第69話 事態、動くー01

「宮殿に侵入者――」という火急の知らせが、額に汗を滲ませた衛兵によってもたらされたとき、シャトーブリアンをこれ以上ないほど詩的な表現で褒め称えていた顧問官たちは、不審げに眉をひそめた。


 第三騎士団団長ジェフリー・ハミルトン公爵が高貴なる翡翠の瞳を微かにひそめて、グラスを置く。


「詳しく報告しろ」


「は! 侵入者は五人。悲鳴を聞いて駆けつけた衛兵三名と、第一騎士団の騎士一名が、打ち倒され――」


「なに!?」


 第一騎士団の騎士、と聞いて、グラハム・ドーン公爵が思わずといった風に叫ぶのを横目に、衛兵は早口で続ける。


「――衛兵と騎士は、いずれも当て身を受け昏倒しただけで、怪我はありません! 侵入者は現在、追跡中です」


 ドーン公爵が、翡翠の瞳を苦々しく細めて小さく舌打つ。その向かいに悠々と腰かけるアランが、緩む口許をナプキンで隠した。


「へぇ……君のところの騎士か。当て身を受けて昏倒、ね……心から、お見舞い申し上げるよ。……ああ良ければ、今度うちの騎士が稽古をつけて差し上げよう。だいぶ腕が落ちておいでのようだ」


 にっこり、と目を細められ、ぎりりと静かに奥歯を噛みしめたドーン公爵は、頬を引き攣らせて微笑した。


「いや、君のほうこそ。人気と人望がなさ過ぎて、人が集まらないそうじゃないか? 少人数では日々、苦労するだろう? 困った時はうちの騎士を貸して差し上げるから、いつでも声をかけてくれたまえ」


「いやいや、うちは少数精鋭派だから。数ばっかりいても、使えないんじゃ、しょうがない」


「またまた、負け惜しみは男らしくないぞ」


「ふふふ」

「ははは」


 ジェフリー・ハミルトン公爵が、大げさに肩を竦めて両手を広げた。


「おいおい、アラン、グラハム、そう腐るな! 人気実力共に我が第三騎士団がトップであることは誰もが認める事実だが、ドンマイドンマイ!」


 言われた二人は、揃って穏やかに微笑んだ。


「うぜぇ」

「あつくるしい」


 そんな子どもの喧嘩のようなやり取りを前に、国王と王妃は顔を見合わせた。


「騎士団長たちは仲良しだね。そう思わない? 王妃」


「ええ、本当に。兄弟喧嘩のようですこと」


「私だって従兄なのに。仲間にいれてもらえないんだよ。あと十年、遅く生まれれば良かったな」


「まあ、陛下ったら。充分、お若くて素敵でいらっしゃいますわ」


 国王が翡翠の瞳を優しく細め、美しく聡明な王妃を見つめる。二人は嬉しそうに微笑み合う。

 

 ハミルトン公爵とドーン公爵が、揃って軽い咳ばらいを落とした。


「陛下、私は一旦下がらせていただき、捕縛の指揮を取ってまいります」


「陛下、私も。この広間は騎士がおりますから安全です。皆様はこのまま、お食事をお楽しみ――」


 言いかけた時、駆け込んできた新たな伝令が、騎士団長の席の間に腰を折る。


「申し上げます! 賊は――」


 衛兵は険しい顔つきで、早口で続けた。


「――王宮内にて、見失いました」


 途端、顧問官たちだけでなく、国王も眉を顰めた。騎士団長たちが、揃って眼差しを険しくする。


「は? 何だって?」


 氷点下の声で鋭く切り返され、伝令役の衛兵はごくりと喉を鳴らす。


「も、申し訳ありません……! 見た目よりも、手練れだったようでして……その……」


「……そうなると、少し心配だね。騎士団長たち、怪我人を出さないよう、頼むよ」


 陛下が言うと同時に、アランも席を立つ。三人の騎士団長が、恭しく頭を垂れた。


「御意」

「仰せのままに」

「我が第一騎士団が総力を上げ、ただちに不埒者どもを――」


「失礼――」とその時、空気も読まず誰かが大声で遮った。広間の視線が声の主――ヒューバート・ディクソン公爵に集まる。


「ちょっと、構わないだろうか?」


「――ディクソン公爵? 状況を考えたまえ」


 向上を邪魔されたドーン公爵から、苛立った声で言われても、ディクソン公爵は彼の方を見向きもしなかった。心配そうに眉を寄せたままだ。


「いや、その……さきほどから、あまりにも……顔色が優れないようだが……レディ・ブランシュ、大丈夫か?」



 ――ああ、やっぱり。


 リリアーナの言う通りだった。この人って、すごく善い人だったんだわ。



 最初に気づいてくれたのが、まさか、ディクソン公爵だなんて。言葉を交わしたこともないのに。

 こちらを心配そうに見やりながら、彼は立ち上がった。


「っ!? ブランシュ!! どうした!?」


 隣のアランがぎょっとしたような声を上げて、わたしの手に触れる。


「まあ! 大変……!」

「きっと貧血だわ」

「コルセットのせいじゃなくて?」

「早く横に……」


 王妃陛下だけでなく、さっきまで皮肉っぽい目でわたしを見ていた公爵夫人たちまでが、口々にそんなことを言う。

 わたしったら、相当ひどい顔をしているらしい。


 ――ああもう! さいあく。


 頭が、くらくらする。


 胸の辺りがむかむかして、今にも吐いてしまいそう。視界が霞んで――アランたちが交わす遣り取りが、やけに遠い。必死に、集中しようとしているのに。


 ぐらりと揺らぎそうになる身体に、渾身の力を込める。

 膝の上で握りしめる手が、がたがた震えた。冷たい汗がしっとりと全身に滲む。


 まさか、ここで倒れるなんて。絶対にだめ。


 ――醜態なんて、晒せないんだから。


 古参の貴族夫人たちから、あとから影で何を言われるだろう?

 優美に微笑まなくちゃ。凛と背筋を伸ばすのよ。


 ――どうして? さっきまで何ともなかったのに。


 ふと、頭を過る。


 ――スパークリングウォーター。


 舌に、突き刺さるような苦み。


 喉を通る時、焼けるように熱かった――――


 ――夏前に王立病院から消えた劇薬。



 あれは、どうなった?

 

 ああ、やだ、どうしよう。


 両陛下主宰の午餐。

 毒だと騒ぎ立てて、後から間違いだったとなったら、取り返しがつかない。

 お二人のお顔に、泥を塗ることになるのだ。


 きっと、ただの体調不良よ。


 何事もなかったように、静かに下がって。それから、医務官に診てもらって――それから、


 この広間に控えてくれている騎士たちの方を、訴えるように見る。

 オデイエ卿、アイル卿、ラッド卿、誰でもいい、誰か、早くここから連れ出して――血相を変えた彼らが、こちらに駆け寄ってくる。


 ああ、良かった。もう大丈夫だわ。

 


「あ、あの……わたくし、少し失礼いたしたく――」


 断りを述べながら立ち上がろうとした途端、視界はふつり、と暗転した。



 ――ブランシュ!!



 すごく遠い場所から、アランに呼ばれた気がした。



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