってくれ」


 声をかけると、大きな姿見の前に立つリーグ・ホワイトは、ゆっくりと視線をこちらに向けた。


「ああ……悪い。こんな格好、久しぶりだからさ……」

「…………ローゼンダールの王宮で、騎士の制服を着る日が来るとはなぁ」

「生きてると、いろんなことがあるもんだな……」

「なんか感慨深い……」

「……思い出すな……」


 そう言って、後ろ髪を引かれるように。再び鏡に目をやる。


「……おい」

「もういいんじゃん? いっそ脱がしといたら?」


 面倒そうに言ったのは、国務卿の騎士の格好をした男だった。

 アッシュグレーの髪に、青灰色の瞳。

 腹の出た男の隣に眠る男に、服を着せていた。


 もしかして――と俺はさっきから怪しんでいる。


「脱がす? いやどう考えても不自然だろ」


「そこはほら、適当に。例えば……レクター・ウェイン卿に『自身の性癖の誘惑に抗えず脱がしました』とかなんとか、うまく報告してもらえば?」


「…………」


「あのさ、さっきからずっと気になってんだけど――」


 顏を上げたキャリエールが、不思議そうな声を上げる。


「――どっかで会ったことある?」


 蒼灰色の瞳の男は涼しく微笑み、間髪入れずに答える。


「いえ、記憶にありませんね」


 ――…………ロウブリッターだ。


 間違いない。声も気配も、完璧に別人だけど。

 キャリエールと違って、レディ・ブランシュ護衛担当の俺は、長い時間をロンサール邸で過ごしていた。ロウブリッター執事とは、そこそこ長い付き合いだ。背格好やちょっとした仕草の一部が、重なる。


「そうかぁ……」とキャリエールは釈然としない風に首を捻り、屈んだまま、気絶した男のシャツのボタンの続きを留め始める。


「どっかで会った気がしたんだけどなあ」

「ふっ、残念ながら。完璧なる初対面でしょう」

「気のせいか。俺も平和ボケかなぁ……」



 ――……こいつには、やられたな。


 だけど、ロウブリッターのお陰で、俺はアナベルと出会えたと言えなくもない。

 ばっさりフラれてしまったけれど、これだけは云える。


 ――アナベルと会えて、良かった。


 こんな無謀なことをするくらい、人を愛せたのだから。


 ――……気づかないふりしてやるか。



 屈みこんで靴を履き替えさせていた目の細い男――ディクソン公爵邸で見たノア・シュノーだ。仲間からは『オウミ』と呼ばれているようだが、これも偽名なんだろう――が、立ち上がってこっちに来た。


「だめだよ、トマス・カマユー卿、偽装は完璧にやらないと。第一、レクター・ウェイン卿が性癖を告白したら、レディ・リリアーナが悲しむ」


「待て。何か前提が妙なようだが、俺におかしな性癖など――」


 真顔で早口になるウェイン卿を無視して、オウミは横たわる男の半身を見下ろした。

 だらしなくはみ出した白い肉が、けっして履かせるものか、と全力で阻んでいる。


「君、優しいんだな。人の身体って、すごく柔らかいんだよ。――ちょっと、場所代わって」


 そう言うオウミも、間近に見ると極めて優しい顔をしている。細く垂れた目尻、口元は上機嫌な弧を描く。外を歩けば、十メートルおきに道を尋ねられそうな、猛烈な親切顔であった。


 立ち上がり、場所を譲る。


「いや物理的に無理だって。力ずくはやめとけ。破れたら、元も子もな――――げ」


 ごきごき。妙な音が、オウミの触れた部分から起きた。


「まずは……、ここをこうやって外して、空間を作るだろ。はみ出した部分を詰め込んで…………あれ? まだちょっと狭いかな。じゃ、この辺のは反対に移動させて、隙間を作って……あ、いい感じー。ぴったりはまった」


 本棚の整理を終えた青少年みたいに爽やかに、オウミは顔を上げた。


「うまく収納できた。まだ何か入るくらい余裕あるよ」


 男のウェスト部分は、きっちりと止められている。オウミの言う通り、指数本分のゆとりまである。


「…………サイコ野郎め」


 思わず毒を吐く。

 そう言えば、俺がこいつの存在に気づいてしまったせいで、アナベルは去ったのだ。

 こいつが、へらへらにやけてアイコンタクトなんかするから。全部こいつのせいだ。

 しかも、こいつはこれからもアナベルといられる。理不尽だ。嫌味のひとつくらい言ってやったって、バチはあたらない。


 オウミは、はっとしたみたいに薄い目を微かに開く。


「え……! そ、それほどでもないよ。いやぁ、そんなストレートに褒められると照れるな……でも……悪い気はしない……」


 えへへ、と紅潮した頬を嬉しそうに緩めている。


「……………」


「まじで良い仕事するよなぁ」と、キャリエールがオウミの職人技に見惚れたように脇に屈む。


「収納の基本は思い切りだ。いらないものを捨てる、これに限る。例えば、ここなんかは、こう、がっつりと――」

「ほうほう、なるほど。この辺りもいけんじゃね?」

「いいねえ~。古典的だけど、味がある」


「だから、何の話だよ……!」



 元ロウブリッターが立ち上がって、軽く背を反らし伸びをする。


「で? 着替えさせた後は? どうする?」


 部屋を見回すと、俺が太った男に苦労している間に、すでに全員着替え終わり、準備ができていた。

 卓越した収納術を持つ、オウミの手腕によるところが大きいと思われた。めちゃくちゃ変な奴だけど、手際は良い。


「ああ。……それじゃ、オウミと、それからあんたは……あの辺りに立っていてくれ」


 ウェイン卿、オウミとロウブリッター、人質令嬢、倒れている破落戸五人。

 

 ――それ以外の人間は、ここに居るはずのない人間。


 突入してくる青竜の騎士に、けっして姿を見られてはならない。


「わかってると思うけど、ここに居たと悟られたら終わりだ」


「「承知の上」」


 キャリエールとリーグの声が重なる。

 頷きながら、両開きのドアを差し示す。


「手順を確認しよう。リーグ達五人、キャリエール、俺の七人は、気配を消し、ドアの脇に立つ」


「了解」


「絶対に見つかるなよ。――ウェイン卿が、『制圧完了』とドアを開けた瞬間、第三騎士団はこの部屋になだれこんで来る」


 その時、ドアの横に立つ俺達の姿は、開いたドアによって隠される。


 青竜の騎士達の視線と意識は、ウェイン卿、犯人、令嬢たちの方向に向く。


「その隙に、『たった今駆けつけた』って顔して、俺たちは最後尾に姿を現す。疑われても、しらを切り通せ」


 元ロウブリッターが、皮肉っぽく唇を歪める。


「そううまく行くかねぇ?」


「やるしかない。でももし、それでだめなら――」


 一度、軽く息を吸う。


「責任は、俺が取る。すべて俺が仕組んだことにしよう。キャリエールとリーグ達は俺に騙されて、訓練だと信じ込んでいたと言え」


「はああ!?」


 キャリエールが叫んだ。


「馬鹿言え! 連帯責任だ!」


「馬鹿はそっちだ。第二騎士団は人手不足なんだぞ。二人も辞めたら困る。俺一人でいい。その代わり、リーグ達は必ず逃がしてやってくれ」


 リーグ・ホワイトが、不思議そうな顔をした。


「…………カマユー卿、なんでそこまでしてくれんの?」


 一瞬考えたけど、いまさら取り繕うことでもない。


「アナベルが好きだからだ。アナベルを悲しませないためなら、俺は何でもする」


 ふうん……、とリーグが窓の外に視線を向ける。


「……カマユー、俺たち、お前に辞められたら困るよ」


 キャリエールが、なんか泣きそうな顔をして言った。


 アルフレッド・キャリエールは、いい奴だ。

 リーグ達は、レディ・リリアーナの友人でもある。なら、ウェイン卿とキャリエールは何があっても、リーグ達を見捨てない。俺が居なくても、うまくやってくれるだろう。


「大丈夫だよ。作戦は成功する。万一の話、失敗しても、俺なら第三騎士団に縁がある。捕まってもそれほど酷いめに遭わされない」


「カマユー、俺が――」



「ご準備は終わりまして?」


 ウェイン卿が何か言いかけたのを、涼やかな声が遮った。


「この度の皆さまのご協力とご尽力には、感謝の気持ちでいっぱいですわ」


 レディ・コンスタンス・バルビエだ。他の令嬢たちもいる。

 令嬢たちには、男たちの着替えが終わるまでバルコニーに居てもらっていた。


 戻った彼女たちは、何かをやり遂げた後の晴れやかさに輝いている。レディ・マージョリーの婚約を、心から喜んでいるらしい。


「いいえ」

「レディのお役に立てたならば、この身に余る光栄です」

「我々にとっても、楽しい体験でした」


 リーグ達が、背筋を伸ばして凛と応える。

 どこからどう見ても、本物の王宮騎士の貫禄と身のこなしを身に付けている。

 これなら、きっと上手く逃げられる。


「証言の方は、お任せくださいませ」

「皆様のことは、わたくしたちが全力でお守り通しますわね!」


 リーグが、ふ、と頬を緩める。


「それは頼もしい」


 迷ったけれど、もうこんな機会はないかもしれない。これは余計なお世話だ。でも、言ってしまうことにする。


「僭越ながらひとつ、申し上げてもよろしいですか? レディ・コンスタンス・バルビエ?」


 レディ・コンスタンスは、侯爵令嬢らしく婉然と微笑んだ。


「もちろんですわ。なんなりと仰って。今日は本当にありがとう。トマス・カマユー卿」


「それでは……」と姿勢を正す。


 俺は、レディ・ブランシュの護衛担当だ。


 ノワゼット公爵に命じられ、俺の班はレディ・ブランシュの周囲にいる人間の身辺調査を行った。


「修道院に行かれる前に、お話しされてみてはいかがです? 御父上と。婚約の解消を解消してもらえるように」


 途端に、レディ・コンスタンスの表情が凍る。


「…………なんのことです……?」


「……失礼ながら、ヘルバイン侯爵令息のことです。今も領地の屋敷にいらっしゃいますが、貴女との婚約を解消されてから、どなたとも婚約されていません。浮いた話ひとつもない。間違いのない話です」


 平穏を望みすぎたゆえに、牙と爪を持たぬと軽んじられ、政権争いに敗れたヘルバイン侯爵家。戦時のごたごたの中、ひっそりと王都を去った。


 レディ・コンスタンスはエメラルドの瞳を大きく見開いた。


 俺は肝を冷やす。

 そのエメラルドの瞳に、涙の膜がみるみる張ったからだ。


「……!……馬鹿なことを! お黙りになって! カマユー卿! あのひとは! あのひとは! もうわたくしのことなんて忘れています! 皆と一緒に王都を追い出した薄情者だと思われてるのよ! 愛想をつかされたに決まっているのに!!」


 わっ……! と白魚の両手が顔を覆った。子どものように、肩を震わせてしゃくり上げる。


「あんまり酷いじゃありませんか! そんなことを言うなんて……! もうどうしようもないのに!! きらい! 勝手に婚約を解消したお父様も、わたくしを攫う勇気もなかったあのひとも! 誰がまだ好きなものですか! 元から合わないと思ってた! 本当よ! 本当なんだから!」


「コンスタンス……」レディ・デリアが寄り添う。「泣かないで。貴女は悪くない……でも、わたくしも、カマユー卿に賛成だわ」


「貴女みたいな人を、忘れたり嫌ったりするはずないじゃない」と、レディ・ビアンカが涙ぐみながら言った。



「会いに行かれたらいい」


 本人の預かり知らぬところで婚約を解消されてしまった、侯爵令嬢。

 彼女の心はずうっと、かつての婚約者にあるのだ。


「貴女もお聞きになったでしょう? バルビエ侯爵は、貴女を大切に思っていらっしゃる。貴女の心からの願いを、無下にされないかもしれない」


 キャリエールが、俺の耳元でこそこそと囁く。


「……おい、どういうことだ? ヘルバイン侯爵の息子って、あの冴えないって噂だったダニエル・ヘルバイン? 社交界の華レディ・コンスタンスの恋人なのか? お前、知ってたのかよ」

「そうだよ」


 呆れた顔をするキャリエールに、俺は頷く。


「ダニエル・ヘルバイン侯爵令息を『臆病者』と云う人もいたが、俺はそうは思わない。お前も知っているだろう。人と違うことを言うのって、剣を握って戦うよりずっと難しい。すごく勇気がいることだ」

「まあそりゃ確かに」


 レディ・コンスタンスが、ゆるゆると顔を上げた。その背中に、レディ・デリアとレディ・ビアンカ、レディ・マージョリーが励ますように手を置いている。


「………本当に、そう思われて?」

「もちろん」


「ダニエルは、わたくしを忘れていない?」

「ええ」


 力強く頷いて見せる。

 本当は、根拠なんてない。

 状況を見る限りそんな気がする、というだけで、ダニエル・ヘルバインの本心が、俺にわかるはずもない。


 だけど、この令嬢の恋が叶うといい。


 自分の恋がとうに破れて散っていても、彼女はレディ・マージョリーに訪れた幸せを心から応援した。

 真っ直ぐであり続ける。それも、とても難しい生き方だろうから。


 おせっかいをして、背中を押してやってもいいよな。


 キャリエールとリーグ達が、またあたふたとハンカチを探している。

 家訓で「多めに」と定められ、持たされている予備のハンカチを差し出す。


「さあ涙を拭いて。もし思うように行かなくても、優しく正しい貴女の周りには、この先ずっと、味方しかいないんですから。もちろんこの私も」


 レディ・コンスタンスは大人しくハンカチを受け取って、それで顔を覆った。

 レディ・デリアが、俺に向かって微笑みかけた。


「コンスタンスの友人として、この国の社交界の全レディを代表して、これだけは言わせていただくわ。この国で一番素敵な男性はランブラー・ロンサール伯爵様でしょう。けれど、貴方も同じくらい素敵な方だわ。トマス・カマユー卿」


「ええ。わたくしもそう思いますわ」とレディ・ビアンカも同意する。

「同感ね」とレディ・マージョリー。


 ――まじで!?


 内心でおののく。

 聞いたか!? 何でか知らないけど俺、ロンサール伯爵と同じくらい素敵だってさーーー!! もう俺にしとけばーー!!

 アナベルに届くくらい、叫びたかった。


「光栄です」


 しかしもちろん平静を装って、俺はうまく冷静な声で言った。


「さあ、いよいよ大詰めです。ウェイン卿がドアを開けますから、皆さん、位置に着いて――」


「その前に!」


 しばらく黙っていたリーグ・ホワイトが叫んだ。


「――昔話をしよう」


「へ?」


 リーグ・ホワイトは大真面目な顔で、胸の前で腕を組む。


「――その昔……。俺達はみな、太陽と月に照らされていた」


「…………はい? え、そっち系? いや今時間ない。またあとで聞いてやるから」とキャリエール。


「黙って聞いてくれ。大事な話だ」


 鋭い目をしたリーグが、重々しい口調で言うから、思わず俺たちは口を閉じる。


「かつて俺達は、太陽と月に照らされていれば、どこまでだって行けると考えていた。それこそ、世界を手に入れて、宇宙だって自分のものにできると思い込んだ。だから突き進んだ。行けるところまで……………だが、その結果、太陽は、もうない。………沈んでしまったんだ………」


 リーグもロウブリッターもオウミも他の仲間も、どこか遠くを見ていた。


「………沈んでしまったんだ……」


 リーグが繰り返した。


「……あとには、月だけが残った」


「へ……へえ?」


「その月は、めちゃくちゃ強かった。常に、正しく毅然と太陽の傍にいた。誰よりも強いのに、誰よりも手を抜かない。こっちが恥ずかしくなるような熱血な台詞を、涼しい顔して言う。ガッツがあって、俺たちみんなの、自慢で誇りで希望だった。それが――」


 リーグの腕が、だらりと力なく下ろされる。

 

 太陽を失くしたあとは……もう光らなくなった――と静かな声が言った。


「笑わない。泣きもしない。夏の海みたいに輝いていた目は、死んだ魚の目になった。それでも、月は俺たちにとってすごく大事だ。月まで沈んだら、生きる理由がなくなるくらいに……ところが!!」


「お、おう」


 気迫に押されたキャリエールが頷く。


「その月が、ほんのちょっと光を取り戻した。ある事件をきっかけに」


「…………じ、事件?」


「ああ。レオンが、レディ・リリアーナを連れて来たんだよ」


 オウミが、元ロウブリッターを顎で差してあっさりと言った。


「…………? え? ええ!? レ、レオン……? こいつが!?」


 キャリエールが目を剥く。


「あまりにも似てねえ……! 微塵も……っ! ロウブリッター? 嘘だろ!?」


 無言で、レオンは軽く頷く。


「だけどさ」とオウミが笑ったみたいな顔と声で、続ける。


「レディ・リリアーナを帰したら、月はまた笑うことを忘れちゃったんだ。だから、レオンと俺とで仕組んだ。月が、もう一度令嬢と会えるように。月が、もう一度笑えるように。……なかなかうまく行っていた」


 俺が邪魔しちゃったけどな……と、オウミは少し俯く。


「カマユー卿に、気付かれるとはなあ……。潜入を見破られたのは初めてだよ。一番、肝心な時だったのに」

 

「…………レディ・リリアーナは、俺たちの太陽とすごく似ているんだ。光みたいに、優しい」


 窓の外の柔らかな陽光に目を向けて、リーグは明るく言った。


「…………そうか」と、ウェイン卿も外を見る。


「……ごめん」と、俺の口からは、暗い声が漏れた。


「アナベルを追い出すつもりなんてなかった」


 本当だ。ぜんぶが嘘でも、ずっと一緒にいたかった。


「うん」リーグ・ホワイトが晴れやかに笑って、自身の胸を叩く。


「それで、何が言いたいかと言うと、レオンとオウミ、俺は今回のお前らの仕事に、最高の評価をつけてやる。五つ星だ!」


「「おう」」とレオンはそっぽを向き、オウミは一層目を細めた。


「…………それで?」


 ウェイン卿に問われ、リーグ・ホワイトが、晴れやかに笑った。


「この世界は間違いなくクソだが、ぜんぶ捨てて逃げ出すほどクソじゃないのかもしれない。道は、他にも拓けているのかもしれない。俺は気が変わった。……だからまあ、話してもいいよな?」


 同意を求めてリーグが視線を巡らせると、アナベルの仲間たちは頷いた。

 レオンが俯いたまま、悔しそうな声で言う。


「………なに食べても、砂噛んでるみたいな顔をしやがって。死ぬのを我慢しながら生きてるんだ、あいつは」


「あの日、何があったのか。話すよ。お前らだって知りたいだろうし、知る権利がある。レクター・ウェイン、アルフレッド・キャリエール、それからトマス・カマユー」


 押し黙る俺たちに、リーグ・ホワイトは静かに口を開いた。


「あの日、永遠の繁栄を約束されたハイドランジアが沈み、俺たちが永遠に太陽を失った日……あいつは、アナベルは、あの場所にい―――――」



 ――――その瞬間。



 ゆら、と周囲の空気が揺れた。


 窓の外。バルコニーの下。



 青白い閃光が弾けた。




 

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