第77話 足りないもの

「いくらなんでも、絞首刑は厳しすぎると思う……甘いかな? 甘いよなぁ……? どう思う?」


 悩ましげに腕を組んだノワゼット公爵は、とても珍しいことに、すごく自信なさそうにそう言った。


 ノワゼット公爵から「ちょっと」と声をかけられ、ウェイン卿、ランブラー、ブランシュ、そしてわたしは、長椅子に腰かけるエレノアから少し距離を取り、声の届かない場所で話している。


「もちろんよ。ひどい目には遭ったけれど、わたしにお酒を飲ませたくらいで、あの人が絞首刑になったら、罪悪感に苛まれて悪夢にうなされることになるわ」


 頬に片手をあてたブランシュが、頷いて同意する。

 ランブラーもまた、軽く頷く。


「僕も同感です。王宮での謀略……法に照らせば絞首刑ですけど、彼女が襲われた不幸を考えれば、極刑は行き過ぎでしょう――もっとも、ノワゼット公爵と意見が合うとは驚きですけどね。ブランシュのことになったら、躊躇なく絞首台に送ると思ったのに」


 春先のことを思い出しているのか、ランブラーが意味ありげに笑って言う。


「はい、俺もてっきり、公爵は怒り心頭かと」とウェイン卿。


 ノワゼット公爵は沈痛な顔で、「そりゃ、普通ならそうだよ、普通なら……」と言って、ごくっと喉を鳴らした。


「あの人…………似ているんだ」


 深刻な秘密を打ち明けるみたいに、ノワゼット公爵は声をひそめる。頬は盛大に引き攣っている。


「へ?」


 きょとんとするわたしたちに、ノワゼット公爵はあたふたと早口で言う。


「あの人! 僕の母とそっくりなんだよ! いや、もちろん、見た目は全く違う。母の瞳は鳶色で、髪は亜麻色だし、最近会ってはいないけど、もっと若々しい。……だけど、声の感じや喋り方、立ち居振舞いなんかが、双子みたいに似ている……!」


 エレノアのすっと通った背筋、美しい発音を思う。そう言えば、ノワゼット公爵の母君は隣国の公女だ。至上に高貴なる方々は、自然と佇まいが似通うのかもしれない。

 まるで幽霊にでも会ったみたいに、ノワゼット公爵は青ざめている。


「僕の母の恐ろしさを知らないだろう? ゆっくり首を振りながら、悲しげな声で『アラン・ノワゼット、そこにお座りなさい』って言われてみろ、頭から氷水を浴びせられたみたいになるんだ。……それなのに! さっき、わんわん泣き出された時には、全身がぞわぞわして、居ても立ってもいられなくって、頭をかきむしって地球の反対側まで逃げ出したくなった! あの人を絞首刑……? 残念ながら、僕には無理だ。どうしてもやるなら、僕の預かり知らないところでやってほしい」


 胸の前で拳を握りしめ、断固として言う公爵には、もはや、この世の終わりのような悲壮感が漂っている。


 なるほど――とノワゼット公爵の思いがけない弱味を目にして、ランブラーが頬を緩める。


「子どもの頃のノワゼット公爵って、お母上をいっぱい泣かせてそうですもんねぇ」


「うるさいな。男なら誰しも、そういう時期があるだろ? そう言う伯爵だって、母親を泣かせたことくらいあるだろう」


「僕はありません。生まれ落ちたその瞬間から、ずっと品行方正な孝行息子でした」


 美しい微笑にのせ、きっぱりとランブラーは言い切った。ぐっ、とノワゼット公爵が唸る。


「ともかく、エレノア様は無事に国務卿の元にお返しするということで、構いませんか? ブルソール国務卿閣下からも、あんなに強くされましたし」


 わたしがのんびり言うと、ウェイン卿と公爵は、不思議そうに首を捻る。


「お願い?」

「いつ?」


 わたしは首を傾げる。


「あら? だって、さっきの国務卿のお話は、『絶望した娘の意思は固く、もう自分ではどうしようもないので、何とかしてやってほしい。もし、娘を無事に救ってくれたら、私にできることなら何でも願いを叶えるから。頼む』とすごく婉曲に仰ったように聞こえました」


「はあ!? あれのどこが!?」

「そんな馬鹿な!?」


「まあ、僕も、なんとなく、ほんのちょっぴり、そうかもしれないと受け取りました」

「わたしも、そうかもしれないと思えたわ」


 ランブラーとブランシュがわたしに同意すると、公爵とウェイン卿はみるみる目を見開いた。


「あれは絶対、喧嘩を売りに来ただろう!?」

「そうだとしたら、婉曲にもほどがあります!」


「まあまあ、確かに、へそまがりさんかも知れませんねえ。でも、ブルソール国務卿がエレノア様に関心をお持ちなのは、間違いないと思います。まさか、本気でわたしを外国に送るつもりのはず、ありませんからね」


 例えば、わたしの父だったなら、わたしがどんな危機にあっても、見にも来なかったに違いないのだから。


「当たり前です。あれが本気だとしても、この命をかけて、絶対に渡しません」


 ウェイン卿が優しい声で言うので、わたしの頬は熱くなる。赤い瞳が、優しく細められていた。

 

 ぜんぶ、良かった。このあたたかな場所に辿り着くためだったのだと思えば、過去の孤独も悲しみも何もかも、そう悪くなかった。


 こほん、とノワゼット公爵が咳払いを落とす。


「ところで、マーク・エッケナーの件だが……」


「はい。どうでしたか?」


 ウェイン卿が居住まいを正し、ランブラーとブランシュに事の次第を簡単に説明した。


「――ですが、残念ながらまだ調査中です。地方の孤児院の例に漏れず、マークがいた孤児院も管理が杜撰で、大したことはわかっていません」


 ノワゼット公爵も残念そうに言う。


「レイモンドである可能性は一、二割ってとこかな。とてもじゃないが、エレノア殿に紹介するには至らない。あの様子では、救いにはならないよ。希望を持たせるのは、却って酷だろう」


 公爵のことだから、てっきり、マーク・エッケナー氏を利用しようとするかもしれないと、失礼なことを思っていたのに、そんなつもりはないらしい。


 長椅子に目を遣ると、すでに絞首刑を受け入れるつもりのエレノアは、吹っ切れた涼しい表情で、温かいお茶を飲んでいた。唇には穏やかな微笑すら浮かんでいる。

 ブランシュが物憂げに眉を寄せ、指先で顎を叩く。


「……わたしが昼餐会でお酒を飲まされた件は、わたしたちの胸にしまっておけばいいわ。安易に絞首刑なんて、絶対にだめよ! 気絶したのは、コルセットを絞めすぎていたってことにしましょう。問題は……――」


「侵入してる五人の破落戸の方だな。エレノア殿は知らないようだが、実際は、前にリリアーナを拐ったハイドランジアの元騎士たちか……今のところ、上手く逃げているようだが……」


 ノワゼット公爵が言葉尻を濁すと、ランブラーが後を続ける。


「ええ、もし捕らえられたら、レディ・エレノアの人となりと侵入方法を話してしまうでしょうね。彼らがレディ・エレノアを庇う理由は、何一つありませんから。そうなったら、レディ・エレノアは終わりです」


 ウェイン卿が真剣に眉根を寄せる。


「リーグ・ホワイトら五名を、白獅子と青竜よりも先に見つけ出し、我々で保護しましょう」


「問題は……この王宮の、どこに隠れているのか……ここはとにかく、広すぎるから。人海戦術で行くしかないかな……?」


 ノワゼット公爵が、眉間の皺を深くして言う。

 わたしは思い出していた。リーグが教えてくれたことを。


 ――『修道士モンクとブルソールが、揃って仕掛けて来る』


 アナベルとオウミが、二人とも修道士モンクのところに潜入していたなら……?


「それなんですけれど……さっき、一人、足りませんでしたよね?」


「何が?」とノワゼット公爵。


「スパイですよ。いなかったでしょう?」とわたしは自信を持って軽く胸を叩く。

 ブランシュが瞳を輝かせた。


「リリアーナ、思い当たることがあるのね?」


 ええ、とわたしは頷く。


「紫紺の騎士です。ガーデンパーティでは四人いらしたのに、さっきは三人しか連れていませんでした。どうしてかしら? もしかしたら……」


 リーグたちがピンチだと知って、離れたんじゃないかしら? と続ける前に、ランブラーが、ああ! と声を上げた。


「つまり、紫紺の騎士の一人が、ロウブリッターか、もしくはその仲間だったと?」


「そうだとしたら……」とノワゼット公爵が天井を仰ぐ。


「ねえでも、あの格好は、すごく目立つわね」


 とブランシュがわくわくした風に言う。ウェイン卿も真面目な顔で頷く。


「それに、リーグはとぼけていましたが、別のルートでそれぞれ侵入するなら、何かあったとき、合流できるように取り決めている可能性が高い」


 言いながらウェイン卿は、わたしの方を見て、眩しそうに目を細めた。


 ランブラーが部屋を見回し、ゆっくりと言う。


「……仮面を着けた紫紺の騎士が一人で王宮の廊下を歩いていたら……すれ違った者は、その時は気に止めなくても、きっと覚えているでしょうね……。もしかしたら、どの部屋に向かっていたか、見た者がいるかもしれない」


 わたしたちは揃って、扉の方に目を向ける。密に連絡を取り合うために、入れ替わり立ち代わり姿を見せる、大勢の黒い騎士。



 ――『国務卿の執務室は、この部屋と同じフロアにあるんです』



 彼らのうち誰かが、その姿を見ていれば――――


 知らず、期待が胸に満ちる。

 

 リーグ達さえ見つかれば、エレノアの罪は暴かれることがない。

 わたしは、アナベルにも会える。


 何もかもが、丸く円を描くように、上手くおさまって行くに違いない。


 その時のわたしには、そう思えた。


 


 

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